48話 陰世
「ここが……陰世」
私は呟いた。
声が、遠くまで響いていく。
ジゲンは周囲を見渡したあと、玖音へ視線を向けた。
「以前訪れた時から、ずっと疑問でした」
その声は、いつもより硬かった。
「ここは、何なのですか。説明していただけませんか、玖音殿」
玖音は、しばらく黙っていた。
答えを選んでいるようだった。
「私も、詳しくは知りません」
やがて、そう答える。
「ただ、すべての魂が通る場所だと聞いています」
「魂が……」
私は、目前に広がる都を見た。
京の都が霞むほどの大都市。
幾千もの城がそびえ、橋が空中に架かり、遠くの塔は星に届くほど高い。
そのすべてが、荘厳に輝いている。
けれど、美しいとは思えなかった。
恐ろしかった。
どれほどの権力者が、この地を築いたのか。
もし、この地を治める者がいるのなら。
その者こそ、神と呼ばれるべき存在なのではないか。
そう思ってしまうほどに。
「……あぁ」
気づけば、私は祈りそうになっていた。
手を合わせずとも。
言葉にせずとも。
ただ、その在り方だけで、人を伏せさせる場所だった。
ジゲンは、私の息が落ち着くのを待ってから言った。
「魔女を探しましょう」
その時、手の甲の光が弱まった。
羽衣が力を失い、私たちはゆっくりと城門の前へ降りていく。
足が床に触れた瞬間、膝から力が抜けそうになった。
玖音が、すぐに私を支える。
「大丈夫ですか」
「……はい」
ジゲンは周囲を見渡した。
「ここは、赫鬼との戦いの際に、私が玖音殿へ頼み込んだ場所ですね」
「そのようだ」
玖音は、奥の階段を指さした。
「あの階段を上った先に、広間があります」
「その先は?」
「私は、それより奥へ進んだことがありません。ただ、分かれ道があったはずです」
「玖音は、ここで魔女という方に会ったことはないのですか」
「ありません」
玖音は、静かに首を振った。
「……そう」
その言葉に、胸の奥が重くなった。
陰世。
すべての魂が通る場所。
ここにいる魔女とは何なのか。
私たちは、玖音の案内で階段を上った。
石の階段は長く、上っても上っても終わらないように思えた。
やがて、広間に辿り着く。
そこには、確かに分かれ道があった。
三つの通路。
それぞれに過剰なほどの装飾が施され、金と白と紫の光が絡み合っている。
どれも同じようで、違って見えた。
「どれを進めばいいのでしょうか」
ジゲンが呟く。
「他の場所を探すべきでは?」
私もそう思った。
けれど、玖音だけが違った。
玖音は、右の通路の奥を見ていた。
「……いる」
「玖音?」
返事はなかった。
玖音の顔から、血の気が引いていく。
その手が、無意識に胸元へ伸びていた。
何かを確かめるように。
あるいは、そこにあるはずのないものに触れるように。
「誰がいるのですか」
私が尋ねた瞬間、玖音が駆け出した。
「待って!」
私は慌てて追いかける。
玖音には、まだ腹の傷があるはずだった。
癒えているはずがない。
それなのに、玖音は一度も振り返らず、通路の奥へ走っていく。
「ジゲン、止めて!」
私は叫んだ。
けれどジゲンは、玖音の背を見つめたまま動かなかった。
その声が、かすかに震えていた。
「痛みがないわけではないはずです。
傷が塞がったわけでもない。なのに、止まらない」
「ジゲン?」
「傷を押してでも、急ぐ何かがあるというのでしょうか」
確かに、玖音の足取りは乱れていた。
速い。
けれど、無傷の者の走りではない。
呼吸は浅く、肩もわずかに震えている。
それでも玖音は、一度も振り返らなかった。
まるで、今にも消えてしまう何かを追いかけるようだった。
少し先まで走ったところで、玖音の足が止まった。
その場に膝をつく。
「玖音!」
私は駆け寄った。
「無理をするから……!」
そう言いかけて、声が止まった。
玖音は、傷のせいで膝をついたのではなかった。
目の前のものを見て、立っていられなくなったのだ。
玖音の視線の先。
通路の奥。
白い光の中に、一人の女が立っていた。
長い髪。
懐かしい面影。
忘れるはずのない横顔。
息が止まった。
そこに――
母上が、いた。




