第26話 接触
キフェール国とレオドニル国の騎士達が、合同訓練の一環として模擬戦を行うという日。
エドガーの指示通り城へ到着したルルーシャは、少々困った事態に陥っていた。
「お嬢、俺らそろそろ行きますけど、大丈夫です?」
王城の奥、騎士団管轄の広い訓練場へと続く扉の前で、苦笑いのユーリスがルルーシャに小さく耳打ちをする。
「え、もう!? もう少しいられない!?」
声を押し殺しつつ、顔色を悪くしたルルーシャが咄嗟に縋るような視線を向けるが、並ぶメルトとユーリスは困ったように肩をすくめるだけだ。
彼らはこれから模擬戦に参加するため、レオドニル国の者だということを示す二頭の獅子の紋章が襟に輝く黒の騎士服を纏い、ユーリスは一本、メルトは二本の模擬刀を腰から下げていた。
「そろそろ私達も時間ですので……すみません」
「お嬢は特別観覧席だから、ここから道違うでしょ」
扉を潜ればそのまま訓練場に繋がり、通路を進めば、訓練場をぐるりと囲む、塀に沿って場を見渡せるように作られた二階の観覧席へと繋がっている。
二人から「一緒にいられるのはここまでだ」と言われ、ルルーシャは盛大に情けなく眉を下げた。
「うう……私、本当にそこにいなきゃいけないの?」
「そっすねー。エドガー様のご指定ですから」
「まあ……試合に集中していれば、大丈夫ではないでしょうか」
ちら、とメルトが視線を向けたのは、半泣きのルルーシャの後ろ──笑顔で立つ国防長官であるグルベア侯爵だった。
「ルルーシャさん、そんなに緊張されなくても大丈夫ですよ。私も一緒に行きますから」
柔らかい物腰でにこりと微笑まれ、ルルーシャは渋々頷くしかない。
(どうして、デビュタントもまだなのにこんなことに……)
まだ成人したばかりのルルーシャが、メルト達と離れるのを躊躇い不安になるのも無理はない。
エドガーが用意した『特別観覧席』とは、訓練を視察するために集まった国の長官や宰相といった重鎮達が並ぶ観覧席のことだったのだ。
「エドガー君も、事前に説明していないのはちょっと意地悪でしたね」
眉を下げ優しく微笑むグルベアのさらに奥には、新聞でしか見たことがないような大物貴族が、席へ向かうため途切れることなく何人も通り過ぎていく。
これからの時間を想像するだけで、ルルーシャの胃は悲鳴を上げていた。
(せ……せめてアデラ王女殿下のお近くならまだ希望が持てたのに)
同じ親獣派、獣人を婚約者に持つ者として、ルルーシャとアデラはこれからのために手紙でのやり取りを始めている。
穏やかな文面は非常に親しみやすく、二人はすぐに打ち解けたのだが、アデラはレナートと共に王族用の観覧席から合同訓練を視察するため、まだ『国防副長官の妹』という肩書きしかないルルーシャが近くに寄れるはずもない。
さらに王城の中は許可された身分ある者しか自由に入ることができないため、侍女であるクロエは同行者控え室で待機の身。
訓練場の手前までは、クロエに代わって王宮侍女が案内役として同行してくれたが、彼女も席までは来られず入り口まで。
つまり、メルトとユーリスがいなくなってしまうと、ルルーシャは政界の怪物が勢揃いする空間に一人きりで臨まねばならないのだ。
顔色を悪くし震える彼女に、ユーリスが励ましにもならない言葉を掛けた。
「まあ、これだけ上役が集まって、席の近くには警備の騎士もいるし。安全には違いないですって」
ルルーシャのことが気の毒になったのだろう。
グルベアが穏やかな声音で提案する。
「確かに気を使うものでしょうし、私が一緒にいますから、他の貴族とは少し離れた席に座りましょうか」
願ってもない言葉に、ルルーシャは「ぜひ!」と食い気味に頷いた。
(グルベア様がいらっしゃって、本当に良かったわ)
彼女の父が前国防長官だったこともあり、グルベアとは幼い頃に数回だけ会ったことがある。
大物貴族達に圧倒され、入り口で固まっているルルーシャに気付いたグルベアが声を掛けてくれなければ、もっと悲惨な状況に陥っていたことが容易に想像でき、ゾワリと背筋が震えた。
「うう……それじゃあ、二人とも……頑張ってね」
ひらひらと手を振って見送るユーリス達を何度も振り返りながら、ルルーシャはグルベアと共に観覧席へ向かった。
「この辺りなら、ゆっくりご覧になれるのではないでしょうか」
グルベアが示してくれたのは、他の貴族達が固まる場所とは少し離れた席。
階下に待機している騎士達も見やすく、騎士団長と話をしているエドガーと、その近くに固まるレオドニル国の騎士達の中にフィオグラウスを見つけ、ルルーシャは僅かに緊張が和らいだ。
「はい、お気遣いありがとうございます。あの……兄はずっと下にいるのでしょうか?」
「ええ。騎士団の訓練内容も国防省の管轄内にあるので、エドガー君には現場との調整役をお願いしているんですよ。今回は同盟にも関わる重要な場なので、本来は私が直接指揮を執らなければならないんですが……体が弱くて、休むことも多いので。エドガー君にはいつも助けてもらってばかりなんですよ」
促されグルベアと共に席に座って談笑していると、エドガーが重鎮達が座る観覧席の方を向き視線を彷徨わせているのが見えた。
「あ……お兄様、もしかして私を探しているのかしら」
離れた場所に座ったことを、何となく怒られるような気がして弱々しくそう溢すと、それが聞こえたかのようにエドガーがぱっと彼女の方を向き、目が合う。
その途端、彼の顔が予想していたよりも遥かに不機嫌そうに険しくなり、ルルーシャは戸惑った。
(え、お兄様、もの凄く怒ってらっしゃる……?)
席を変えたことがそんなにいけないことだったのか。
ルルーシャが不安を感じた──その瞬間、頭の上からよく通る大きな声が降ってきた。
「こんな所で美しい花にお目にかかれるとは。せっかくですので、隣にお邪魔させて頂いてもよろしいかな?」
「──え?」
顔を向けたルルーシャが返事をする前に、隣の椅子が大きく軋み、柔和な笑みを浮かべた老人が巨体を沈み込ませて早々に腰を下ろしていた。
「ジャルジュ侯爵、返事も待たずに失礼ですよ」
困ったような表情のグルベアの苦言も全く気に留めず、ジャルジュは大きな声で笑った。
「まあまあ、いいじゃないですか! 毎日毎日堅苦しい男どもに囲まれて働いているんです。あんな面倒な席より、可愛らしいお嬢さんの隣に座りたいという、老人のささやかな望みくらい叶っても良いでしょう!」
ジャルジュから「そう思いますよね?」と微笑まれ、ルルーシャは肯定も否定もできず曖昧に頷くしかない。
(ジャルジュ侯爵って……あのジャルジュ侯爵!?)
思わぬ大物の登場で、一気に緊張が走る。
ドギマギしている彼女に構わず、ジャルジュは楽しそうに話を続けた。
「グルベア殿だけ癒されようだなんて、抜け駆けはいけませんな。思うに、お嬢さんはエドガー殿の妹君ではないかな? 目の色がシャルトレ侯爵家の色だ。当たりかな?」
「は、はい。お初にお目に掛かります、ルルーシャ・シャルトレと申します」
立ちあがろうとしたのを制止され、座ったまま挨拶すると、ジャルジュは金の瞳を細めて大きく頷いた。
「エドガー殿には、私もグルベア殿も普段から色々と世話になっているからね。ただの老いぼれだと思って楽にしてくれて構わんよ」
「い、いえ。そんな」
「いやいや! このグルベア殿なんて、本当にしょっちゅう休んどるからな。病弱を理由に縁談も断り続けてこんな歳までとうとう独り身のままで、陛下からもずっと心配されておられるし──」
「ジャルジュ侯爵、それは今関係ないでしょう」
綺麗な微笑みでグルベアから静かに言われ、ジャルジュは肩をすくめた。
「これはいかん、脱線してしまいましたな! おお。話している間に、あちらは始まるようですぞ。──見ものですな」
愉快そうに言いながら彼の視線が訓練場に向き、ルルーシャもそれに続く。
広い円形の場内では、黒の騎士服を纏った獣人が十人程と、薄灰に朱色の線が入ったキフェール国の騎士服を纏う者が三十人程。
ピシリと整列し向かい合って立つ両者の間で、若い騎士が二国の旗を振り上げ、中心に立つ騎士団長が宣言した。
「これより、合同訓練としての模擬戦を開始する! 第一班、前へ!!」
観覧席や場内の声が一気に消え、ピシリと張り詰めた空気に変わる。
戦闘前の騎士達から漏れ出る昂りが一気に場を満たし、それに引っ張られるように、固唾を飲んで見守るルルーシャの胸には、不思議な緊張と興奮が広がった。




