表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵星の巫女―鬼封神楽―  作者: いろはにぽてと
3章・神威・白金の刃
74/76

71話 母の頼み

ようやく、人の声よりも静けさの方が多くなっていた。


死者は、指で数える程度だった。


けれど、怪我を負った者は数知れない。


朝日が、焼け落ちた伏見を照らしていた。


黒く炭化した梁の隙間から、白い煙がまだ細く立ちのぼっている。


昨夜まで炎だったものが、今はただの灰と成り果てて、風が吹くたびに舞い上がっては消えた。


亡くなった者たちを集め、廃材を寄せ集めた篝火の前で、皆が手を合わせる。


泣いている者がいた。


名前を呼び続ける者もいた。


その声は、悲鳴でも慟哭でもなく、ただ静かだった。


もう、叫ぶだけの力さえ残っていないのかもしれない。


なのに。


私は、その人たちのことよりも。


玖音が屠った、あの雷馬のことばかりを考えていた。


あれほど恐ろしく、私たちを苦しめた鬼。


それなのに、胸の奥にはぽっかりと穴が空いている。


神威神楽で、あの鬼の記憶を深く覗きすぎたからだろうか。


まるで。


私の人生の一部まで、終わってしまったようだった。


悼むべき相手を、私は間違えているのかもしれない。


そう分かっていても、この虚ろさだけはどうしても拭えなかった。



伏見へ来た日に、最初の会合で出会った壮官様も、深手を負いながら一命を取り留めていた。


宗近様の友人であると知ったのは、すべてが終わった後だった。


壮官様の親族が言うには、重傷を負った壮官様を助けた者がいたらしい。


緑色の髪をした、凛とした女性だったという。


傷を診て。


薬を使い。


その場でできる限りの処置をして、いつの間にか姿を消したらしい。


私は時弦を見た。


「時弦は、知っているのですよね」


「ええ」


「誰ですか?」


「後で、と前にも申し上げましたが」


時弦は、そこで言葉を止めた。


しばらく黙ったあと、僅かに眉を寄せる。


「……気が変わりました」


「はい?」


「あの者は、私が姫様に名を語るのを待っているのでしょう」


「では、教えてください」


「嫌です」


「なぜですか?」


時弦は、あちらこちらに横たわる怪我人たちへ目を向けた。


「これだけの患者を、私は一人で診ていたのですよ」


「……はい」


「それなのに、姿を見せない」


声は穏やかだった。


けれど、ほんの少しだけ苛立っている。


「私から姫様に名を伝えて欲しいのでしょうが、(しゃく)です」


「……」


「私からは名を申しません」


「ですが」


「じきにあの者が観念すれば、自ら姿を現しますよ」


妙にきっぱりとしていた。


どうやら、本当に教えるつもりはないらしい。


私は諦めて、それ以上問いただすのをやめた。



玖音たちを引き連れ、宗近様の鍛冶場を訪ねた。


「こちらを」


刀の代金として用意していた金を差し出す。


だが、宗近様は受け取らなかった。


「既に亡き(くし)()様から頂いておる」


その一点張りだった。


母が私のために刀を作らせたなど、すぐには信じられなかった。


「……では、なぜ最初から渡してくださらなかったのですか?」


宗近様は少し黙った。


「姫君だけならば、渡しておったかもしれんな」


「私だけなら?」


「だが、あの刀を持つのは其方ではない」


その目が、玖音へ向けられる。


玖音が僅かに背筋を伸ばした。


「刀というものは、持つ者によって人を生かしもすれば、殺しもする」


宗近様は静かに言った。


「故に見ておった。姫君がどのような者か。そして、その従者が、どのような者かをな」


「……」


「儂が渡してもよいと思える者でなければ、あの刀は渡さんつもりだった」


私は玖音を見る。


玖音もまた、私を見ていた。


言葉はなかった。


けれど、その視線だけで、宗近様が何を見極めようとしていたのかが分かるような気がした。


「では……」


もう一度、刀へ目を落とす。


「本当に、母が……?」


それでも、信じ難い話だった。


私がまだ幼かった頃。


母は宗近様に、いつの日か空から白銀の石が落ちてくるから、それを刀にしてほしいと頼んだのだという。


母は占星術にも通じていたから、何かしら天の兆しを読み取っていたのかもしれない。


「儂も初めは、戯れ言だと思うておった」


宗近様が苦笑した。


「だが、金まで届いてしもうてな。いつ落ちるとも知れぬ石を待つ羽目になった」


「母が亡くなったあとも、ずっと?」


そう尋ねると、宗近様の顔が僅かに固まった。


「……そうだとも」


口を結び、惚けるように目を逸らす。


初めて会った時。


母が亡くなったと聞いた宗近様は、確かに驚いていたはずだ。


「もしや……刀を、私にお届けにならなかったことを、責められると思ったのですか?」


宗近様は答えなかった。


しばらく黙ったあと、玖音の持つ白銀の刀へ目を向ける。


「昔のことだ。儂も耄碌したのだろうな」


「……?」


「うむ。忘れておったのだ」


宗近様は、どこか自嘲するように笑った。


「刀は、振るう者がいてこそ刀だとな」


私は玖音の手にある刀を見る。


母から頼まれたからといって、ただ私へ渡せばよいものではなかった。


宗近様はずっと、この刀を託せる者を待っていたのかもしれない。


何より。


冗談のような母の言葉通り、空から白銀の石は落ちた。


そして今、その石から打たれた刀が玖音の手にある。


私はもう一度、金を差し出した。


だが宗近様は、黙ってそれを押し返した。


これ以上押し問答をしても、受け取ってはくれそうになかった。


「でしたら」


隣にいた時弦が言った。


「そのお金で、質に入れた衣を買い戻してはいかがですか」


「そうされるのがよろしい」


宗近様も頷いた。


そういえば、伏見へ来たばかりの頃。


路銀を得るため、母の形見である衣を質に入れていた。


ただ。


「質屋が、まだ残っているでしょうか」


この有り様だ。


店そのものが焼けていてもおかしくない。


宗近様は何かを思い出したように、鍛冶場の奥へ手を伸ばした。


「そうだ。時弦殿」


「はい」


「其方にも渡しておく物がある」


奥から持ってきたのは、一つの包みだった。


「少し遅れたが、何とか間に合った」


時弦は包みへ目を落としたあと、小さく頭を下げる。


「ありがとうございます。ただ、私たちはもう一度こちらへ戻ってきますので、後で受け取ります」


「そうか」


宗近様は鍛冶場の外へ目を向けた。


「里の中は荒れておるからな」


「ええ」


「ならば、旅立つ前に寄るとよろしい」


「そうさせていただきます」


私たちは宗近様に一度頭を下げ、鍛冶場をあとにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ