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虚ろな世界  作者: 鈴木
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蛍光水銀灯に音を鳴らしながらぶつかっている、どうやら急いでいるらしい淡い青色の蛾を眺めながら、ある話を思い出していた。


『夜になると虫はあのあたり、程度の認識で月の位置を目印にして目的地へ飛びます。しかし、19世紀前半、大体200年前に街灯が設置されてから、未だに虫は街灯の明かりと月の明かりの区別ができません。皆さんがよく目にする、街灯に集まって飛んでいる虫は街灯を月だと勘違いして飛んでいることになります。

光に集まるのではなく、虫は目的地があるのです』


80年くらい前だったと思うが、俺のターゲットだった人間が、大勢の若者の前で話していた内容だ。しかし今の時代、虫が生息しているのも珍しくなっている。



50年俺は牢獄の中で過ごし、復帰してこれから初めての仕事をするのだが、その間に現世は随分変わってしまった。外を覗けば超高層ビルが建ち並び、人が歩く姿が見えない。その代わりに見えるのが、自らの意思を持っているかのように、しなやかに建物と建物を繋いでゆく管だ。


その管の中には人間が入るカプセルが――俺には棺桶にしか見えないのだが――人間はそれに乗って移動する。


俺はプラチナ一色の現世をただただ眺めていた。どこを見てもプラチナ色。現代の人間の色彩感覚はきっと俺より酷い。


静かになったことに気づいた。

先程眺めていた蛾が死んでしまったらしい。



続けてふと、"彼女"の言葉を思い出す。


『蝶と蛾の違いはね、触覚の形と夜行性か昼行性かの違いしかないの。それなのに人は蛾を嫌いすぎよ。中には薄い青色をした蛾がいて、オオミズアオと言うんだけど、学名ではアクティアスアルテミス。...ねぇギリシャ神話のアルテミス知ってる?月の神様なの。そんな素晴らしい名を付けているのに、人の扱いはあんまりだわ』


今死んだ蛾はオオミズアオ。

この蛾は照明に当たって感電死したのではない。


懐のポケットから出した紙切れによると、この蛾は餓死となっている。オオミズアオという種類は成虫になると口がなくなる。10日の命だ。


俺は左手の掌を広げて冥界を開く。

そこにこの蛾を投げ入れた。



果たして、オオミズアオはまだいるだろうか。もしかしたら、この一匹が最後だったかもしれない。


左腕の時計を見ると大分時間があるため、ゆっくりと歩みを進める。

復帰してから初日ということもあるせいか、30分で4柱を冥界へ送るよう指示された。

正直、移動時間は俺たちには関係がないし、こんなに時間を与えられると持て余して仕方がない。



とりあえず、歩く。

しかし自ずと向かう先はターゲットの元だ。



左側に均等に配置してあるスライド式のドア。

右側にも均等に配置してある窓。

そして何処を見渡しても白く無機質な廊下。

薬品臭い空間の中に、微かに血の臭いや化膿した臭いが混ざる。


俺は人間の肉体を元に作られたので、五感を感じることができる。俺の場合は特に鼻がきく。


――生きることも死ぬことを赦されない存在。


そこには女の子がベッドの中で上向きに寝ている。その隣には少女の両親が青い顔をして、呆然と佇んでいた。俺はそんなことはお構い無く、少女の側まで歩みを進める。



彼らに俺は見えていない。

少女の顔を見れば、吹出物などできたことがないかのような、綺麗な肌をしている。しかし、一点だけ額に傷が残されている。



現世では、成人を過ぎてこの傷がない人間はいない。


かすかに開いた唇から、少し突き出た前歯がのぞいている。


まるで何かを言い残したことがあるかのように。




そして壁一枚隔てた左隣の部屋には、青年が先程の少女と同様に寝かされている。青年の部屋は少女と違って彼一人だった。誰も、彼とのお別れをしに来る人間はいない。高層ビル10階の窓から飛び降りたため、生々しい傷を露にしている。


顔の原型は崩れて額の焦げた皮膚、関節でもないところで曲がる腕が痛々しい。幸い目は瞑っているが、ただ原型のない顔でも、自分を偽って生き続けなくていいという安心感を感じさせる。



俺が牢獄から出て初めての仕事であるオオミズアオを終わらせ、冥界の生命管理機構(life manage mechanism:略称LMM)の職員から纏めて渡されていた3名分の資料の内の2名である、少女と青年を手にかける。



――今は2095年。



現世で変わったのは景色だけではない。それよりもっと変化したのは人間自体だ。


神に似せて造られたらしい人間の肉体は、今や人間が造り出した機械そのものとなり、生物という枠組みから逸脱していた。


額に薄く小さな装置ーー多目的装置(Multi-objective Optimization device:略称MOD)ーーが強制ではないが無償で誰でもつけることができると、人間の世界共通の常識とされていた。


MODは人間の遺伝子の癖を紐解き、その人にとってあらゆる場面で最適な行動を取れるように導いてくれる。微細な電流を流すことで脳の伝達情報に変化を加えるメカニズムをとっている。身体には無害、と言われているらしい。


製作した会社が情報を管理し、必要に応じてMODは自動的にアップデートされる。



牢獄から出てみれば人間は何の疑問を抱かず、知らない誰かが、何を根拠にして導き出した答えか分からない指示に従う日常が普遍となっていた。



俺が牢獄に入る前、人間はまだ生物らしく生きていた。

ただ、MODの第一試験者である男はテレビでこう言った。


程度の問題、だと。


『誰もが携帯電話を持っているでしょう。

アプリに自らの情報全てを記録させて、何かを覚える習慣がなくなった。

もし、携帯電話をなくしてしまえば我々人間は何も出来ない。危険予測も臨機応変な振る舞いも。

そうでしょう?

状況判断能力が退化した私達に残された道は、自分に必要な情報を記録しているモノを、所持し続けること。

MODをつけることも、携帯電話を持つことも意味合いに代わりはない。寧ろ合理的だ。例えば荷物は減るし、所持することを忘れることはない。

私の場合、MOD着装に加えて血や肉を機械化したわけだけれど、昔と変わらず人間として生きてるし、肉体的老いを克服した』


この人間は肉体をサイボーグ化して肉体的老いを止めた。しかし23年前に132歳で亡くなったらしい。死因はシステムの誤作動と簡単に済まされていたと耳にしている。


一説によれば、新しいものを入れ替えてみたが、彼とは別の人格で判断力が著しく低かったと言われている。



彼が生きていた当時、マスコミは面白おかしく報道し、彼を知った人間は頭のイカれた人間だと評した。そうは言っても、未知なるもの得体の知れないものに興味を抱かずにはいられなかった。誰もが長年不老不死に憧れを抱くからだ。

そして現代、彼の思想は当たり前に人間に受け入れられている。


しかしながら、ターゲット3人は、この現代の風潮を受け入れてない、珍しい人間だった。


自我が生まれ始める12歳の少女は、MODから流れる微量の電気信号が身体との相性が悪く拒否反応を示した。


青年はMODに自分が乗っ取られた感覚に恐怖して、自殺に及んだ。

青年の額の皮膚が焦げていたのは、青年が自殺に及ぶ際、ショートしたのが原因だろう。



これから男性は、社会復帰のために薬物投与やカウンセリングを受けさせられるだろう。


身体を騙す程度では死ねないことが分かる。外部の監視カメラでも男性の行動をしっかり捉えられていた。


――誰がいつ何処で何をしたのか。


男性がどんなものをどれくらいの頻度で購入しているのかを見られているのだ。つまり、一人暮らしの男性が塩を頻繁に買う行動模様はしっかりと記録されていたのだ。

このように、男性の寿命は延びてしまった為に俺のターゲットではなくなった。

生活リズム、栄養管理、職業、位置情報ーー


現代の人間は人間がどう生きたいか、は判断基準としていない。どう生きたほうが安定するかが重要だという。


人生を丸ごと捨てること、ストレス、愛のないセックス、病気、酒、煙草など自堕落な生活とは、無縁だ。

身体や精神に悪影響を及ぼす行為全てが禁止されている。

自分の身体を健康に保つこと。

それに取り憑かれた人間たち。


"命をたいせつに"


自らの意思で、感情で選択をすることを忘れてしまったようだ。 自分の行動になんの疑問も抱かない。


現世はとても変わったが、俺たちの仕事は何も変わらない。

指定された人間を冥界に導く。

ただシンプルにそれだけのこと。


少女と青年の肉体を確認し、左手首に嵌めてある時計を確認すれば、次の作業の時間まで少し時間がある。

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