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基礎魔導原論 第2章 第5項

第5項 魔力の錬成


 前項までに、魔力の自覚、放出、制御、そして原理への理解と、魔導を行使するに至る修練の道筋を述べてきた。本項にて論じるのは、それらの先にある技術、すなわち魔力の錬成である。


 まず知らねばならぬのは、人一人が持って生まれる魔力の量に、基本的に差はないということである。凡人はとかく、偉大な魔導師は生まれながらに人並み外れた魔力を宿すものと思い込みがちであるが、これは誤りである。機構の永年にわたる測定の積み重ねにより、種族の違いによる差こそあれ、同じ種族のうちにあっては、持てる魔力の量にほとんど違いがないことが、すでに明らかになっている。


 しからば種族の違いとは何か。かの神代、神々の従僕としてその存在を人から引き上げられた、偉大なる七種族のことである。彼らは千年の闘争において神々に忠実に仕え、その功によって神の存在の欠片を分け与えられた。それゆえにその身に宿す魔力は、我々人間とはかけ離れて濃く、深く、豊かなのである。その名と来歴については、次の補稿にて詳しく触れることとし、ここでは立ち入らない。


 しかしながら、歴史を繙けば、人間の身でありながら七種族に劣らぬ、ときにこれを凌ぐ魔導師が数多くあらわれたこともまた、揺るぎない事実である。なぜ持てる魔力に乏しい人間が、神の欠片を宿す種族と肩を並べえたのか。それこそが、本項の主題たる魔力の錬成である。人間は、魔力が乏しいがゆえにこそ、その乏しき魔力を余すことなく活かす道を求めて心血を注ぎ、ついには一から十を生むがごとき技術を編み出したのである。豊かなる者は工夫を知らず、乏しき者は工夫に生きる。錬成とは、人間の乏しさが生んだ、人間だけの宝なのである。


 しからば魔力の錬成とは何か。端的に言えば、己が魔力を圧縮し、その濃度を増し、効率的に活用する技術である。淡雪を手に握り固めれば、小さくとも硬き氷の玉となるがごとく、おのれのうちなる魔力を練り、折りたたみ、押し固めることで、同じ量の魔力を、より濃く、より高位のものへと変えるのである。第1章に述べたとおり、魔力は高位から低位へと流れ、高位の魔力は低位の魔力を変質させる。ゆえに濃度を増した魔力は、同じ量をもってより大きな現象を導き、より少ない消耗で同じ術を成すことを可能とする。一の魔力をもって十の業を成す、と先達が言い慣わしたのは、けして誇張ではないのである。


 錬成の修練は、華やかさとは無縁である。静坐し、呼吸を整え、体内の魔力をゆるやかに巡らせながら、少しずつ練り固めていく。一日に進む濃度はごくわずかであり、目に見える成果が出るまでに年単位の歳月を要する。学園の徒がしばしばこの修練を倦み、放擲してしまうのはこのためである。しかし思い出すがよい、「百年の賢人」と称えられたテオドラ・ルン・ヴァイセは、生涯この地道な錬成を欠かさず、晩年にはその魔力の濃度、常人の十倍に達したと機構の測定記録に残っている。


 ただし、ここでも戒めを忘れてはならない。魔力の器たる心身が鍛えられぬまま、いたずらに圧縮のみを急げば、練られた魔力は内にて暴れ、器そのものを損なう。過ぎたる錬成により身を病み、魔導の道を断たれた者は、機構の記録に一つや二つではない。錬成は一足飛びには成らぬ。足元を見続けることこそ、ここでも唯一の道である。


 若き魔導の徒よ、おのれの魔力の乏しさを嘆くなかれ。乏しさこそが人を工夫へと駆り立て、人を魔導の高みへと押し上げてきたのである。今日の一練が、十年ののち、汝を七種族にも劣らぬ高みへ運ぶことを忘れてはならない。


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