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第16話:最高の茶会をプロデュース

 エリオット王子の先遣隊が撤退してから、領主館を包む空気は、まるで嵐の前の静止した海のように張り詰めていた。使用人たちは怯え、庭の鳥たちさえも羽音を潜めている。

 だが、リリアーヌ・ド・グランヴェルだけは、鏡の前でメイド服の襟をこれ以上ないほどぴしりと整え、不敵な笑みを浮かべていた。


「……ふん。あんな鉄屑連中に、わたくしの優雅な午後を邪魔させてたまるもんですか!」


 リリアーヌは、館の執務室の扉を勢いよく開け放った。

 そこには、相変わらず不機嫌そうな顔で、防衛予算の計算に没頭しているセドリックの姿があった。


「セドリック様! わたくし、決めましたわ。明日の午後、この館の庭園で『大茶会』を開催いたします! 四天王の皆様と、日頃お世話になっている街の方々を招くのですわ!」


「……不合理だ。国境には王子の本隊が迫っている。今は警備を固め、静粛を保つべき時だ。茶を飲んで騒いでいる余裕など、我が領地の計算式には存在しない」


 セドリックはペンを置かず、冷淡に切り捨てた。だが、リリアーヌは一歩も引かなかった。彼女は机を両手で叩き、セドリックの無表情な顔を真っ向から睨み据えた。


「いいえ、今だからこそやるのですわ! 王子が来れば、わたくしが『監禁されて弱っている』などと、おめでたい妄想を垂れ流すに決まっております。だからこそ、最高に美味しくて、最高に賑やかな場所を、あの方の鼻先に突きつけてやるのですわ! これこそが、わたくしにできる最大の迎撃戦ですわよ!」


「……迎撃戦、か」


 セドリックの手が、わずかに止まった。彼は眼鏡の位置を直し、リリアーヌの、瞳に宿る並々ならぬ「食欲」と「闘志」の混ざり合った光を観察した。


「……君のその、不条理なまでの行動力を止める方が、警備コストが高くつきそうだな。……勝手にしろ。ただし、私の執務の邪魔だけはさせないことだ」


「ふん、言われなくてもそうですわよ!」


 

 翌日。領主館の広大な庭園は、前代未聞の熱気に包まれていた。

 リリアーヌの号令を受け、四天王たちが最高級の調理器具(と、自分たちの魂)を持って集結したのである。

 

「女神様、準備はできてるぜ! 今日はザックス特製、『黄金の出汁たまごサンド』だ。冷めても旨い、極上の逸品だぞ!」

「あたしはこれだ! バネッサ特製、一口カツのデミグラス煮込み! 茶会でも片手でいけるぜ!」

「ルークの新作も忘れんなよ。蜂蜜とナッツを練り込んだ、背徳のスコーンだ!」


 リリアーヌは、公爵令嬢時代に受けた「王妃教育」のすべてを、この茶会の采配に注ぎ込んだ。

 テーブルの配置、クロスの色、花瓶の生け方。そして何より、下町のパワフルな料理たちを、いかに優雅に「茶会の供」として昇華させるか。


「ザックス、そのサンドイッチは対角線に切りなさいな! その方が断面が美しくてよ! バネッサ、ミートボールには小さな旗を立てて頂戴。ルーク、スコーンにはクロテッドクリームを山盛りにするのですわよ!」


 リリアーヌの完璧な指揮により、茶会はこれまでの領主館では考えられなかった、洗練と活気が同居する奇跡的な空間へと仕上がっていった。

 

 準備が佳境に入った頃。セドリックが、ふらりと庭園に現れた。

 彼は賑わう会場を遠巻きに眺め、リリアーヌの元へ歩み寄ると、脇に抱えていた小さな木箱を無造作に差し出した。


「……リリー。これを、燃料の一部として使うがいい」


「なによ、急に。爆弾でも入っていますの?」


「失礼な。……たまたま、倉庫の隅で眠っていた茶葉だ。あまりに古くなって品質が落ちては不利益なので、処分を任せる」


 リリアーヌがいぶかしげに木箱を開けると、そこには、目も眩むような芳醇な香りが詰まっていた。

 それは、母国でも一握りの王族しか口にできない、リリアーヌが最も愛し、そして隣国では絶対に入手できないはずの最高級茶葉だった。


(……これ、倉庫の隅になんて、あるはずがありませんわ。あの方が、わたくしのために、わざわざ……)


 リリアーヌは、箱を抱えたまま、セドリックの横顔を見上げた。彼は相変わらず「事務的」な無表情を貫いているが、視線が泳いでいる。


「……セドリック様。……ありがとうございますわ。これで、わたくしが最高の一杯に淹れて差し上げますわね」


「……ああ。……毒見は、忘れないことだ」


 

 茶会が始まると、館の庭園には街の人々の笑い声と、美味しい香りが溢れ出した。

 リリアーヌは、四天王たちに囲まれ、自分のプロデュースした料理を幸せそうに頬張る。

 セドリックも、隅の方で「監視」と称しながら、ザックスのたまごサンドを二つ、三つと、驚くべき速さで「毒見」していた。


 リリアーヌは、温かなお茶を一口啜り、胸の奥が満たされていくのを感じた。

 美味しいものを、好きな人たちと、お腹いっぱい食べる。

 かつての孤独な晩餐会では決して得られなかった、この騒がしくて温かな時間が、今の彼女にとっての「世界」だった。


(……わたくし、もう、あの日々には戻りませんわ。……例え王子が来ようとも、この幸せは、わたくしが守り抜いてみせますわ!)


 決意を新たにするリリアーヌ。

 しかし、その楽しげな笑い声は、館の重厚な正門の外――そこで耳を澄ませていたエリオット王子の元へと届いていた。


「……聞こえるか。あんなに不自然で、痛ましい引き攣った笑い声が……(※実際はリリアーヌの心からの爆笑である)。リリアーヌ、君は恐怖のあまり、ついに正気を……! 待っていてくれ、今、この僕が、君をその狂った宴から救い出してあげるからね!」


 王子の「重篤な勘違い」が、ついに火を噴こうとしていた。

 門を隔てて、最高に幸せな茶会と、最高に独りよがりな救出劇が、正面衝突する時は目前であった。


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