基礎魔導原論 第1章 第5項
第5項 呪文の役割
前項にて呪文の本質が意思の鋳型であることを述べた。本項では、魔導の体系において呪文が果たしている役割を、いま少し広く見渡してみたい。
第一の役割は、再現性の保証である。第1項に述べたとおり、魔導が魔法や奇跡と峻別されるのは、法則があり、同じ手順を踏めば同じ結果が生まれるからである。呪文は像の結び方を言葉として定式化することにより、昨日の火と今日の火を、師の火と弟子の火を、同じ火たらしめる。呪文なくば、魔導は術者ごとの感覚に頼る秘技の寄せ集めに堕し、学問としての魔導は成立しえなかったであろう。
第二の役割は、行使の安定と術者の保護である。呪文は像を正しく結ばせるのみならず、魔力の流れに枠を与え、意図せざる方向への漏出を防いでいる。機構が定める正式呪文には、現象を導く本旨の句のほかに、魔力の逆流を抑える句、行使を中断する際に流れを散らす句が必ず編み込まれている。古き時代の魔導師の多くが己が術に焼かれ、凍えて世を去ったことを思えば、現代の呪文体系がいかに多くの犠牲の上に磨かれてきたかが知れよう。
第三の役割は、伝達と継承である。意思は目に見えず、像は他者に手渡すことができない。しかし言葉は、書に記し、声に乗せ、千里を越え、千年を越えて伝えることができる。我々が崩滅の日を生き延びた先達の魔導を今日学びうるのは、ひとえにそれが呪文という言葉の形で遺されたからである。統一会議以降、機構が諸国に散らばる呪文の収集と照合、正書化を続けているのも、呪文こそが人類の魔導知識の器であるからにほかならない。
最後に、熟達による呪文の簡略化、いわゆる詠唱の短縮と無詠唱について触れねばなるまい。修練を重ねた魔導師は、鋳型なくして像を結ぶ域に達し、呪文の一部または全部を省いて行使することができるようになる。学園の徒の多くはこれに憧れるであろうが、心せよ。無詠唱とは呪文を捨てることではなく、呪文が己が内に完全に刻まれた果ての姿である。基礎の像が曖昧なまま詠唱のみを削るは、安全の枠を自ら外して崖際を駆けるに等しい愚行である。第75代機構評議長ガンドル・レーム・サーディスはこう言い残している。
「呪文を千度唱えし者のみが、呪文を捨てる資格を得る」
若き魔導の徒よ、呪文を侮るなかれ。その一句一句は、先達が血をもって贖った真理の結晶である。倦むことなく唱え、解し、刻むがよい。それこそが、汝を魔導の果てへと運ぶ、確かなる一歩である。




