53話 白銀の刃
数多の“名刀”を生み出し、名工と称された刀鍛冶――宗近。
彼がまだ若かった頃、ひとつの鉱石が鍛冶場へ運び込まれた。
空から落ちてきたというそれは、白銀の光を放ち、尋常のものとは思えなかった。
鉄ではない。
石とも、星ともつかぬそれは、夜の闇の中でも淡く輝き、まるで己がここに在ることを誇っているかのようだった。
その瞬間から、宗近の生涯は変わった。
この石を、ただ一振りの刃へと昇華させる。
それだけのために、男の半生は費やされることになる。
◇
時は流れ、宗近は老いた。
白銀を刃とするため、可能な限りの技法を尽くし、幾万もの試行を重ねた。
だが、その石はあまりにも異常だった。
炉の熱を浴びせても赤くならず、炎の中に沈めても溶けない。
水に沈めても冷えず、槌を振るえば、打った側の鉄が先に歪んだ。
焼き入れも、焼き戻しも、研ぎも、鍛えも、何もかもが常の理から外れていた。
まるで、人の技に屈するつもりなど初めからないかのように。
それでも、宗近は諦めなかった。
炉を作り替え、槌を打ち替え、己の技を疑い、未熟を呪い続けた。
そして晩年。
男の執念に応えたかのように、ついに白銀は刀の形を成した。
だが、宗近の胸には一片の歓喜すらなかった。
ある年、宗近は新たな刀を求める男の願いを断った。
その報復のように――
宗近がかつて鍛えた別の刀で、妻も息子も斬り殺された。
その事実が、男の心を絶えず刺し続けていた。
白銀の刀身に映った、年老いた己の顔を見た瞬間、宗近は震えた。
名工と称えられた肩書きなど、虚しいだけだった。
たとえ直接手を下しておらずとも、愛する者を死へ追いやった“悪”そのものに思えた。
宗近は完成した白銀の刀を台に置いた。
怒りも、悲しみも、すべて吐き捨てるように絶叫し、握りしめた槌を幾度も振り下ろす。
腕が痺れ、指の皮が裂け、息が絶え絶えになっても叩き続けた。
だが、刃はわずかな欠けすら生じなかった。
熱しても変質せず。
叩いても歪まず。
折れず、曲がらず、曇りもせず。
いかなる熱を浴びせても、刀身は一切たわまなかった。
炎が揺らぎ、炉が唸り、炭が白く燃え尽きても、刃だけは静かに白銀の光を放ち続けていた。
それはもはや、鍛えられた刀ではなかった。
刀という形を選んだ、何かだった。
宗近は悟った。
――この白銀の刃には、意志がある。
もはや、人の手でどうにかできる代物ではない。
これが世に放たれれば、どれほどの罪を生むのか。
そう思うほどに、宗近は刀を世から遠ざけた。
名を与えることもなく。
生みの親として、その業を背負うことからも逃げ続けた。
◇
そして今。
その白銀の刀は、宗近の腰に差されていた。
伏見の里は鬼の異形どもに襲われ、家々は無惨に打ち壊されている。
嵐は荒れ狂い、雷鳴は空を裂き、焼けた匂いが風に混じっていた。
宗近は、世に出すまいと封じてきた刃を初めて外へ持ち出していた。
この有事に至ってなお、託すべきか、捨てるべきかも決めきれない。
それでも気づけば、腰に差していた。
少し前、旧友の荘官、助六が噂を流した。
宗近の元に秘蔵の刀があるぞ、と。
その噂を聞きつけた者が押しかけてくるようになり、
宗近が助六に小言を言ったのは、つい先日のことだった。
刀を誰に託すかなど、今はどうでもいい。
宗近にとっては、ただ旧友の安否だけが気がかりだった。
宗近は助六のもとへ駆けた。
だが、目に飛び込んできたのは、雷に焼かれ、燃え落ちかけた荘官の家だった。
その前で、助六は親族に囲まれ、血に濡れて倒れていた。
宗近は地に膝をつき、声をかけた。
「助六……その傷は」
「……宗近か」
助六は、かすれた息で笑った。
「……血が止まらん。これは……もう、駄目かもしれん」
「馬鹿を言うな」
宗近は言った。
だが、その声には力がなかった。
助六の腹から流れる血は、すでに地面を黒く染めていた。
助六は宗近の腰に差された刀に目を向ける。
青ざめた唇が、わずかに動いた。
「……その刀は……。そうか……よかった」
「よかった……? どういう意味だ」
「……渡すべき相手が、見つかったのだろう?」
違う。
まだだ。
迷っている。
そう言おうとして、宗近は言葉を失った。
だが、正しく扱えるであろう者なら、確かに現れていた。
あの娘らの立ち振る舞いが、
どうしても、かつて信を誓った櫛菜姫を思わせた。
姫巫女と、その影。
あの二人なら。
「やっと……手放せるんだろう」
助六は息を震わせながら、穏やかな顔で言った。
「もう、自分だけを責め続けるな」
「助六……儂は――」
その時だった。
助六の震える手が、宗近の腰へ伸びた。
止める間もなく、弱りきった指が柄にかかり、鞘から刃をわずかに抜く。
宗近は慌てて、その手に自らの手を添えた。
満月の光を受け、白銀の刃が異様なほど美しく輝いた。
その光は、炎の色にも、雷の色にも染まらない。
焼け落ちる家の赤も、血の黒も、嵐の暗ささえも寄せつけず、ただ静かに白く冴えていた。
助六は、ほとんど声にならぬ息を漏らした。
「……おぉ」
その目は、幼子のように輝いていた。
「ようやっと……拝めたな……」
「……」
「妖に憑りつかれた刀などと、うそぶきおって……。
これほど美しい刃など、見たことがない」
宗近は何も言えなかった。
助六の腕は震え、視界はすでに霞んでいるはずだった。
それでも、彼は刃を見ていた。
ただ一心に。
「宗近よ……」
「何だ」
「なぜ、この刀に名を与えなんだ」
宗近の喉が詰まった。
助六は、かすかに笑う。
「恐れたのか。生みの親として、その“業”を背負うことを」
宗近は沈黙し、拳を握った。
「図星か」
「……黙れ」
「ならば……名を与えよう」
宗近が顔を上げた。
「名だと……?」
「……ッ、いいから……」
助六は、血の混じった息を吐いた。
「お前の業を……儂にも少し、背負わせろ」
「やめろ……! 地獄に落ちるぞ」
助六は白銀の刃を見つめたまま、かすかに笑った。
「それで、お前が怨嗟から抜け出せるなら……安いもんだ」
雷鳴。
その瞬間、世界の音が消えた。
助六の霞む瞳には、白銀の一刃と、空に浮かぶ満月だけが映っていた。
嵐の中、焼け広がる里に桜の花びらが舞う。
あり得ぬほど美しく、恐ろしい光景だった。
「――……満……月」
か細い声は、風にさらわれた。
だが、唇の動きだけで十分だった。
何十年も夢を語り合った仲だ。
聞こえずとも、読める。
宗近は確かに、その名を胸に刻んだ。
白銀の刃。
空に浮かぶ満月。
そして、散りゆく友の命。
すべてを噛みしめるように、宗近は顔を歪めて頷いた。
助六は安心したように微笑み、ゆっくりと意識を手放した。
落ちていく腕と刀を、宗近が支える。
親族の童たちが駆け寄り、助六に泣きついた。
宗近は、震える息を吐いた。
「儂などより……家族を大事にせんか、馬鹿たれめ……」
その時、刀の光に導かれるように、緑髪の薬師が駆けてきた。
宗近の住まいに身を寄せている、あの小柄な金髪の娘。
その娘が額に宿すものと似た、色違いの珠を、薬師は胸に着けていた。
知り合いか。
一瞬、そう思った。
だが、宗近は声をかけなかった。
宗近には、助六が助かるようには見えなかった。
それでも、その場を薬師に任せる以外、選択肢がなかった。
まだ、終わっていない。
この里には、まだ生きている者がいる。
泣く者がいる。
救いを待つ者がいる。
最後の力で背を押してくれた友の想いに応えるためにも、宗近は刀を託す決意をした。
里を襲った鬼を討つ。
そして、生き残った者たちを救う。
宗近は白銀の刀――満月を腰に納めた。
雷鳴が響く。
嵐が吹き荒ぶ。
その中を、老いた刀鍛冶は歩き出した。
すべての迷いを、断ち切るように。




