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基礎魔導原論 第3章 第3項

第3項 黒魔導(二)──力動・熱・光


 四大元素が、火・水・風・地という、目に見え手に触れうる相を御する術であるならば、黒魔導にはいま一つ、相を持たぬ理そのものに働きかける属の群れがある。力動・熱・光などがこれであり、四属の次に徒が学ぶところとなる。これらは特定のものに宿るのではなく、あらゆるものを貫いて働く理であるがゆえに、四属よりも一段深き原理への理解を求められる。火を思い描くは易けれど、運動そのもの、熱そのものを像に結ぶには、その背後の理を骨身に染みて解していなければならぬからである。

 力動の属は、ものの動きそのものを司る。第1章に挙げた川渡の奇術師ピ二ナの業が、現代において力動の属に分類されることは、すでに述べたとおりである。触れずしてものを動かし、止まれるものを進ましめ、落つるものを宙に留め、飛び来るものを押し返す。荷を負わずに重き岩を退け、橋なき川に人を運びて渡し、矢の雨を風なきところで逸らすがごときは、いずれもこの属の働きである。火を生まず水を呼ばず、ただ運動のみを御するこの属は、一見地味であるが、応用の幅はすこぶる広く、戦においても普請においても、これを能くする者は重んじられた。なお、雷の轟きや音の響きもまた、突き詰めれば空気や物の激しき動きであるがゆえに、力動の属の縁につらなるものとされ、これを別して「鳴動」の名で呼ぶ学派もある。

 熱の属については、第2章第4項にてすでにその理を説いた。熱とは、ものの持つ魔力の運動のありように作用する理であり、温度とはその運動が外に現れた姿にすぎぬ。ゆえに「熱」の一語は、熱することと冷ますことを、ともにその内に含む。ここで肝要なのは、熱の属と火の属を混同してはならぬ、ということである。火は燃ゆる相そのものであり、熱はものの運動の理である。火なくして鉄を灼き、炎を用いずして水を凍てつかせるは、熱の属を解した者のみがなしうる業であって、火の属とは截然と分かたれる。原理を解した者が夏の日に「加熱」の一語をもって杯の水を冷やしてみせるのは、まさに熱が火と異なる理であることの、生きた証なのである。この一事を取り違え、熱を火の弟分ほどに侮りて修めし徒が、いつまでも上達せぬまま終わるのは、惜しむべき常である。

 光の属は、明暗と輝きを司る。闇を照らし、まばゆき光を放ちて目をくらませ、ときに光を曲げて遠きものを近く見せ、あるいは陽炎のごとき像を空に描く。第3章の他の属にくらべ修むる者は少ないが、夜を行く者、遠きを窺う者には欠かせぬ術である。ここで徒が惑いやすきは、光をもって描く幻と、心に直に働きかける惑わしとの別である。光の属が描くは、あくまで外なる光の像であり、目あるものなら誰の目にも等しく映る。これに対し、見る者の心の内に像を結ばせる惑わしは、白魔導の精神の属に属する。外なる光を御するか、内なる心を御するか──この一線をもって、両者は峻別されるのである。

 これら相を持たぬ属は、四大元素にくらべ、結ぶべき像がはるかに捉えがたい。第2章に説いた原理への理解が、ここに至って真にその価値を問われる。語を諳んじているだけの徒と、理を骨身に解した徒との差が、四属にあってはわずかであっても、力動・熱・光においては、天と地ほどに開くのである。若き徒よ、相を持たぬ属に進まんとするならば、まず書庫にこもりて、運動とは何か、熱とは何か、光とは何かを、飽くことなく問うがよい。


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