51話 命の唄
魔女の言葉に、私は唇を噛んだ。
神を妄信した者が辿る末路。
それが、どこか過去の自分と重なって見えた。
なら、なおさら。
私は、この人と同じになってはいけない。
救うためだと信じて、誰かを踏みにじってはいけない。
どれほど力が必要でも。
どれほど残酷な選択を迫られても。
私は、魂を消す者にはならない。
「……ヴィタ」
私は、彼女をまっすぐ見据えた。
「あなたの罪を、私には裁けません」
ヴィタは何も答えなかった。
「でも」
私は拳を握る。
「あなたと同じ道は、選びません」
白い空間に、私の声だけが響いた。
「私は、魂を無に帰したいわけじゃない」
「終われない者を、ただ消したいわけでもない」
「私は……」
言葉を探した。
救う。
その一言を、簡単に口にするのが怖かった。
ヴィタもきっと、同じ言葉を信じたのだ。
救うために殺した。
導くために奪った。
なら、私はその言葉を軽く使ってはいけない。
カロ……ン。
その時、布に包んだ母上の鈴が、小さく音を立てた。
胸の奥で、何かが静かに震える。
……そうだ。
「私は、誰かが誰かを想った音まで、消したくない」
ヴィタの目が、わずかに揺れた。
「たとえ苦しみでも」
「たとえ呪いでも」
「その中に、誰かを想った心があるなら」
私は胸に手を当てた。
「私は、それを否定したくありません」
沈黙が落ちた。
ジゲンも、玖音も、何も言わない。
ヴィタは長い間、私を見つめていた。
やがて、乾いた唇がわずかに動く。
「そうか。……愚かだな」
声は震えていた。
「だが、それでいい」
罪人というには、あまりにも優しい声だった。
ヴィタは、ゆっくりと高い座から立ち上がる。
杖に身を預けなければ、立っていることさえ危ういように見えた。
「刀を」
その視線は、玖音ではなく、私の腰へ向けられていた。
「……この刀を?」
私は、腰の神楽刀に手をかける。
玖音が一瞬、私を制するように動いた。
けれど、ヴィタの目に敵意はなかった。
私は神楽刀を抜き、両手で差し出した。
ヴィタは刃を受け取ると、白い床へ静かに置いた。
刃は倒れなかった。
床に触れた瞬間、まるで水面に浮かぶ葉のように、その場でゆっくりと円を描き始める。
ヴィタは杖を掲げた。
細い指が震えている。
けれど、その動きに迷いはなかった。
「私に残されたものは、もう多くない」
杖の先が、淡く白い光を帯びる。
「だが、罪だけは残っている」
ヴィタは杖を手放した。
杖は神楽刀の上へ落ち、白い波紋を広げながら、刃の中へ沈んでいく。
水に溶けるように。
祈りが刃へ染み込んでいくように。
私たちは、その光景をただ見つめていた。
やがて、神楽刀が静かに止まる。
ヴィタはそれを拾い上げ、私に差し出した。
何が変わったのかは分からない。
けれど、刃の奥に小さな音が宿っている気がした。
遠くで、まだ消えずに残っている祈りのような音が。
「君の、何かの力になることを祈る」
私は神楽刀を受け取った。
掌に触れた刃は、不思議なほど冷たくなかった。
「世界が終わろうとも、私はここで待つ」
ヴィタは静かに告げた。
「だから、行け」
そして、ほんのわずかに目を伏せる。
「私の罪を終わらせてくれ」
その声は、命令ではなかった。
救いを求める声でもない。
ただ、長い罰の果てに、ようやく誰かへ託すことを許された者の声だった。
私は神楽刀を握りしめる。
「……その因果を、私の意思で終わらせます」
そう答えた瞬間、ヴィタが目を見開いた。
足元の白い床が揺らぐ。
空間そのものがほどけるように、私たちの周囲が白い光に包まれた。
「姫様!」
玖音の声が聞こえる。
ジゲンが何かを叫んだ。
けれど次に瞬きをした時、私たちは門の外に立っていた。
背後で、白い門がゆっくりと閉じていく。
光の向こうに、ヴィタの姿はもう見えなかった。
その時。
かすかに、唄が聞こえた。
門の隙間から漏れるように。
あるいは、もっと遠い場所から届くように。
言葉の意味は分からない。
けれど、それは呪ではなかった。
命を縛る声でも、死者を呼び戻す声でもない。
祈りのようであり。
願いのようでもあった。
ようやく託すことができる。
そう告げているような、静かな唄だった。
私は胸に手を当てる。
神楽刀の奥に宿ったものが、かすかに共鳴している気がした。
門が、完全に閉じる。
それでもしばらく、ヴィタの唄だけが私たちの背に残っていた。
私は、その音を胸の奥へしまう。
忘れないように。
失くさないように。
彼女が望んだ先へ、いつか辿り着けるように。
私たちは、動かなかった。
この唄だけは、聞き逃してはいけない気がした。
最後の一音まで、受け取らなければならない。
だから私たちは、ヴィタの唄が消えるまで、その場を離れなかった。




