基礎魔導原論 第2章 第2項
第2項 魔力の放出
前項にて、魔導の修練の第一の関門が魔力の自覚にあることを述べた。しかし、心せねばならぬのは、認識した魔力は、認識しただけでは何の意味もなさぬということである。第1章に述べたとおり、魔導とは自身のもつ魔力をして、外部の魔力を変じさせ、望む何かを得る技術である。すなわち、己が魔力を外に放出し、外部の魔力に干渉して、初めて魔導は魔導たりえるのである。内に豊かな魔力を湛えながらそれを外に出せぬ者は、満々と水を湛えながら栓の抜けぬ瓶のごときものであって、いまだ魔導師とは呼べぬのである。
そして、魔力を自覚した者がそのあと一番苦労するのが、この放出をできるようになることである。前項に述べたとおり、魔力はもう一つの身体のごときものであり、生まれてこのかた、体の内にとどまり続けてきたものである。それを外に出すというのは、いわば生身の体の輪郭を踏み越える行いであり、初学の徒にはそもそも何をどうすればよいのか、見当すらつかぬのが常である。先達たちはこの感覚を、自分の体の皮を一回り大きくするような感覚、と言い表してきた。皮膚の内に収まっていた「もう一つの身体」を、皮膚のわずか外まで押し広げる。初めて成った時には、指先から温かいものがほのかに滲み出すような、あるいは産毛が立つような、かすかな感覚を覚えるものである。
この技術の修練は、二つの段階に分けられる。第一段階が「放出」である。学園においては、前項に述べた灯杖がここでも用いられる。自覚の修練では灯杖が勝手に光るのを眺めるのみであったが、放出の修練では、徒みずからの意思で魔力を杖へと送り込み、その光を強めることを目指すのである。光がわずかでも瞬けば、放出は成っている。初学の徒が陥りやすい過ちは、力めば出るものと思い込み、息を詰め、体を強張らせることである。魔力は筋力にあらず、力みは像を濁らせるのみである。むしろ呼気とともに、皮が緩やかに膨らむさまを心に描くがよい。個人差はあるが、おおむね数週から数月の修練でこの段階は越えられる。
第二段階が「拡張」である。放出が魔力を体の外に「出す」ことであるならば、拡張とは、押し広げた己の輪郭を、さらに遠くへ「広げる」ことである。皮膚の外に薄い膜を張り、その膜を少しずつ大きくしていく感覚と言えばよいか。肝要なのは、広げた範囲が単なる魔力の雲ではなく、依然として己の身体の延長であるという点である。熟達すれば、広げた範囲の内にあるものを、あたかも掌の上のもののごとく感じ取り、そこに直接干渉することができる。初学のうちは腕一本分も広げれば上出来であり、修練を重ねて一室を満たすほどとなり、熟練者ともなれば、自身から見えるところまで広げることができるのである。遠方の魔導が「見える範囲」を限度とするのはこのためであり、視認しえぬ場所に正しき像を結ぶことが至難であることとも、表裏の理である。
ただし、ここでも戒めを忘れてはならない。拡張は広げた分だけ魔力と精神を消耗させ、過ぎたる拡張は、己と外との境を見失わせる。かつて際限なき拡張を試みた者が、おのれの輪郭を取り戻せず廃人と化した例は、機構の記録に一つや二つではない。皮を広げる前に、皮を確かに保つこと。放出と拡張の修練もまた、足元を見続けることから始まるのである。




