第11話 狼にご飯をあげてみましょう 1
「はあ……今日もこの時間が来てしまったわ。でも……頑張らなきゃ」
夕食を摂るために赴いた、食堂の入り口である扉の前。
クロエに付き添われ俯くルルーシャは、激しく脈打つ胸を押さえ、呼吸を落ち着かせるために大きく息を吐いた。
日が沈み始めると、ルルーシャは毎日緊張で落ち着かなくなる。
なぜなら、フィオグラウスが帰宅したあと──夕食の時間に行われる特訓が、彼女にとって一番の難関だからだ。
その特訓とは、ユーリス考案『仲良くなるにはまず餌付け。飼ってる狼にご飯をあげよう大作戦』だった。
内容は至って簡単。
その名の通り、半獣化したフィオグラウスにルルーシャが食事を食べさせてあげるだけ。
「直接触れないなら、せめて恋人っぽく『あーん』くらいすればいいんじゃね?」とユーリスが言い出したのが始まりなのだが、この特訓内容を決めるのに、実は一同が揉めた。
一緒に暮らすことが決まった日。
別邸に到着し屋敷の中の案内が終わったあと、応接室で緊急会議が開かれた。
議題はもちろん『二人をいちゃいちゃさせるにはどうすれば良いか』。
侯爵家から来ていた使用人も含め全員で話し合ったのだが、「ご飯を食べさせる」というユーリスの案にまず異を唱えたのは、もちろんルルーシャだった。
「む、無理よ!」
ソファから飛び上がるかと思うほど驚き、焦って叫ぶように拒否する彼女に、正面に座るフィオグラウスの後ろ、背もたれに寄りかかって立っていたユーリスが大きく片眉を上げた。
「えー、でも食べさせるだけですよ? いちゃいちゃと言えば『あーん』は鉄板ですって」
「で……でも」
眉を下げて瞳を揺らすルルーシャが見ていられず、クロエが助け舟を出す。
「半獣化の状態で、というのがまだ早すぎなんじゃないですか? 必然的に距離も近いですし」
首を上下にコクコクと振り震えるルルーシャが必死に同意を示した。
その場にいる全員が「怯えるリスみたいだな」と思ったが、誰も口にはせず無表情を貫く。
だがユーリスは譲らなかった。
「触るわけじゃないし、いけるって。フォークとかスプーンの分は距離あるじゃん」
彼は、ルルーシャが跪くフィオグラウスを撫でる僅か直前まで近づけたことを引き合いに出し、「正直、もっと攻めた内容でも大丈夫だと思うぜ」と言う。
すると、「ふむ」と思案顔のメルトもその意見に賛同し始めた。
「確かに、祝賀会までには時間もないですし、多少強引な方法も取り入れた方が良いかもしれません」
「だろ? 俺的にはさっさとチューでも何でもすればいいと思うけど」
さらりと爆弾を落とされ、『いちゃいちゃする方法を考える』という場に浮かれそうになる心を落ち着かせるため紅茶を飲んでいたフィオグラウスが、盛大に咽せた。
「ぐっ、ごほ……おい、ユーリス」
「いや、だってそうだろ。エドガー様なんて『同じ寝室に放り込め』って言ってたんだし。人化の状態ならお嬢も大丈夫なんだから、既成事実を作ってまずは物理的に距離を──」
「いや、お前本当に黙れ! ルルーシャ、私はあなたにそんな無体を働こうなんて考えていません! 誓って!!」
ユーリスの頭を掴んで口を押さえ、顔を真っ赤にしたフィオグラウスがルルーシャに叫ぶ。
同じく首まで朱に染まったルルーシャは、両手で顔を覆っていた。
「は……はい、わかっています。あの……私も、い、いずれは……とは思っていますが、その……まだ……あの……」
その言葉に、フィオグラウスは「え」と目を見開き固まった。
拘束が緩み、口を塞いでいた主人の手を剥がしたユーリスが笑顔で言う。
「よかったな、若!! お嬢のこんな言葉が聞けて」
「うるさい、本当黙ってろ!!」
緩みそうになる赤い顔を必死で隠すため、両手で顔を覆い背を丸めて蹲るようにソファに沈むフィオグラウスの頭を、ユーリスがガシガシと撫で回した。
メルトはそれを無視して話を続ける。
「まあ、そこまではせずとも、半獣化には慣れて頂かないといけないので、『あーん』は確かに特訓に取り入れたいですね。お嬢様が『無理』と仰っているのは、恐怖心からですか? それとも恥ずかしさからでしょうか」
「ど……どっちも」
こちらも顔を手で隠し俯いたままのルルーシャが、小さく声を絞り出す。
「ふむ……それならば、私が提案した、恐怖のドキドキを恋だと錯覚させる方法とも似た状況になりますし……いいでしょう。採用で」
「「「「え!!」」」」
全員の視線が一気にメルトに集まった。
この会議の最終決定権は、実は彼が握っている。
恐怖心を克服しなければならないルルーシャにもちろん決定権はなく、クロエとフィオグラウスは彼女に甘いので不可。
ユーリスは大雑把でふざけすぎる所があり、他の使用人達は彼らを差し置いて何かを決定するには立場が弱すぎたのだ。
無表情のまま、メルトが言う。
「今大事なのは、お嬢様が『どこまで許容できるか』ではなく、『どうやったら許容できるか』を考えることです。半獣化した状態のフィオグラウス様に『あーん』するのは、どうすれば可能だと思いますか?」
じっと見つめられ、ルルーシャは顔を赤くしたまま困り果ててしまった。
(メルトの言う通りだわ。祝賀会では、お耳と尻尾があるフィオグラウス様の隣で仲良しな婚約者だと示さなければいけないのに……無理だなんて言ってられない。どうすれば……どうすれば近付けるのかしら)
真剣に考え、そして眉を下げポツリと呟いた。
「……絶対に……大丈夫だと、安心できたら……」
「安心とは? 信頼関係とか、気持ちの問題という事ですか?」
「そうじゃなくて、あの……お耳が犬に見えてしまうと……もしかして突然飛び掛かって来るんじゃないかって……噛まれるんじゃないかって気持ちが湧いてきて……怖くなってしまうの。だから……絶対に動かないというのが確信できたら……できる、と思う」
撫でようと挑戦してギリギリの所で失敗してしまったのは、緊張が最高潮の状態でフィオグラウスが耳を大きく動かしてしまったからだ。
ひざまずいて「動かない」と約束していたとはいえ、動こうと思えばすぐにそうできてしまう状況が、ルルーシャにとっては大きな脅威だった。
「わかりました、縛りましょう」
「「「「え!?」」」」
さらりと言い切ったメルトに、再び全員の視線が集まる。
「要は動かない……というか、動けなくしておけば良いという事でしょう。とりあえず慣れるまでは、若様を縛って、それで『あーん』して頂きましょう」
まさかの提案に、フィオグラウスが狼狽えた。
「いや、ちょっと待て。それは──」
だがそれをクロエが遮った。
「縛るって具体的にはどうするんです? 手を縛るくらいでは意味がないんじゃないですか?」
「椅子に縛ってしまえばいいのでは?」
「あーそれで良いじゃん。あとさ、目隠しとかしといたら、より動けなさそうで良いんじゃね?」
真剣に相談を始めたメルトに、ウキウキとしたユーリスが加わった。
「でもお嬢様はルノワ様のお顔に集中されないといけないので、目は見えていた方が良いと思うんです」
「なるほどなー。あ、じゃあ逆にお嬢に目隠しして、一気に触るとこから始めて手触りから慣れてもらうっていうのは?」
「何言ってるんですか。お嬢様は暗闇も怖いので目隠しはできません」
「問題は、どれくらいの量から始めるかですね」
「流石に一食全てはお嬢様の心臓が持ちませんよ」
「じゃあデザートだけとか?」
どんどんと『見守り隊』の中で話が進み、涙目のルルーシャが視界に入ったフィオグラウスがたまらず制止した。
「ちょっと待て、お前達。別にそこまでしなくても──」
だが、すでに『あーん』までの道筋が見えてしまった三人は、大真面目な顔で畳み掛けた。
「若様、いいんですか?」
「お嬢様からの『あーん』ですよ?」
「絶対やるよな?」
フィオグラウスの心は揺れた。
正直に言えば、『あーん』はして欲しい。
だが、縛ってまでしてやる事なのだろうか。
天秤がグラグラと両極に傾いては戻り言葉に詰まっていると、顔を真っ赤にしたルルーシャが眉を下げて言った。
「わ……私、頑張ります。できるだけ早く慣れますから……少しの間だけ、あの、し……縛られて頂けないでしょうか?」
その言葉に、フィオグラウスは天を仰いで「わかりました」と言う他なかった。




