第21話 手掛かり
クロエの報告書は、優しげな筆致で綴られていた。
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ルノワ様が人化していらっしゃる間は、殆どの時間お二人は手を繋いで寄り添っていらっしゃいます。
お互いに好意を寄せていらっしゃるのが伝わり、関係は良好です。
仲睦まじい恋人同士と言って遜色ない距離感になりましたので、私が提案した特訓はなしにして、その時間をお二人で過ごす自由時間や、ダンスの練習時間にあてています。
お二人が幸せそうに微笑みあって踊っていらっしゃるお姿がとても素敵で、早くエドガー様にもご覧頂きたいです。
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「これはパーティー当日が楽しみだな」
微笑ましい報告内容に、エドガーが柔らかく笑う。
レナートも同意して目を細めた。
「本当に。だがエドガー殿……俺まで招待して貰って本当によかったのか? シャルトレ嬢はこれがデビュタントになるんだろう? 顔見知りばかりの方が良かったのでは」
ここキフェール国では、十八歳の成人で夜会に参加することができるようになり、一人前の貴族として社交の場に迎えられる。
伯爵位以上の高位貴族は、年に一度国で開かれる成人した貴族を祝う夜会の前に、各家門で親交の深い貴族を招待して先にデビュタントパーティーを行うのが一般的。
だがそこに王族が出席するのは、基本的には敬遠される。
デビュタントの主役よりもそちらへ皆の意識が向かってしまうのに加え、特定の家門が王族との特段の繋がりを明示することに繋がり、政治的な天秤が大きく傾きすぎるためだ。
レナートはそもそもレオドニル国の王族であり、さらに今はキフェール国の第三王女と婚約しているため、この国でも準王族に該当する。
全てにおいて自分の意見を通しそうな立派な虎獣人の、意外にも遠慮がちな問いかけに、エドガーは苦笑した。
「まあ、今回は慣例を無視してでも殿下との繋がりを明確にしておく方がいいですからね。ルルーシャも『晴れ舞台が』などと気にする性格でもないので、ご心配は無用です。それに、今回はフィオを婚約者として初めて皆に紹介するのです。主人としても幼馴染としても、祝いの場には殿下も同席されたいでしょう」
「貴殿の気遣いには、本当に感謝しきれないよ」
そのまま穏やかにクロエの報告書を読み進めていたが、三人の表情は紙を捲るにつれ徐々に曇った。
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最近よく「フィオグラウス様といると、懐かしいような不思議な感じがする」と仰っています。
ですが、記憶を取り戻しそうなためか、お嬢様は不安げにされている時間が増えました。
ルノワ様が屋敷にいらっしゃらない時間は、お庭で過ごしたがられます。
部屋で過ごされる時は、しきりに扉を気にしていらっしゃいます。
今日は雨のためお部屋でお過ごしだったのですが、扉を開けた時に偶然廊下にメルトとユーリスがいて、お嬢様はユーリスを見て、一瞬酷く怯えた表情をされました。
お嬢様がご自身では気付いていらっしゃらない様子でしたので、深く追求はしていません。
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「……ユーリスに怯えた?」
眉を寄せたレナートに、イアンも怪訝な顔を向ける。
「犯人と背格好が似ているということでしょうか」
「あいつは金眼黒髪だったよな。白髪も混じっているが……それに近いということか?」
「いや、全体ではなく、何か一つだけ特徴が合致しただけかもしれません。もう少し手掛かりが掴めるまで、犯人像を絞るべきではないでしょう」
話し合いながら、続きを読む。
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夜にうなされていることが増えたようです。
本当はルノワ様に同じ寝室にいて頂くのが、お嬢様のお心が一番安定すると思うのですが、頑なに断られています。
何か良い方法はないでしょうか?
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「やはりか……」
エドガーは苦しげに顔を顰め、片手で眉間を押さえため息を吐く。
彼がフィオグラウスとルルーシャを「同じ寝室で」と言った一番の理由は、妹が昔のように悪夢を見て錯乱するのを防ぐためだった。
事件のすぐ後。
ルルーシャは頻繁に取り乱し、その度にフィオグラウスを探し回った。
「フィオはどこですか!? お願いします!! フィオに会わせて下さい!!」
錯乱して泣きじゃくりながら、忘れてしまった家族に叫ぶのはその言葉だけ。
だがフィオグラウスは重傷を負っており、治療後はすぐに国へ送られた。
恐怖で泣き続けるルルーシャに事件のことを問うこともできず、何日も何週間も何ヶ月もその状態が続いた。
そして最後には己の心を守るために──ルルーシャは、フィオグラウスのことも忘れてしまった。
「二度と思い出したくない」とでも言うように、獣化したフィオグラウス──白狼の姿は白い犬に変換され、紐づく事件への恐怖は、犬に対する恐怖に置き換わってしまっていた。
「思い出せていなくても、何か感じるものはあるはずなんだ。今傍にいたがるのもその兆候だろう。フィオが一緒にいてさえくれれば、悪夢を見ても大丈夫だと踏んでいたんだが……」
目を閉じ思案しているエドガーに、難しい顔をしたレナートが言う。
「二人が断るのを責めることもできないし、悩ましいな。羞恥心や貞操観念のこともあるだろうが……そもそも夜もずっと人化し続けるなんて獣人には無理だ。気が触れてしまう」
イアンも同意し、腕組みをして天を仰ぐ。
「そうですね。現状でも……フィオたん、かなり無理していますし」
獣人が最も安定した精神状態でいられるのは、半獣化の状態だ。
ほぼ理性を手放した状態の獣化はもちろん、人化した姿も、長時間続ければ大きな負担がある。
頭痛に眩暈、吐き気や不安感の増幅、その他にも心身ともに異常が出始め、無理にそのまま続ければ最終的には気が触れ、獣化し戻れなくなる場合もあるのだ。
「シャルトレ嬢の負担を考えると、一気に全てを思い出させる事もできない。ひとまず半獣化の状態に慣れて貰わなければ、夜にそばで見守る事もできないのが現状だな」
「もう少しだと思うんですけどね……それまで妹君には耐えてもらうしかない、としか……」
深くため息を吐きながら策を考えていた──その時。
「──ああ、これは……どうやら少し来るのが早かったようですな」
ノックもなしに大きな音を立てて応接室の扉が開き、無遠慮な大きく通る声でそう言ったのは、反獣派の筆頭貴族であるジャルジュ侯爵だった。
扉よりも横幅があるのではと思うようなでっぷりとした巨体。
短い白髪を後ろへ撫で付け、下がった眉に柔和そうな笑みを浮かべている。
一見すると人の良さそうな顔をしているこの老人が、国の保守派を牽引し続ける有力貴族であり、一筋縄ではいかない人物であることは誰もが知っている。
片眉を大きく上げた侯爵は、レナートに向けて金の瞳をわざとらしく眇めてみせた。
「隣国の特使の方が来られる前に、副長官殿と打ち合わせをと思ったのですが……噛みつかれても困りますからな。後でまた参りましょう」
遠回しに獣扱いされたことを歯牙にも掛けず、レナートは涼しい顔で席を立つ。
「いや、ジャルジュ侯爵、それには及ばない。長居しすぎたのはこちらだ。すぐに退室しよう」
イアンを引き連れ扉へ向かおうとすれば、ジャルジュが肩をすくめた。
「いやいや! お気遣い無用! 私は時間を置いてから参りますので。エドガー殿、換気が済んだらお声掛け頂きたい」
「ジャルジュ侯爵──」
エドガーが明らかに苛立ちを瞳に映すが、それを躱すように「彼の国は血の気が多くて困りますな」と笑いながらジャルジュが部屋を出ていく。
最後に彼がチラリと視線を向けた先では、イアンが腰に下げた剣に手をかけていた。
入れ替わりに、焦った表情の品のある壮年の男が顔を覗かせる。
「今、揉めてませんでし──ああ、遅かったようですね」
部屋の中、微笑んだまま冷ややかな空気を纏う三人を見て肩を落としたこの男は、エドガーの上司である国防長官──グルベア侯爵。
大きくうねる茶色がかった白髪を後ろで結び、ざっくりと分けただけの束ね損ねた長い前髪がやや痩けた頬に垂れている。
細い金縁のメガネの奥には、切れ長の黒い瞳。
元々はエドガーの父の部下として国防省の副長官を務めていた彼は、今年で六十歳を迎えるらしいが、スラリと上品な見た目のおかげで、十歳程は若く見える。
長官になるまでは、病弱なこともあり長く補佐的な役割に甘んじていた人物だが、薄い唇から紡がれる穏やかな語り口には、聞く者を引き込む不思議な魅力があり、エドガーとジャルジュの緩衝材として、今最も必要とされる男だった。
「はあ……できるだけ接触しないように配慮していたんですが……力不足でしたね」
眉を下げるグルベアに、レナートが言う。
「いえ、グルベア殿が気にされるようなことでは。どこにでも事故というものはありますから」
「そういう訳には……。ジャルジュ侯爵に厳重注意して参ります。エドガー君、我が国の騎士団とレオドニル国の騎士達での合同訓練について調整をしたいんだけれど、すぐ戻るから、この後いいかな?」
「はい、大丈夫です。ジャルジュ侯爵は今すぐ話すと殴りそうなので、後回しにします。自業自得なので文句はないでしょう。グルベア長官のお話からで」
「それは賢明な判断ですね。エドガー君は、お茶でも飲んで待っていて下さい。では、失礼」
グルベアは柔らかく苦笑しながらそれだけ言い残すと、素早くジャルジュ侯爵の後を追いかけた。
「はあ……では今回の近況報告会はこれで終了、ということで」
ため息を吐いたイアンが、報告書を回収していく。
「ああ。ひとまず順調だ、という結論でいいかな? エドガー殿」
「そうですね。もう少し、このまま見守りましょう」
三人で頷き合い、レナートとイアンは部屋を後にした。




