第24話 もっともっと
ルルーシャが半獣化の姿のフィオグラウスに触れられるようになった日から、一週間が経った。
二人の関係は、あの日を境にガラリと変わった。
「お、お耳と尻尾を、もう隠さないでいいです!」
一度触れるのに成功したことで自信がついたルルーシャが、自らそう宣言したのだ。
それをきっかけに、常に半獣化の姿で過ごすようになったフィオグラウスは、タガが外れたように彼女と距離を詰め、これまでよりもさらに積極的になっていた。
「あなたが嫌でなければ……お願いします。どうか……もっとなでて下さい」
顔を赤くしながらも、隙あらば、そうお願いしてくるようになった。
時には、切なげな息を吐き目の前で跪きながら。
時には、ルルーシャを後ろから抱きしめ、首筋に額を寄せながら。
時には、真っ赤になった彼女を、憂いを帯びた表情で壁際に追い込み、逃げ場をなくした状態でそう請うてくるのだ。
ルルーシャは、彼に触れることができるようになったものの、やはり心の奥には未だ恐怖心は残っている。
それが恋心と混ざり合い、さらにはフィオグラウスに迫られドキドキが追加されるという特典付き。
つまり、彼女の心臓はここ最近、毎日爆発寸前だった。
「い、行ってらっしゃいませ」
朝食後、屋敷の玄関でそう言ったルルーシャの声には、緊張が滲んでいる。
目の前に向かい合って立つ、白の騎士服に身を包んだフィオグラウスからじっと見つめられ、彼女は一気に顔が朱に染まった。
「あの……ルルーシャ、お願いします」
遠慮がちにそう言った彼の宝石のような紫の瞳には、明らかに熱が籠もっている。
懇願にも似た声音と同時に、フィオグラウスは大きく距離を詰めて彼女の側に寄り、こてりと首を傾げるように頭を少し低くした。
その頭上には、三角の狼の耳がルルーシャの方を向きピンと立っている。
「今日も一日頑張れるように、どうか撫でて下さい」
「は……はい……」
美しい顔で見つめられ、期待を滲ませそう言われれば、ルルーシャに断る術はない。
ふわふわの耳を震える手でそっと撫でると、彼の瞳の甘さが増す。
その色香が直撃し「う」と小さく呻いて動揺したルルーシャが手を戻そうとすると、フィオグラウスがその手をやんわりと掴んで、すり、と自身の頬に引き寄せた。
「お願いします。全然足りません。もっと……もっと撫でて下さい」
甘えながら「逃げないで」と言うように腰に手を回され、涙目のルルーシャは思わず「ひぇ……」と小さな叫び声をあげてしまう。
優しく捕らえられ、仕方なく言われるがまま胸の高鳴りに耐え必死で撫で続けると、うっとりとした表情の彼の狼の耳が、徐々に左右にへにゃりと倒れ、尻尾が大きくパタパタと揺れる。
暫くしてメルトが「若様」と声を掛けると、フィオグラウスは名残惜しそうに離れ、向かい合うルルーシャと両手を繋いだ。
「行ってきます。すぐ戻りますから、待っていて下さいね」
穏やかな声でそう言われ、首まで赤くしたルルーシャが、ぎゅっと目を閉じコクコクと首を縦に振る。
フィオグラウスを目一杯意識しているのがわかるその姿に満足したのか、幸せそうに頬を染めて微笑み、もう一度彼女の耳元で「行ってきます」と囁いた彼は、城へ向かうため家を出て行った。
「もーーーーーーー無理!!」
屋敷に残されたルルーシャは、柔らかな風が吹く庭のガゼボでそう叫ぶなり、わっとテーブルに突っ伏した。
ふわふわの髪が、置かれていた開いた本の上にかかり、ページがかさりと音をたてずれる。
共に席に座りテーブルを囲んでいたメルトとユーリスが、楽しげに言った。
「お嬢様、その『無理』とは『好き』という意味ですか?」
「確かに、俺もそー聞こえた」
ピシリと背筋を伸ばしたメルトとは対照的に、ユーリスはぐるりと前後を反対向きにした椅子に跨り、背もたれの上に頬杖をついている。
後ろに控えているクロエが「私もです」とくすくす笑ったところで、顔を真っ赤にしたルルーシャがガバリと顔を上げた。
「どうしてそうなるの!? 心臓が限界っていう意味よ!! フィオグラウス様、最近どうされてしまったの!? 近すぎない!? 甘すぎない!? もう……怖いのとドキドキするのとで……ぐちゃぐちゃよ……」
勢いを失い、両手で顔を覆い隠して小さくなるルルーシャに、護衛二人は肩をすくめる。
「そう言われても、こればかりは仕方ありません。狼の一族は獣人の中でも特に愛情深い一族なんです。むしろ、若様は今までよく距離を保って耐えてらっしゃったと思いますよ」
「だなー。獣人って基本撫でられたいもんだし。──よし、じゃあ今日の残りの時間は、獣人の愛情表現についての勉強にしましょっか!」
にっこりと笑ったユーリスは、バサリと一度大きく翼を羽ばたかせ、楽しそうに椅子を大きく斜めに傾かせた。
二人がルルーシャと共に席についているのは、別に彼らが無礼な訳でも、護衛の職務を放棄している訳でもない。
フィオグラウスがいない時間、ルルーシャは毎日こうして彼らからレオドニル国の文化や獣人の生態について教えて貰い勉強しているのだ。
二国の同盟と平和のためには、今後ルルーシャが親獣派の女性の顔として、社交の場に出て矢面に立ち、フィオグラウス達を擁護しなければならない機会が増える。
屋敷でフィオグラウスの帰りを待つ間は決して暇にしている訳ではなく、そのための大事な勉強の時間だった。
ユーリスの言葉を受け、メルトが言う。
「我々にとって『触る』と言う行為は、非常に大事な意味を持ちます。獣人は基本的に、一族の象徴である部分──角や尻尾などは、信頼している者や好意を寄せている者にしか触れさせません。触れ合う対象が『心を委ねられる相手かどうか』が、精神的な部分にも大きく影響を及ぼすからです」
「影響?」
「はい。愛情表現としての触れ合いで心が安らぎ精神が安定する反面、認めていない者から触られ続けて苦痛が限界を超えると、精神を病んで獣化の姿から戻れなくなる場合もあります」
「特に狼みたいに群れで暮らす本能が働く一族とか、俺みたいな鳥人はそれが顕著ですねー」
「鳥人もそうなの?」
ユーリスの補足に、ルルーシャは浮かんだ疑問を素直に返す。
「鳥人はですね、ちょっと特殊で。恋人になるだけなら種族関係ないんですけど、子どもが欲しかったら鳥人としか無理なんすよ。だから余計に、いつまでも安心して触れ合える『この人だ!!』って相手を必死で探します。決めたら、その証に自分の羽根を贈って、一生その人だけを大事にする感じですねー」
「それは……すごくロマンティックね」
目を輝かせてそう言えば、笑顔で「一途なのは若もそうですよ」と返され、思わず赤面する。
メルトの説明が続いた。
「鳥人は我々と違って、まず卵を産んでそこから生まれるため、鳥人同士でしか子を成せません。獣人は同じ一族の者同士で結婚することが多いですが、違う一族の相手でも、結婚して子を成すことができます。特性が混ざり合うことはありません。若様とルルーシャお嬢様の間に子どもが生まれれば、狼獣人、もしくは人のどちらかで生まれてきます」
「生まれてすぐの獣人って、まだ上手く姿の切り替えができないんで、しょっちゅう獣化しちゃうんですけど、スッゲー可愛いですよー」
ユーリスから言われ、コロコロと転がるもふもふの小さな狼の赤ちゃんを想像し、ルルーシャは自然と頬が緩んだ。
「先ほどもお伝えしたように、獣人の愛情表現には、触れ合いがとても重要です。特に愛情深い狼獣人の中でも、若様は先祖返り──非常に珍しい白狼の獣人なんです。先祖返りはどの一族にも稀に生まれることがありますが、彼らは非常に精神力が強い反面、それを保つために、好意を寄せた相手に触れ合いを求める気持ちが、より強く湧いてしまうんです」
「そーそー。だからもう、お嬢は黙って若が満足するまで撫でてあげるしかない」
「ルノワ様が『撫でてほしい』と仰るのは、『大好き』と仰ってるのと同じということですね」
ユーリスだけでなくクロエにまで微笑まれ、ルルーシャはもじもじとテーブルの上で視線を彷徨わせた。
「で……でも、本当にいっぱいいっぱいなの。毎日、ドキドキしすぎて……」
すかさずメルトが言う。
「それは恐怖心より、『好き』の比重の方が非常に大きいですよね?」
「う……うん、それはそう、だけど」
「では、もっと好きになりましょう」
「え?」
今だけで限界だと言っているのに「もっと」と言われ、ルルーシャは目を丸くした。
「もっともっと若様を好きになって、若様だけでなくお嬢様も、いつでも触れ合っていたいと思えるようになれば良いのです」
相変わらず表情が動かないメルトが、僅かに目を細め上着の内ポケットから一枚の便箋を取り出した。
「エドガー様からのお手紙です」
ピラと開いて見せられた文面は、確かにエドガーの力強く堂々とした筆跡だった。
──────
可愛い我が妹 ルルーシャへ
明日の昼、二国の騎士達の合同訓練として城で模擬戦を行う。
フィオはもちろん参加するが、メルトとユーリスも出場させることに決めたから、その間お前の護衛が不在になる。
特別観覧席を用意しておくから、模擬戦が終わるまでそこで大人しく婚約者の勇姿でも眺めていてくれ。
『獣人を護衛に連れた令嬢』として、城内を練り歩いてから来てくれると尚良いな。
頼んだぞ。
──────
ルルーシャの視線が最後の文字まで移動し終わったのを見計らい、メルトが言った。
「さ、明日は若様のかっこいいお姿をご覧になって、もっともっと大好きになりましょうね」
こうして、ルルーシャは翌日皆と一緒に城へ行くことが決まってしまったのだった。




