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虚ろな世界  作者: 鈴木
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この病院の地下を歩いていると、暗く冷たい倉庫の様な白い扉がある。中には大きなコインロッカーのようなものが壁一面にあり、防腐処理を済ませた死体はこの中に保管される。


ここは杜撰だ。


時代は進化したとはいえ、死体の扱いはいつの時代も変わらない。一体にひとつのスペースが用意されているのかと思いきや、一人用の空間に複数人の遺体が折り重なるように納まっていた。


「幾田直哉」


現世の監視社会に負けず劣らず、俺の世界もある意味現世と変わらないと思う。


上司であるオノレの声がしたので、俺はゆっくりと振り返る。先程俺が開いた冥界よりも大きく、暗い世界がこの部屋の半分を占めていた。そこは幻想的で、暗闇の中に赤、青、黄、緑、白の大小様々な、眩いばかりに輝く無数の光が点在している。この不思議な空間は、ある芸術家の「魂の灯」という作品を思わせる。


そんな世界に浮遊しているオノレの後ろには霊の河がある。綺麗な姿をしている者もいれば様々に欠損している者もいる。

軽く頭を下げたときに、俺は足下にある現世の人間が造り出した白いタイルと黒い冥界のぼやけた境界線が目に入る。


「申し訳ありません」


そう言いながら、改めて俺は自分が死神であることを思いしる。

明るい空間で久々に見た自分の身体は、全身黒のスーツを身に付けており、裾から伸びる掌の肌は異常なまでに白い色をしている。

そして懐にあるナイフとピストルの固い感触は、仕事の存在を主張する。


牢獄から出て初めての仕事。それを上が監視していない訳がない。


少し時間があるからと、軽率な行動をしてしまった自分を戒めて視線をあげれば、相変わらす霊の河は、皆何故か楽しそうにゆっくり進行を進めていた。冥界では人類の歴史が始まって以来、死者が河となってゆるやかに最後の審判へと進む。オノレは、その河を監視している。

死者の河の様子を伺う俺を見て、オノレが何か口にしようとする。


「ターゲットから離れたことについては悪いと思っています」


「、幾田直哉」


オノレは眉間に皺を寄せていて、それは彼が俺に言いたいことと、俺が謝罪していることが違うことを物語っている。オノレが言いたいことは分かるが、今はそれを聞きたいとは思わない。


「申し訳ありません」


牽制の意味を込めてもう一度意味のない謝罪をする。オノレは一度、大きく溜め息をつき、


「"アレ"はもう、」


と、最後までは言葉にしないものの、"彼女"の話題を出してきた。オノレは諦めろと言うようにゆっくりと首を振る。


「分かっています」



実際はそんなこと端から納得などしていない。俺が牢獄から出れたのは、"彼女"が死んだと納得したからだ。


監視員同行の元、"彼女"の捜索を期間限定ではあったが隈なくしたこともある。色んなヤツが協力者という名目で同行したが、どいつも最終的に『"彼女"はいない』という結論だけを俺に話すだけだった。それでも、"彼女"は消えただけで、気配は感じないにしろ死んだとは断定できない。


そう思ってはいるが"彼女"は死んだと納得しなければ仕事に復帰できなかった。仕事上、基本的に単独行動であり、復帰さえすれば捜索は容易いことである。しかし、"彼女"がもし生存していた場合、冥界で当たり前としていた死神という存在が脅かされるだろう。死神は魂のない人間の肉体を操る存在ではなく、人間そのものかもしれない、ということに。


はっきり言って、彼女さえ見つかればそれ以降のことはどうでもいい。

死神が人間だったとしても、俺たちに与えられた仕事は変わらないのだから。

俺にとって、蛾と蝶の違いと大した違いはない。


そう言っても復帰はできなかった。

復帰する為だけに納得したフリをし続けた。

とにかく大人しく過ごし、"彼女"の話題も避けた。




だが、あからさまに牢獄を出て早々に"彼女"の面影を探してしまい、疑われてしまった。


――本当は納得していないのではないか。


だからといってもう一度、牢獄に戻されるのは御免だ。


後ろ手に大きなコインロッカーの扉を閉める。閉まる音が自棄に室内に響き渡る。

左手首に嵌めてある腕時計を見ると、そろそろ先ほどの少女と青年を冥界へ導く時間になる。


「戻ります」


さらに眉間に皺を寄せたオノレ。何か言わなければ。そう思って出てきた言葉は、あまりにも苦い弁解だった。


「久々の現世に、興味が湧いただけです」


これならポーカーフェイスを保ったまま無言で引き返せば良かったのだか、卑屈な笑みを浮かべてしまう。お互いにより一層、皺を深くしていたところ、何か気配を感じた。 視線をオノレからズラすと、先程の少女と青年の魂が手を繋いで、この部屋に入ってきた。


再び時計を見るが、二人が冥界に行くには少し早い。とは言え、結局は冥界に行くのだから止める必要はない。

あとで少し小言を言われて終わるだけだ。


視線を時計から戻すと二人はゆっくり冥界に向かっていた。



とても清々しい表情をしている。

度々思うのは、死後の世界は楽しいところなのだろうかということだ。

死ぬことを許されなかった死神が知る必要はないのだが。


二人の魂は俺とオノレの横を通りすぎ、死者の河に加わった。それを見届け、


「私は君を長い間牢獄に閉じ込めていたが、これでも君のことは高く評価している」


「ありがとうございます」


「...さっきの言葉は信じるよ」


と、煮え切らない顔をしたまま、消えるようにオノレは映像を遮断した。

冥界との繋がりがなくなり、視界には真っ白な壁が広がる。


半世紀も前にあった"彼女"の最期ではあるが、先程のオノレとの会話によって色褪せることなく色鮮やかに出来事を思い出していた。





死神特有の異常に白い肌から青い血管が、手の甲、腕、首筋、顔、足の甲、と全身に浮き上がる。その血管に沿って手術跡があり、それが破れてドミノ倒しの様に皮膚がぷつりぷつり裂け、その隙間から血液と体液の分離した液体が止めどなく流れ落ちる。汗も止めどなく流れ、呼吸が荒い。


"彼女"は死神で、死神は不死身であるのに、"彼女"の身体で起きている現象はまるで人間でとても不可解だった。


何が起きているのか理解しているにも関わらず、"彼女"はその事について言及しない。

俺の名前を口にするだけ。


その映像と"彼女"の体温が、感触が。今でも目に焼きつき、手にこびりついて忘れられない。神の一種である俺は、無力だった。


しかし、"彼女"は消えたのだ。息を引き取る前に、テレポートしたかのように。だから死んだとは言いきれない。

あんなに肉体がボロボロでも、人間の様な肉体でも、死神であることに変わりはないから、生きているのだという願望が捨てられない。



ただ、"彼女"の気配はあの日以降、感じることはない。最後に"彼女"が俺から視線を外したが、その先に誰がいたのかは、背を向けていた俺には分からなかった。

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