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宵星の巫女―鬼封神楽―  作者: いろはにぽてと
3章・神威・白金の刃
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70話 鬼が故

赫鬼は辺りを見回した。


焼け落ちた家屋。

崩れた井戸。

灰と土ばかりが残る伏見を眺め、ふん、と鼻を鳴らす。


「もう、ここには食うものもないのう。宇治へ帰るか」


「帰る……? 鬼のあなたが?」


「何じゃ」


「いえ。まるで家に帰るように仰るので、つい」


「儂を何だと思っておる」


赫鬼は朴刀を担ぎ直した。


「もう行くのですか?」


「腹が減った」


それだけ言い残し、赫鬼は歩き出す。


次の瞬間、その背から炎が噴き上がった。


翼のように大きく広がったかと思えば、轟音とともに赫鬼の身体が空高く舞い上がる。


あっという間に遠ざかり、やがて豆粒よりも小さくなっていった。


「相変わらず、豪快なお方ですね」


「姫様も、負けず劣らずですよ」


「私が、ですか?」


玖音を見る。


その両腕には、私が脱ぎ捨てた衣が山のように抱えられていた。


気が付けば、私の身に残っているのは白衣一枚だけだ。


「……すみません」


「いえ。……これは、捨てるわけではありませんよね?」


「もちろんです」


私は兄弟のほうへ向き直り、その場にかがみ込んだ。


「お二人とも、どこか痛いところはありませんか?」


「ん……」


兄のほうを見る。


顔や腕には、細かな擦り傷がいくつも走っていた。


「念のため、他にも怪我がないか診てもらいましょうね」


玖音も頷く。


私たちは兄弟を連れ、来た道を戻ることにした。


しばらく歩いていると、向こうからルカが駆けてくる。


「お姫様ーっ!」


「ルカ」


「もう、ほとんど調べ終わったよ」


「もう、ですか?」


思わず足を止めた。


あまりにも早い。


まだ、それほど時が経ったわけでもないというのに。


「どうして、そんなに早く見つけられたのですか?」


「時弦が、伏見中に髪を巡らせてるから」


「……髪?」


「ほら、これ」


ルカが地面を蹄で指した。


見れば、細い金髪が一本、瓦礫の隙間を縫うように伸びている。


「ただの髪に見えますが……」


しゃがみ込み、目を近づけてみる。


その先端に、小さな何かが付いていた。


丸い。


白い。


そして、その中央には――。


ぎょろり。


こちらを見た。


……ような気がした。


「…………」


私はそっと立ち上がった。


見なかったことにしよう。



皆のいる場所へ戻ると、時弦はちょうど最後の負傷者を診終えたところだった。


あれほど大勢を治療したというのに、なぜか落ち着かない様子で、しきりに自分の髪へ手を伸ばしている。


指ですいては、掌を見る。


もう一度すいては、また掌を見る。


「時弦?」


「はい」


「先ほどから、どうかしたのですか?」


「いえ……」


時弦は前髪を一房摘まみ、じっと見つめた。


「少し、心配になりまして」


「何がです?」


「過労で、髪が薄くなっていないかと」


「…………」


私は先ほど見た、伏見中を這っていたあの髪を思い出した。


瓦礫の奥へ。


家屋の下へ。


井戸の中へ。


あれだけ好き放題に伸ばしておきながら、気にするのはそこなのだろうか。


もっとも、私にはそれ以上に気になることがある。


伏見へ来た時と比べれば、時弦の身体はひと回りどころではなく縮んでいた。


誰が見ても分かるほど、小さくなっている。


それでも本人が案じているのは、髪の量らしい。


「大丈夫だと思いますよ」


「本当ですか?」


「ええ。少なくとも、伏見中に行き渡るくらいには、まだあります」


時弦は、ほっとしたように息を吐いた。


「それなら、よかった」


「……」


そこでふと、先ほどのことを思い出す。


髪の先端に付いていた、あの目。


「もしかして、時弦」


「はい?」


「あの髪で、私たちの様子を見ていたのですか?」


「ええ」


「あの髪に付いている目で……ここから?」


「それは……ええ」


「…………」


井戸の中で衣を脱いだこと。


何度も失敗しながら、衣を浮かせようとしたこと。


赫鬼の顔が大木にめり込んでいたこと。


――全部。


「最初から、ですか」


「だいたいは」


「…………」


思わず顔を上げる。


これだけの数の患者を診ながら、同時に伏見中を探っていたなんて。


ルカが次々と人を見つけられたのも、時弦が居場所を教えていたからなのだろう。


「時弦には、いつも驚かされます」


「そうですか?」


「昔、手当てをしてもらった時は、慣れない手つきで苦い薬草を塗られたものでしたのに」


あの頃を思い出す。


「今は、あれだけの人数を診ても、誰も痛がってすらいませんでした。まるで別人のようです」


「いいえ」


時弦は静かに首を振った。


「私は、何も変わってなどいませんよ。ですから、こうしてここに居るのです」


そう言って、優しく微笑む。


「……鬼に心を奪われていたら、今の時弦ではなかった、ということですか」


「ええ」


私は少し考えてから、傍らのルカへ目をやった。


「でも、ルカが時弦の鬼なら、安心ですね」


時弦は答えなかった。


僅かに目を伏せる。


「ルカも、例外ではないのですよ」


「……え?」


その意味を尋ねようとしたけれど、時弦はそれ以上何も語らなかった。


「私はこれで、少し休ませていただきます」


疲れ切った身体を引きずるようにして、その場を離れていく。


私は、遠ざかる背中を見送った。


――ルカも、例外ではない。


その一言だけが、妙に胸の内へ残り続ける。


「……何の、例外ではないのでしょうか」


「私にもわかりません」


玖音が呟いた。


結局、その意味を問い直すこともできないまま、私たちはその場を後にした。

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