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第13話 ときめき度合いは運まかせ 1

 侯爵家の別邸での暮らしが始まって、もうすぐで一ヶ月が経つ。

 

 二人の仲は徐々に深まり始めていたが、半獣化しているフィオグラウスに触れるまでには至らず、特訓は未だ絶賛継続中。

 

 この日は彼の仕事が休みのため、朝食を済ませた後からクロエ考案の特訓を行うことになっていた。


 朝はメルト考案の特訓、夜はユーリスの、そして休日などのゆっくり時間がとれる時には、さらにクロエが考えたものが追加されるのだ。


「さあ、本日分の『ときめき』は、お嬢様に決めて頂く番ですよ!」


 あたたかな日差しが差し込む、屋敷のコンサバトリー。


 キラキラと輝くガラス張りの壁面を背にして、満面の笑みを浮かべたクロエが、正面に立つルルーシャに言った。


 ゴクリと生唾を飲み込んだルルーシャの隣には、同じく緊張の面持ちのフィオグラウスが並び、二人とも真剣な眼差しでクロエの()()を凝視している。


 彼女が持っているのは、可愛らしく狼の足跡の刺繍が施された、両手にちょうど乗せられる大きさの布製の袋。


 だが二人が注目しているのは、袋そのものではなく、その()()だった。


「ルルーシャ、お願いしますね」


 不安げに眉を寄せたフィオグラウスから懇願するように言われ、ルルーシャは唇を固く引き結び「はい」と一つ頷くと、クロエが持つ袋の中へ、恐る恐る片手を入れた。


 二人のこの日の命運を決める、()()()()()()()に。







 始まりは、作戦会議の日に遡る。


「とりあえず、お二人に大事なのはまず会話だと思うんです。たくさんお互いの事を知って、しっかり仲を深めて頂きたいので、ルノワ様は人化の状態のまま、雑談を交わす時間を設けるのはどうでしょう?」


 クロエは確かにそう言っていた。


 ──互いを知るため、会話を重視する。

 ──人化のままでいい。 


 その言葉に、ルルーシャとフィオグラウスはすんなり賛同した。


「クロエ、凄く良い意見ね。相手の事を知るって一番大切よね」


「私もそう思う。メルトやユーリスと違って、良識的な意見で嬉しいよ」

 

 クロエは「うふふ」と微笑み、さらりと付け加えた。


「お二人の気分転換も兼ねて、その都度()()を引いて頂けませんか? 『お庭を散歩しながら』ですとか、『お茶を飲みながら』などのくじをご準備しますので、それに従ってお話して頂きたいです」

 

「楽しそうね! 良いと思う!」


「ただ座って話をするより、会話も弾みそうですね」


 特に反対意見も出ず、彼女の案は平和的に採用されたのだが──。








「はい、じゃあ引いたくじを見せて下さい」


 ニコニコのクロエが手を出し、ルルーシャからくじを受け取る。


 一度の特訓で引くのは三つ。


 特訓を行う日ごとに、フィオグラウスとルルーシャが交互にくじを引くのだ。


 一枚目を開いて、クロエはわざとらしく目を丸くして口元を軽く手で押さえる。


「あらあら、これは──」


「何て書いてあったの!?」

「早く教えてくれ」


 ほぼ同時に必死な顔で詰め寄られ、クロエは思わず笑ってしまった。


「そう焦らないで下さい。まず一つ目の内容は……『お庭で三十分、恋人つなぎで手を繋ぎながら』です」


「よ……よかった。()()だわ」

「ルルーシャ、本当にありがとう」


 あからさまにホッとした表情で視線を交わしあうルルーシャとフィオグラウス。


 引いたくじの内容に二人が心の底から安堵したのには、理由があった。


 ただ穏やかに会話をするだけだと思っていたクロエ考案の特訓は、蓋を開けてみればそんな生易しいものではなかったのだ。


 彼女が考えたのは、その名も『ときめき度合いは運まかせ。全てのいちゃいちゃを制覇しちゃうぞ大作戦』。


 内容は至って簡単。


 クロエが言っていた通り、くじを引き、そこに書かれた()()に従いながら二人で雑談を交わすだけ。


 だがその指令の内容というのが、()()()だった。


『お庭を散歩しながら』も『お茶をしながら』も、もちろん書いてあったが、それだけではなかったのだ。


『ソファで隣に座って』

『向かい合って両手を繋いで』

『背中合わせで座って』

『髪に触れながら』

『壁ドンした状態で』

『ルルーシャに膝枕されながら』


 くじに書かれているのは、思わず相手にドキドキし、ときめきを誘うような指令ばかり。

 

 しかも、ただただ二人をいちゃいちゃさせる事だけを考えているクロエのせいで、回を追うごとに明らかにくじの内容が甘くなるのだ。


 二人は『見守り隊』に抗議したが、「お二人は賛成しましたよね」と笑顔で流されるだけだった。


「はあ……手を繋ぐだけなら一つ目は何とか大丈夫そうだけれど……残り二つのくじが本当に心配すぎる」


 フィオグラウスは憂いを帯びた視線を伏せ、悩ましげに息を吐いた。


 恋人同士でしかやらないような指令の数々に、毎回二人は赤面し、困惑し、恥ずかしさで四苦八苦していた。


 そして、特にフィオグラウスにとってこの特訓は、()()に等しかった。


 ルルーシャと至近距離で触れ合う時間は、極上のご褒美に違いなかったが、その状態で人化が解けないように耐えるのは、本当に至難の技だったのだ。


「若様、頑張って下さいね。恐怖心克服ではなく、いちゃいちゃに慣れるのが目的なので、耳と尻尾が出ないよう、心をしっかり保って下さい」

「手、繋ぐだけなら、この前の膝枕に比べたら余裕だろ。いける、いける!」


 主人を差し置いてソファに座り、面白そうに声援を送ってくるメルトとユーリスをキッと睨んだ後、フィオグラウスはほんのりと顔を赤くしてルルーシャへ声を掛け、手を差し出した。


「──ルルーシャ」


「はっ、はい」


 緊張気味に答えながら、彼の手の上にルルーシャも片手を重ねる。


 手が触れるかどうかという瞬間、フィオグラウスの指がするりと彼女の指の間に入り込んで絡め取り、手のひらを大きな手でやんわりと握られ、ルルーシャの顔にじわと熱が集まった。


「では、私たちはここで見守っております。手を繋ぐだけなので半獣化もしないでしょうし、お二人だけでお話して来て下さい。手は絶対離さないで下さいね」


 笑顔のクロエに送り出され、二人は手を繋いだまま、庭へと歩み出た。


 





「庭の花々も違うものが咲き始めましたし、少し見てまわりましょうか」


 外に出ると、フィオグラウスにそう提案され、ルルーシャは頷いた。


(ただじっとして会話するだけだと、どうしても繋いだ手が気になってしまうわ。お庭を歩きながらの方が絶対にいい)


 フィオグラウスの手は、絵画から抜け出して来たようなその美麗な顔立ちとは裏腹に、騎士らしく剣ダコや古傷の痕などがあり固く力強い。


 だが決して力を込めず、優しく守るように手を繋がれ、普段のエスコートで触れるだけの時とは、熱の溶け合い方が全く違う。


 ルルーシャの胸は、淡く高鳴っていた。


(お父様とも……お兄様とも違う)


 隣で歩く彼は、そっと手を繋いだままルルーシャに歩調を合わせてくれている。


(優しくて、いつも気遣って下さって……本当に、素敵な騎士様だわ)

 

 庭の奥、咲き誇る白薔薇のアーチの中を二人でゆっくりと進みながら、風で揺れるさらりとした白い髪が光を弾いて美しく、思わず見惚れてしまっていた。


 すると不意に、花を眺めていたフィオグラウスが、視線を前に向けたまま困ったように口を開いた。


「あの……そんなに見つめないで下さい」


 繋いでいない方の手で口元を押さえる彼の顔が、赤い。


「ルルーシャには、私でなく花を見ていて貰わないと……私があなたを見つめられません」


「え──」


 ルルーシャの心臓が、どっと大きく鳴った。


 言葉に詰まっていると、フィオグラウスは視線の先でこぼれ落ちんばかりに咲く大輪の白薔薇から、一枚だけ、優美な花弁をその手に取る。


 そのまま静かに向かい合い、宝石のような紫の瞳が愛しげに細められたかと思うと、繋いでいる手が彼の方へと優しく引き寄せられた。


 大きく一歩近づき驚いて見上げれば、彼の顔が吐息が触れるほどの距離にある。


 頬を染めたルルーシャが動けないでいると、フィオグラウスは手にしていた白薔薇の花弁を、そっと彼女の額に触れさせた。


「何を──」


 ルルーシャがそう口を開いた瞬間、彼は手を繋いだまま僅かに身を屈め、花弁越しに彼女の額に口付けを落とした。


 近付いた熱だけが移り、思わず繋いでいた手をぎゅっと握ってしまう。


「ふぃ……フィオグラウス、さま」


 みじろぎ一つできず、消え入りそうな震える声で名を呼べば、フィオグラウスの顔がゆっくりと離れる。

 

 目眩がしそうな薔薇の香りが頬を掠めながら、二人の間を花弁がはらりと舞い落ちていった。


「すみません。あなたと二人きりだと思うと……我慢できませんでした」


 絞り出すような吐息と共に、低く穏やかな甘い声で謝罪の言葉が呟かれる。


 繋いでいる手以外、彼は指一本触れていない。


 だがルルーシャはこれまでのどの触れ合いよりも、フィオグラウスの熱を一番近くに感じ、呼吸さえも忘れていた。



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