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基礎魔導原論 第2章 第1項

第2章 魔導の修練


第1項 魔力の自覚


 第1章にて、魔導が魔力と意思によって成り立つことを述べた。本章では、魔導を実際に使うための訓練と準備について論じていく。その最初の関門こそが、自身の持つ魔力の自覚である。


 魔導を使うためには、何よりもまず、自身のうちに宿る魔力を認識しなければならない。いかに優れた呪文を諳んじ、いかに精緻な像を結ぼうとも、動かすべき己が魔力を捉えられぬ者に、魔導の門は開かれぬのである。しからば魔力を自覚するとはいかなる感覚か。先達たちは口を揃えて、魔力とはもう一つの自分の身体のようなものである、と語る。例えば自分の手を手として認識するとき、その手のうちに、もう一つの手が潜り込んでいるような感覚を覚えるのである。常人はこれを意識にのぼらせることなく一生を終えるが、ひとたび自覚すれば、それは生身の手足と同じく、意思によって動かしうるものとなる。


 過去において、この自覚に至る方法は様々であった。古くは長き瞑想によって心身を研ぎ澄まし、内なる魔力の声を聴かんとする行が広く行われた。あるいは意識をもうろうとさせる薬を用い、生身の感覚を鈍らせることで魔力の感覚を浮かび上がらせる法、また先達の魔導師が弟子の体内の魔力に直接干渉し、その揺らぎをもって自覚を促す法などが伝わっている。しかしこれらは、何年を費やしても至れぬ者があり、薬毒に身を損なう者があり、干渉の加減を誤って心を病む者すらいる。今となっては非合理的な方法が多かったのである。


 現代の魔導学園においては、魔道具による自覚の促進が活用されている。その代表が、入学の徒がまず手にする杖状の道具、いわゆる「灯杖とうじょう」である。これを手に持つと、道具が自動でその者の魔力に干渉し、魔力の量と流れに応じて杖の先端を光らせる。徒は淡く明滅する光を眺めながら、いま自身の内部にある魔力がいかに揺らぎ、変化しているかを感じ取っていくのである。生身の目で魔力の働きを確かめられるこの方法は、かつて年単位を要した自覚を数月にまで縮め、素早い自覚を促すものとして、いまや諸国の学府の標準となっている。


 この灯杖を作り出したのが、「遅咲きの大師」と後に称えられる、メルダ・ヴィー・オストランである。オストランは魔力の自覚に人一倍苦しんだ人物であり、瞑想の行に7年を費やしてなお自覚に至れず、薬の法に手を出して半年の間病床に伏したと、自らの手記に残している。10年目にしてようやく自覚に至ったオストランは、おのれと同じ苦しみを後進に味わわせまいと、外から魔力を測る道具の研究に生涯を捧げた。王国歴1522年、低位の魔力にのみ感応する晶石を杖頭に据えた初代の灯杖を完成させ、自覚にいたるまでの期間を劇的に縮めたのみならず、薬毒や過干渉によって毎年あまた失われていた若き徒の命を救ったのである。さらにオストランは灯杖の製法を秘匿せず、機構に無償で献じたため、貧富や国の別なく諸国の学府に行き渡ることとなった。今日、魔導の道を志す者の裾野がかくも広いのは、ひとえにオストランの功績によるものである。機構が後年、魔道具研究の府として設けた第11研究院が「オストラン院」の名を冠するのは、この遺徳を記念してのことである。


 ただし心せよ。魔道具はあくまで自覚への橋にすぎぬ。杖の光に頼り続ける者は、光なくして己が魔力を捉えられぬままに終わる。光が示すものを、やがて己の感覚のみで捉えること、それこそがこの修練の真の到達点である。


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