表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/72

36話 隔てる壁



セイメイは、己の周囲だけを覆うように結界を張った。


淡い光が地を這い、静かに円を描いて広がっていく。


けれど。


玖音も。


私も。


その光の内側には、いない。


守る気など、初めからないらしい。


「一人で……

 あれを……?」


喉が詰まる。


丘の下を埋め尽くす、無数の亡者たち。


逃げ場はない。


鬼封神楽を舞うしかない。


視界の端で、亡者たちが獣へ群がっていた。


肉を裂き。


骨を噛み砕き。


生きたまま、貪っている。


何もしなければ。


玖音も。


私も。


ああなる。


唸り声が近づく。


腐臭。


濁った眼。


涎を垂らしながら、亡者たちがこちらへ手を伸ばしてくる。


玖音を見下ろした。


眠るように動かない。


唇を噛む。


「……力を貸して」


返事はない。


それでも。


やるしかなかった。


私は神楽刀を構え、舞う。


風が走る。


鈴の音が、夜へ溶けていく。


踏み込み。


宙を斬る。


悲鳴が上がり、


何体かが崩れ落ちる。


けれど、終わらない。


裂かれた肉を引きずり。


骨を覗かせたまま。


亡者たちは、また立ち上がった。


「なんで……!」


減らない。


殺せない。


祓えていない。


息が乱れる。


その時だった。


『神楽は、それのみか?』


背後から、セイメイの声が落ちた。


私は凍り付く。


――それのみ?


目の前に迫る亡者を斬り払いながら、必死に考える。


鬼封神楽ではない。


この亡者たちを前にしても、ものともしない別の神楽がある。


セイメイは、そう言っているのか。


「そんなもの……」


知らない。


知らないはずだ。


けれど。


本当に?


亡者の腕が、もう届く距離まで迫っていた。


その時、頬を涙が伝った。


まただ。


私はまた、どこかで甘えている。


セイメイなら助けてくれると。


あの人なら、答えをくれると。


けれど。


彼は冷酷な人だ。


助けなど――


ふと、セイメイの視線が私を通り越していることに気づいた。


亡者でもない。


その先を見ている。


玖音がいたはずの場所。


そこに。


玖音の姿がなかった。


突如、閃光が走る。


風刃が丘を裂き、亡者の群れを真っ二つに断ち割った。


血が舞う。


肉が裂ける。


腕が飛ぶ。


それでも、その影は止まらない。


一閃。


二閃。


亡者の群れが、左右へ崩れていく。


私は息を呑んだ。


「……玖音……?」


そこにいた。


亡者の群れのただ中に。


血を流しながら、玖音が立っていた。


両目は開いていない。


肩で息をしている。


顔色は死人のように青白い。


今にも倒れそうだった。


いや。


立っているのではない。


崩れ落ちる寸前で、かろうじて踏みとどまっているだけだ。


それでも。


剣を握っている。


「玖音!」


呼びかけても、返事はない。


彼女は私を見ていなかった。


何も見ていないようで。


どこか、遠くを見ているようだった。


その間にも、斬り伏せられた亡者たちが蠢き始める。


無数の死体が溶け合い、ひとつの巨大な異形へ変わっていく。


肉が絡み合う。


骨が軋む。


咆哮。


大地が震えた。


裂けた肉の奥で、別の亡者たちが蠢いている。


傷ついた部位を書き換えるように。


内側から新たな肉が盛り上がり、再生していく。


「っ……!」


亡者の巨大な掌が迫る。


その瞬間。


玖音が、静かに息を吐いた。


「――宵星流・玖式。

 桜霞一閃」


次の瞬間には、もう分からなかった。


ただ、巨体が——

音もなく、左右へ傾いた。


轟音。


私は目を見開く。


玖音は、まだ立っていた。


震えながら。


それでも、倒れない。


けれど。


裂けた亡者たちは、空中で再び蠢いた。


肉塊が寄り集まり、玖音へ襲いかかる。


彼女は避けず、静かに剣を振るった。


「――宵星流・伍式。

 牡紅焔華」


炎が、夜を裂いた。


花吹雪のような火炎の連撃が、亡者たちを包み込む。


断末魔。


焼け焦げた肉が、爆ぜるように散っていく。


灰が舞う。


悲鳴が遠ざかる。 


やがて。


亡者たちは、崩れ落ちた。


静寂が訪れる。


私は駆け出し、玖音の身体を支えた。


触れた瞬間、ぞっとした。


熱いはずなのに。


その身体は、熱よりも冷たさの方が強かった。


「玖音……!」


玖音は何も言わない。


ただ、私を見つめている。


けれど。


違う。


いつもの玖音ではない。


焦点が合っていない。


私を見ているのに、私を見ていない。


もっと遠く。


もっと深い場所。


そこに意識を置いてきたような目だった。


「冷たい……」


重ねた手が、ひどく震えていた。


次の瞬間。


玖音の口元から、小さく血が漏れた。


「……っ」


白目を剥き。


そのまま、彼女の身体が崩れ落ちる。


私は必死に抱き留めた。


「セイメイ、玖音が……!」


背後で。


セイメイが、

結界の内側から感情のない声で呟いた。


『目覚めたか』


それだけだった。


助けに来る気配はない。


手を伸ばすことも。


言葉をかけることも。


何一つない。


玖音の重みを支えきれず、私はそのまま地面へ倒れ込んだ。


青紫の花が、血に潰れる。


腕の中で、玖音の身体が小さく痙攣していた。


「どうして……あなたは……」


声が震える。


「どうして、見てるだけなの……!」


セイメイは答えない。


ただ、私たちを見下ろしている。


いや。


違う。


見下ろしているようで、見ていない。


白い垂布の奥にあるはずの瞳は、私たちを映していなかった。


もっと遠く。


もっと深く。


私には見えない何かを、セイメイだけが見ている。


そう思った瞬間。


背筋に、冷たいものが走った。


セイメイは。


玖音が倒れたことに驚いていない。


最初から。


こうなることを、知っていたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ