高校一年最後の放課後
ようやく終わった。まだ少し寒さが残る三月下旬。桜が満開になるのはもう少し先になるだろう。この日、三学期の授業をすべて終えた両角由音流十六歳は昇降口を出たところで大きく背伸びをした。この一年を何とか終えることができたという解放感だ。日差しは日に日に暖かくなってきてはいるが、風は冷たので、まだコートとマフラーは手放せない。校庭では野球部やサッカー部が練習を始めるところだった。由音流は一瞬校庭の方を見たが、すぐに自分の自転車を迎えに駐輪場に行く。今朝停めた自転車を見つけ、ダイヤル式の鍵を外し、帰ろうとサドルに乗りかかったところでどこからか聞きなじみのある声がかかった。
「あ~、やっと見つけた。なぁ今日さ、みんなで一緒にカラオケいかね? 明日から春休みじゃん? これはもう行くしかないっしょ」
由音流のクラスメイトであり、クラスの中でもよく話す方の八坂英治だ。中学生のころからの付き合いで、良い距離感を保ってくれる。ベタベタしすぎず、かといって疎遠ということもない、俺にとって心地よい間柄。口調が若干ウザいことに目をつむればいい奴だと思う。
そんな英治からの誘いを聞いて、少しだけ迷ったあと、
「いや、俺はいい。みんなでいってこいよ」
「えーみんなゆねるにきてほしがってたけどなー」
流石に棒読み過ぎる。
「全然来てほしい感じでてないじゃん」
「あ、ばれた? いや、俺は別にお前が来ても来なくてもどっちでもいいんだけどさ、小日向が由音流は来ないのかって訊いてきてさ」
小日向は俺の幼馴染であり、親ぐるみの仲だ。小さい頃はよく遊んでいたが、最近はほとんど会話をしていない。下の名前は、
「岬? なんであいつが?」
「そんなこと知らねーよ。由音流に気があるんじゃない?」
なんでそんな短絡的なんだ。
「それはない。あいつとはそんなんじゃないし。そもそもあいつ男いただろ?」
「あーそういえばそうだったっけ?二年の安野先輩だっけ。たしか”野球部”だったよな?」
「」
無言で英治を見つめてやる。正直かなり憤りを覚えている。
「あ。わりぃわりぃ、もっと気をつけるべきだった。すまん、今度おごるから許してくれ。あ、なんなら今日のカラオケでお前の分俺持ちでチャラってことにしね?」
「いや、今日はそういう気分じゃないし、また今度頼むよ」
「……分かったよ。小日向にはそれとなく伝えとく。じゃ、またな。また春休み遊ぼうぜ!」
そういって英治は昇降口の方へ戻っていった。
そういえばあいつ、カバンを持ってなかった。防寒着も着ていなかった。まさか俺を探すためだけにわざわざここまで来たのか?
「やっぱり行けば良かったか?」
申し訳ない気持ちが芽生えつつ、自転車に乗った。
* * *
俺が通う高校は市街地から少し離れた結構高い場所に在る。
その為市街地方面から学校まで自転車をこいで向かおうとした場合、急な坂が立ちはだかる。運動をしていない高校生にとっては漕ぐことさえ困難となり、自転車を降りて歩いてしまう。そんな坂があるにもかかわらず自転車で通学するのは、やはり坂をももろともしない運動部の連中にとっては、自転車通の方が早いからであろう。
もしくは帰りの下りの加速は、多感な高校生にとって面白いものでしかないのかもしれない。先日、またうちの高校生が、この下り坂を下った先の通りで事故を起こしたらしい。このことは教師陣も重く考えているらしく、来年度は通学路に先生達が立って監視することもあるかもしれないと担任が言っていた。まあ改善はされないだろうけど。同級生曰く、「死んでもいいと思ってノーブレーキでいくと、案外死なないんだよ」らしい。こんなどうでもいいことで命をかけないで欲しい。
そんな長い長い下り坂をゆっくりと一人で下り市街地まで来た俺は、駅前の本屋に立ち寄った。
最近ライトノベルというものに手を出し始めた。だが周りの友達にはこのことを言っていない、というか言えないので一人でこうしてこそこそと買いに来る。
授業が終わってすぐに学校を出た(英治からの誘いはあったが)のでうちの制服はまだ見かけることはない。少し速足で店内を歩き、ラノベコーナーに向かうと誰もいないことに安堵し、お目当ての本を探し始めた。先日シリーズものを全巻読み終えたので、次はネットで比較的評判の高い作品を読んでみようと思っている。
やたらタイトルが長いことに抵抗感を感じなくなっているのは自分もラノベに侵されてしまったからなのかと疑問に感じつつ、目的の文庫本を手に取ると、次に参考書のコーナーに向かった。別にこの春休みを勉強に費やすために新たに参考書を買う訳ではない。なんとなくラノベだけではレジに持っていく勇気がないだけだ。店員さんにラノベだけを読む奴と思われることを避けるために、こうして特にやる気のない英語の熟語帳を買うのだ。真っ先に目に入ったのがそれだっただけなのだが。まあ、来年くらいには受験の為に買って良かったと思えるだろう。
熟語帳を手に取りレジに向かおうとしたところで、入り口の方で見知った制服の女子が目に入った。 自分の他にも真っ先にここに来た猛者がいるらしい。その相手も自分に気づいたらしく、こっちに近づいてきた。身長は百五十センチくらいで、メガネをかけている。髪は肩に届くくらいのストレートで、前髪は揃っていて遠くからだと知的な印象を受ける。あと俺は多分あの子を知っている。咄嗟に本を持つ左手を背中に隠した。
「由音流君。珍しいね。こんなところで会うなんて。もしかして春休みから勉強に本腰をいれるのかな?」
「あ、あぁ。そんなところなんだよね。暇だし勉強でもしようかなーなんて、あはは……」
我ながら嘘が下手だと常々思う。
「そうなの? 私で良ければいつでも一緒に勉強するよ。春休みはたぶんいつでも大丈夫だよ!!」
上目使いで由音流を見上げる小動物みたいなこの子、山波こだまは俺の同級生でありクラス委員だった。クラス替えはしない学校なので多分来年もやると思う。そんな彼女は今、知的な印象と打って変わって眩しいくらいの笑顔だ。
「あ、ありがとね。気が向いたらおねがいしようかな?」
「ほんと!? じゃあ、いつにする? 場所は市立図書館でいいかな? あそこ九時開館だけど十時くらいにはもう勉強エリア全部埋まっちゃうからなー。九時半くらいなら大丈夫かな? あ、それともファミレスとか? でも最近長時間利用はできないらしいし。はっ、もしかして家? ってどっちの? 由音流君の家はまだちょっとハードル高いし、かといってうちというのも家族になんて言えばいいか分からないし」
「ちょっと待った!! まだ行くと決めたわけでは……」
「え、一緒に勉強しないの?」
急に落ち込んでしまった。今にも泣き出しそうだ。そんな顔されてもなお断るなんて俺には無理!
「いや、する! するから、ね、落ち込まないで!」
「ほんと?」
「うん。ほんと」
「ありがと。約束だよ」
なんとか笑顔を取り戻せたようだ。やっぱりこだまは笑顔が似合う。
「分かった。あー、時間は今度連絡するから」
なんか約束は文面を通してするのが得策な気がした。
「うん、待ってるね。」
「了解」
こだまと連絡をすることを忘れないと、心に留めた。
「そういえば、今日みんなでカラオケに行く話をしてたけど、由音流君は行かなかったの?」
今一番思い出したくないことをこの子は掘り出してきた。気分転換にラノベを買いに来たというのに。
「あー、今日はそんな気分じゃなくてさ」
「そーなんだ。私も誘われたけど今日は塾でさ。なくなく断っちゃったんだ……」
「そっかー。頑張ってるんだな。こだまは」
早く話を切り上げたい。返事がおざなりになってしまう。
「うん! もう受験は始まっているんだよ。だから備えないとね」
「流石に一年生の終わりから準備するのは早いと思うけど」
「早ければ早いほど、有利なんだよ! 私は歩みが遅いからライバルよりも早くスタートする必要があるのです」
そのひたむきさが辛い。
「なんか凄いな、こだまは。もう先を見通して行動してるんだな」
口調にほんの少しの嫉妬を込めてしまう。
「うん、夢を叶える為に必要なことだからね」
「夢を叶える為にか、かっこいいな」
「由音流君ほどじゃないよ」
「え?」
少しの沈黙の後こだまが意を決したかのように口を開いた。
「あ、あのさ、由音流君。部活は」
「ごめん、もう俺行かなきゃ、またな」
こだまの言葉を待たずしてそこを後にした。後ろから「ごめん、由音流君」と聴こえた気がした。
レジは混んでいなくて助かった。




