↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵星の巫女―鬼封神楽―  作者: いろはにぽてと
4章 前編:桜唄編
79/88

76話 拒絶


 湯呑みを両手で抱えたまま、水蓮は俯いている。


 訊かなければならないことがある。


「水蓮」


「……はい」


「先ほどから、何についてあやまっているのですか」


 肩が、跳ねた。


 顔が上がる。


 目が、大きく見開かれていた。


 私を見て、それから時弦を見る。


 そして、また俯いた。


「……姫様は」


 声が、掠れている。


「まだ、ご存じないのですね」


 時弦が息を吐いた。


 ふう、と。


 長く、ゆっくりと。


 いつか必ずこうなると分かっていたような、息の吐き方だった。


「私たちが鬼となった日」


「時弦様」


「神楽の夜に玖音殿が倒れた毒はね」


「時弦様っ」


「水蓮の作ったものだよ」


 水蓮の口が、開いたまま止まった。


 私は椀を置いた。


 驚きは、思ったより小さかった。


 ……なんとなくは、わかっていた。


 里で毒を扱えるのは、時弦と水蓮の二人しかいなかったのだから。


 薬を煎じる横で、水蓮が別の壺から粉を量っていたことも、私は見ている。


 あの時は、何も思わなかった。


「水蓮」


「……はい」


「本当ですか」


 上目遣いに、こちらを窺う。


 睫毛が、細かく震えていた。


 そして、小さく頷いた。


「……はい」


 それきり、黙っていた。


 やがて、堰を切ったように喋りはじめる。


「けれど、わたくしが盛ったのではございませぬ。

 求められるままにお渡ししただけで。断れる立場ではございませんでしたし、

 あれとて命を奪う量ではなく、しばし眠らせるほどのもので、

 いえ、量を誤れば止まる息も止まらぬではございませんが、わたくしは正しく量りましたゆえ」


「水蓮」


「姫様には、まことに、まことに申し訳のないことをいたしました。

 時弦様にも、あれほどの御迷惑を。わたくしのしたことで、あの夜のすべてが……」


 喋る。


 喋りながら、ひとつずつ言い訳を積んでいく。


 求められた。断れなかった。量は正しかった。


 どれも、自分の手はきれいだと言うための言葉だった。


 私は、待っていた。


 最後まで、待っていた。


 姫様。


 時弦様。


 その二つは出てきた。


 けれど。


 毒を受けたのは、私ではない。


 時弦でもない。


 玖音の名は、一度も出てこなかった。


 胸の奥で、何かがふつふつと音を立てはじめる。


 湯の沸く前の、あの、底の方で鳴っている音に似ていた。


「……わかりました」


 私は、静かに言った。


「水蓮。まずは――玖音に謝罪を」


 玖音がこちらを見た。


「姫様、私は」


「玖音は黙っていて」


 水蓮の顔から、色が引いた。


 許せることではない。


 それは、わかっている。


 けれど、あの夜、水蓮の目に玖音がどう映っていたかを、私は知らない。


 鬼だと思い込んでいたのなら。


 里を守るつもりだったのなら。


 それに、伏見で人を助けていたのが本当にこの人なら。


 今回だけなら。


 目を、つぶれるかもしれない。


 だから待った。


 たった一言で、よかった。


「……水蓮」


 水蓮は、玖音を見なかった。


 見ないまま、袖の中で指を握り込んだ。


 そして。


「嫌ですわ」


 鳥の声が、遠くで途切れた。


「なぜ、わたくしが。そちらは人ではございませぬ。人でないものに詫びる道理など、どこにも――」


 衣の擦れる音がした。


 立ち上がる音も、足音も、私には聞こえなかった。


 気づいた時には、時弦が水蓮のすぐ傍に立っていた。


「あ」


 乾いた音が、響いた。


 時弦の手が、水蓮の頬を打っていた。


 体が横へ流れ、そのまま地面へ倒れ込む。


 砂が、ふわりと舞った。


 長い髪が、地面に広がる。


 誰も、声を出さなかった。


 玖音が、腰を浮かせたまま固まっている。


 奥で、店主が湯桶を取り落とした。


 湯が土に染みて、湯気が上がる。


 私は、立ち上がっていた。


 いつ立ったのか、覚えていない。


 里にいた頃、時弦が水蓮を叱るのは幾度も見た。


 それでも、打つのを見たことは、一度もなかった。


「時弦……?」


 時弦は、倒れた水蓮を見下ろしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。