補稿:偉大なる7種族について
補稿:偉大なる7種族について
学園の徒の多くは、七種族と聞けば、御伽噺の住人か、遠国の珍しき隣人ほどに思っていることだろう。生涯において彼らとまみえる人間は千に一人もおらず、その無理からぬことではある。しかし魔導を志す者は、彼らを知らずにいることは許されぬ。なぜなら七種族の在りようこそ、魔力とは何か、神の欠片とは何かという問いに対する、世界が示した生きた答えだからである。彼らにおいては、体質そのものが魔導なのである。
■雷冠の民 ヴェルフェン(聖嵐神 シャナル・コーハル・ヴェルフィナ) 体内に小さな嵐を宿す民。呼気は風となり、感情が昂ぶれば肌の上を細い稲妻が走る。地に縛られず、高山の頂や雲海の上の「風の止まり木」を渡り歩いて暮らす。彼らの声には神罰の残響が宿り、真に声を張り上げれば言葉そのものが落雷となる。ゆえに常は囁き以下の声しか発さず、風の強弱や気圧の変化で意を伝え合う、極めて寡黙な民である。 千年の闘争では神罰の代行者として戦場の空を担った。人との関わりは薄いが、大気を読む力は比類なく、嵐の予兆を求めて彼らの止まり木へ巡礼する船乗りは絶えない。
■銘肌の民 シーデルン(叡智神 クロル・ファナ・シーデリ) 知った事柄が文字となって肌に浮かび上がる民。生まれたときは一字も持たぬ白い肌だが、学び、見聞きするほどに全身が細かな銘文で埋まっていき、老いるとは肌が黒く文字で満ちることを意味する。全身が銘で満ちた日、その者は静かに息を引き取り、遺された皮銘は一族の書庫に納められる。彼らは忘れることができず、額を合わせれば記憶そのものを手渡しできる。 原初の言葉の断片を最も多く肌に残す民であり、機構の言語収集事業(ウィエレム・グランドの偉業を含む)は、彼らの書庫への立ち入りを許されたことで飛躍したとされる。
■芽吹の民 ジーナリ(聖母神 ラナ・ディル・ジーエーナ) 生命を漏らしながら生きる民。彼らが眠った地には一夜で苔と花が萌え、長く住まう村は森に呑まれるため、緑を置き去りにしながら緩やかに移動を続ける。髪は季節で芽吹き、紅葉し、落ちる。彼らは命を奪うことができない。何かを殺せばその痛みが己の身に開く(殺した分だけ彼ら自身の命が削れる)ため、肉を食わず、争いから最も遠い民である。 荒廃した現界の復興期、人の治水や開墾が及ばぬ死の土地を甦らせたのは彼らだったと伝わる。治癒の魔導は、ジーナリの体質の模倣から発展したという説が有力である。
■天秤の民 カノール(律天神 オルダ・ヴェム・カノーレ) 世界が「重さ」で見える民。物の貴賤、言葉の真偽、貸しと借り――あらゆる事象が釣り合いとして知覚される。彼らは嘘がつけないのではなく、嘘をつくと心身の均衡が実際に傾き、立つことすらできなくなる。交わした約定は身体に律として刻まれ、破れば四肢が動かなくなるため、カノールの誓いは現界で最も堅い担保とされる。左右完全に対称な身体を持ち、心臓は拍子を違えない。 王を持たず、すべてが契約で編まれた社会を営む。諸国間の紛争において、最後の仲裁者として彼らの法廷が選ばれることは少なくない。魔導の再現性を司る律の神の眷属ゆえ、彼らの行使する魔導は決して暴発しない。
■黙坐の民 ダグレン(堅磐神 ガルド・モーン・ダグレナ) 生きながら大地に還りつつある民。肌は年を経るごとに岩理を帯び、思考は十年を単位として流れ、ひとたび座せば数十年動かない。各地の霊峰のいくつかは、太古に坐したまま山となったダグレンの古老であると伝わる。彼らは炉を持たない。掌そのものが鍛造の場であり、握り込んだ鉱石は体内の神の欠片の熱で熔け、数年をかけて練り上げられる。神代の武具とは、彼らが掌中で「育てた」ものである。 会話は一語に半日を要するため人との交流はごく稀だが、彼らが百年に一度だけ掌を開く「開掌の日」には、諸国の鍛冶師と魔導師が巡礼に集う。
■逆刻の民 ターリャ(流転神 セレ・ミウ・ターリエ) 時を逆さに流れる民。老人の姿で潮だまりから生まれ、年を経るごとに若返り、幼子の姿となって水に還る。記憶もまた逆しまであり、彼らは未来を「思い出し」、過去を少しずつ忘れていく。ゆえに出会ったばかりの相手との別れを覚えており、初対面で涙する者もいる。身体は半ば流体で、満ち潮には輪郭が緩み、引き潮には引き締まる。 預言者として崇める者、忌む者、利用せんとする者が絶えないが、彼らの「思い出す」未来は本人にしか属さぬ断片であり、問い詰めたところで体系だった予言は得られない。水辺を離れられないため、現界の大河と海沿いにのみ集落を持つ。
■黄昏の民 シルデン(門守神 ノヴ・ガーレ・シルディン) 半身が常に三界の狭間にある民。真昼と真夜には姿が薄れ、黄昏と夜明けの淡い光の中でのみ、輪郭の定まった姿を現す。影を持たず、その足元には影の代わりに小さな「扉」が落ちており、彼らはそこから狭間を通って別の敷居へと渡る。境界の律に縛られ、招かれぬ家の敷居、許しなき国境を越えることができない。 死者が門へ迷わず至れるよう導くことを神より託された民であり、戦野や疫病の地に音もなく現れては、骸の傍らに灯を置いていく。人々が辻や峠、渡し場に小さな祠を置くのは、元はシルデンへの道供えである。崩滅の日、滅びゆくエルムントの民の魂を最後まで導き続けたのは彼らであったと、ひそかに伝えられている。




