表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵星の巫女―鬼封神楽―  作者: いろはにぽてと
3章・神威・白金の刃
56/71

53話 白銀の刃



数多の“名刀”を生み出し、名工と称された刀鍛冶――宗近。


彼がまだ若かった頃、ひとつの鉱石が鍛冶場へ運び込まれた。


空から落ちてきたというそれは、白銀の光を放ち、尋常のものとは思えなかった。


鉄ではない。


石とも、星ともつかぬそれは、夜の闇の中でも淡く輝き、まるで己がここに在ることを誇っているかのようだった。


その瞬間から、宗近の生涯は変わった。


この石を、ただ一振りの刃へと昇華させる。


それだけのために、男の半生は費やされることになる。



時は流れ、宗近は老いた。


白銀を刃とするため、可能な限りの技法を尽くし、幾万もの試行を重ねた。


だが、その石はあまりにも異常だった。


炉の熱を浴びせても赤くならず、炎の中に沈めても溶けない。


水に沈めても冷えず、槌を振るえば、打った側の鉄が先に歪んだ。


焼き入れも、焼き戻しも、研ぎも、鍛えも、何もかもが常の理から外れていた。


まるで、人の技に屈するつもりなど初めからないかのように。


それでも、宗近は諦めなかった。


炉を作り替え、槌を打ち替え、己の技を疑い、未熟を呪い続けた。


そして晩年。


男の執念に応えたかのように、ついに白銀は刀の形を成した。


だが、宗近の胸には一片の歓喜すらなかった。


ある年、宗近は新たな刀を求める男の願いを断った。


その報復のように――


宗近がかつて鍛えた別の刀で、妻も息子も斬り殺された。


その事実が、男の心を絶えず刺し続けていた。


白銀の刀身に映った、年老いた己の顔を見た瞬間、宗近は震えた。


名工と称えられた肩書きなど、虚しいだけだった。


たとえ直接手を下しておらずとも、愛する者を死へ追いやった“悪”そのものに思えた。


宗近は完成した白銀の刀を台に置いた。


怒りも、悲しみも、すべて吐き捨てるように絶叫し、握りしめた槌を幾度も振り下ろす。


腕が痺れ、指の皮が裂け、息が絶え絶えになっても叩き続けた。


だが、刃はわずかな欠けすら生じなかった。


熱しても変質せず。


叩いても歪まず。


折れず、曲がらず、曇りもせず。


いかなる熱を浴びせても、刀身は一切たわまなかった。


炎が揺らぎ、炉が唸り、炭が白く燃え尽きても、刃だけは静かに白銀の光を放ち続けていた。


それはもはや、鍛えられた刀ではなかった。


刀という形を選んだ、何かだった。


宗近は悟った。


――この白銀の刃には、意志がある。


もはや、人の手でどうにかできる代物ではない。


これが世に放たれれば、どれほどの罪を生むのか。


そう思うほどに、宗近は刀を世から遠ざけた。


名を与えることもなく。


生みの親として、その業を背負うことからも逃げ続けた。



そして今。


その白銀の刀は、宗近の腰に差されていた。


伏見の里は鬼の異形どもに襲われ、家々は無惨に打ち壊されている。


嵐は荒れ狂い、雷鳴は空を裂き、焼けた匂いが風に混じっていた。


宗近は、世に出すまいと封じてきた刃を初めて外へ持ち出していた。


この有事に至ってなお、託すべきか、捨てるべきかも決めきれない。


それでも気づけば、腰に差していた。


少し前、旧友の荘官、助六が噂を流した。


宗近の元に秘蔵の刀があるぞ、と。


その噂を聞きつけた者が押しかけてくるようになり、


宗近が助六に小言を言ったのは、つい先日のことだった。


刀を誰に託すかなど、今はどうでもいい。


宗近にとっては、ただ旧友の安否だけが気がかりだった。


宗近は助六のもとへ駆けた。


だが、目に飛び込んできたのは、雷に焼かれ、燃え落ちかけた荘官の家だった。


その前で、助六は親族に囲まれ、血に濡れて倒れていた。


宗近は地に膝をつき、声をかけた。


「助六……その傷は」


「……宗近か」


助六は、かすれた息で笑った。


「……血が止まらん。これは……もう、駄目かもしれん」


「馬鹿を言うな」


宗近は言った。


だが、その声には力がなかった。


助六の腹から流れる血は、すでに地面を黒く染めていた。


助六は宗近の腰に差された刀に目を向ける。


青ざめた唇が、わずかに動いた。


「……その刀は……。そうか……よかった」


「よかった……? どういう意味だ」


「……渡すべき相手が、見つかったのだろう?」


違う。


まだだ。


迷っている。


そう言おうとして、宗近は言葉を失った。


だが、正しく扱えるであろう者なら、確かに現れていた。


あの娘らの立ち振る舞いが、


どうしても、かつて信を誓った櫛菜姫を思わせた。


姫巫女と、その影。


あの二人なら。


「やっと……手放せるんだろう」


助六は息を震わせながら、穏やかな顔で言った。


「もう、自分だけを責め続けるな」


「助六……儂は――」


その時だった。


助六の震える手が、宗近の腰へ伸びた。


止める間もなく、弱りきった指が柄にかかり、鞘から刃をわずかに抜く。


宗近は慌てて、その手に自らの手を添えた。


満月の光を受け、白銀の刃が異様なほど美しく輝いた。


その光は、炎の色にも、雷の色にも染まらない。


焼け落ちる家の赤も、血の黒も、嵐の暗ささえも寄せつけず、ただ静かに白く冴えていた。


助六は、ほとんど声にならぬ息を漏らした。


「……おぉ」


その目は、幼子のように輝いていた。


「ようやっと……拝めたな……」


「……」


「妖に憑りつかれた刀などと、うそぶきおって……。

 これほど美しい刃など、見たことがない」


宗近は何も言えなかった。


助六の腕は震え、視界はすでに霞んでいるはずだった。


それでも、彼は刃を見ていた。


ただ一心に。


「宗近よ……」


「何だ」


「なぜ、この刀に名を与えなんだ」


宗近の喉が詰まった。


助六は、かすかに笑う。


「恐れたのか。生みの親として、その“業”を背負うことを」


宗近は沈黙し、拳を握った。


「図星か」


「……黙れ」


「ならば……名を与えよう」


宗近が顔を上げた。


「名だと……?」


「……ッ、いいから……」


助六は、血の混じった息を吐いた。


「お前の業を……儂にも少し、背負わせろ」


「やめろ……! 地獄に落ちるぞ」


助六は白銀の刃を見つめたまま、かすかに笑った。


「それで、お前が怨嗟から抜け出せるなら……安いもんだ」


雷鳴。


その瞬間、世界の音が消えた。


助六の霞む瞳には、白銀の一刃と、空に浮かぶ満月だけが映っていた。


嵐の中、焼け広がる里に桜の花びらが舞う。


あり得ぬほど美しく、恐ろしい光景だった。


「――……満……月」


か細い声は、風にさらわれた。


だが、唇の動きだけで十分だった。


何十年も夢を語り合った仲だ。


聞こえずとも、読める。


宗近は確かに、その名を胸に刻んだ。


白銀の刃。


空に浮かぶ満月。


そして、散りゆく友の命。


すべてを噛みしめるように、宗近は顔を歪めて頷いた。


助六は安心したように微笑み、ゆっくりと意識を手放した。


落ちていく腕と刀を、宗近が支える。


親族の童たちが駆け寄り、助六に泣きついた。


宗近は、震える息を吐いた。


「儂などより……家族を大事にせんか、馬鹿たれめ……」


その時、刀の光に導かれるように、緑髪の薬師が駆けてきた。


宗近の住まいに身を寄せている、あの小柄な金髪の娘。


その娘が額に宿すものと似た、色違いの珠を、薬師は胸に着けていた。


知り合いか。


一瞬、そう思った。


だが、宗近は声をかけなかった。


宗近には、助六が助かるようには見えなかった。


それでも、その場を薬師に任せる以外、選択肢がなかった。


まだ、終わっていない。


この里には、まだ生きている者がいる。


泣く者がいる。


救いを待つ者がいる。


最後の力で背を押してくれた友の想いに応えるためにも、宗近は刀を託す決意をした。


里を襲った鬼を討つ。


そして、生き残った者たちを救う。


宗近は白銀の刀――満月を腰に納めた。


雷鳴が響く。


嵐が吹き荒ぶ。


その中を、老いた刀鍛冶は歩き出した。


すべての迷いを、断ち切るように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ