第十四話 「温度差」
フィッダは足音を消して廊下を進んでいた。コソコソせずに堂々と呼びかければ良かったのだが、セクトもつい彼女の動向につられて声を潜める。
「……待ってってば、フィッダ」
「しーっ。あそこ、何か話してるね」
廊下の突き当りの部屋、扉がうっすらと開いていた。
昨日、町長と会話をした応接間だった。フィッダは壁に張りつき、爬虫類のように俊敏な動きで隙間から覗き込む。
やれやれと首を振りつつ、セクトも好奇心に負けてフィッダの背後に回った。
窓から差し込む日差しが室内を照らし、うっすら光の帯が伸びている。これに背を向けてソファー座っている町長の正面席。
「うふふ、ご理解くださって感謝いたしますわ」
そこに腰かけていたのは、二人が探していた隻眼の修導士ルアその人だった。
彼女と相対する町長は、どこかへりくだった態度で額に汗を滲ませる。直射日光を受けている背中が、暑いわけではなさそうだ。
「いえいえ、その節は大変ご迷惑をおかけしました。つきましては、此度の――」
「少々お待ちください」
ルアは顎を引き、出入り口の方角に意識をやる。
その瞬間、町長は眉間にしわを寄せて、突然大声で怒鳴り始めた。
「セルジュか! そこで何をしてる!」
「うわぁっ、びっくりしたよ!」
町長から発せられる爆音に、フィッダはその場でひっくり返りそうになった。後ろでセクトが受け止めつつ、半開きの扉を押して開口一番謝罪した。
「す、すみません。玄関が開いていたので、勝手にお邪魔してしまいました」
「お前は――あ、あぁ、旅人の。いやこちらこそ驚かせて申し訳ない。てっきり息子が、貴方たちへの案内を忘れて帰って来たのかと」
軽く頭を下げながら、はたと町長は思い当たる。
「ところで貴方たちは、なぜここに?」
「ルアさんがこちらに伺っていると聞いたもので」
「あら、私への用向きでしたか。でしたら、私はこれにて失礼させていただきますわ、町長さん。それと改めまして、こちらの書庫を覗かせていただきますわね」
ルアは町長に一言添えて、セクトたちと応接間を退室する。
去り際、やはり町長はルアに対して愛想を出していた。彼女が美人だから、サムエルのように下心を抱いているのだろうか。奥方を見かけないので、何らかの事情で独り身であれば、他人がどういう言う問題ではないのかもしれない。
「セクトさんとフィッダさんでしたね。本日はどうなさいましたか?」
一階の書庫のある部屋の扉を開けながら、ルアが二人に問いかける。
セクトは掻い摘んで、これから坑道の怪物退治の依頼があることを伝えた。
帰還するまで、フィッダを預かってもらえないかお願いする。ルアは本棚の立ち並ぶ室内に入り、適当な蔵書を手に取りながら、隻眼をこちらへ向けた。
「もちろん、構いませんわよ。ただ、その間、少々お手伝いをしていただけますか?」
「内容次第よ。ワタシィ、面倒、したくないね」
「ご安心ください。幼子でも理解できる単純な作業ですわ」
本を棚に戻しながら、ルアはざっと書庫を一瞥する。
「この場で私の指定する資料を探していただくだけですわよ」
「……今ワタシィのこと、ちっちゃい子供扱いしたね。とんだ失礼よ、このオバサン」
フィッダは不貞腐れたように母国語でぼやく。
ここ数日は、サムエルたちに子供と言われても反応しなくなっていたが、単純に慣れただけで本人はまだまだ気にしているようだ。それと女性に対してその言葉は、暴言以外の何物でもない気がする。
「あら、アナタ」
耳慣れない響きとフィッダの態度に、ルアはきょとんと左眼を丸くさせた。
「あっ、ええとですね」
知らない言語を持ち出されれば、誰だって驚くに決まっている。
当然セクトは本来の意味は伝えないまま、ルアに囁いた。
「本人に悪気はないんですが、ちょっと背伸びしたい年頃なので、あまり子供扱いしないであげてください」
「おやそうでしたか。これまでの人生で一度も耳にしたことのない言葉でしたので、少々呆気に取られてしまいましたわ」
ルアは穏やかに口端を緩め、フィッダの前で膝を折って目線を揃える。
「申し訳ありません、これからは発言に気をつけますわ。それと――」
フィッダの耳元に、すーっとルアの唇が吸い寄せられた。
「私はまだ二十七ですわよ? フィッダさん」
「……っ!」
ぶるりとフィッダの背筋が震える。
ルアは変わらず、微笑みを湛えていた。
「フィッダ?」
二人のやり取りは聞こえなかったが、よくよく見れば書庫内の窓は、カーテンが閉められている。身体を冷やしたのだろうかと、セクトはフィッダを気にかけた。
「寒いなら、カーテン開けようか?」
「だ、大丈夫よ。何でもないね」
「セクトさん、日光を入れてはいけませんわ。書物が早く痛んでしまいますので、あえて室内を暗くしているのですわよ」
「へえ、そうなんですか」
また一つ新しい知識を取り入れながら、セクトはルアにお礼を伝えてフィッダを任せる。
「ありがとうございます、ルアさん。フィッダのことをお願いします」
「どうぞお気をつけくださいませ、セクトさん。フィッダさんのことは、責任を持ってお預かりいたしますわ。全ては自我の導きのままに、アナタの行く末に祝福があらんことを」
ルアは両手を胸元で組み、セクトに祈りを捧ぐ。
昨日は自らを叛徒と自称していたが、修導士としての在り方は真っ直ぐに、美しい清澄さを感じられた。
「……やっぱり、この人、ちょっと苦手ね」
何やらぐったりしたフィッダだが、別れ際は手を振ってセクトを見送った。
町長の家を後にし、セクトはサムエルたちの待つ坑道入口へと向かう。




