第十話 「神を信じぬ者」
大通りを真っ直ぐ抜けると、一気に視界が開けてくる。
シメールの中心に設けられた広場には、落ち込んだ町の空気と打って変わり、子供たちの賑やかな声が溢れていた。
広場の中央には角度のついた柱が置かれており、陽光が影を落とす。その周囲の地面には数字が書かれていた。いわゆる日時計である。それをシンボルとする場所で、幼い子供たちがあちこち駆け回っていた。
小柄な輪には、すっかり溶け込んだフィッダの姿も混ざっている。
「――あっ、セクトにい! 話、済んだのか!」
セクトに気づいたフィッダは、追いかけっこを中断して、パタパタ駆け寄って来る。
「あれ、修道士の教導を受けてたんじゃ?」
「ワタシィ、ああいうの、退屈よ。身体動かしてる、性に合ってるね。他のみんなも同じよ」
「そ、そう。で、修導士の人は今どこに?」
「あっち、いるね。物好きな子供、まだ聞いてるよ」
フィッダの指さした方向は建物の日陰。ちょうど休憩用のベンチが置かれた場所で、子供たちが誰かを囲んでいる様子が目視できた。
「セクトにい、話して来るよろし。新しい旅人、この町来たの、気にかけてたよ」
「え? あぁ……それもそうか」
この町がサルヴァドル想派と関りがある噂は、隣の宿場町まで届いている。
旅人の正体が、傭兵の類でもおかしくはない。修導士の立場としては、せっかく町長を説得したのに、次なる揉め事を危惧するのは当然である。
わざわざサムエルを呼ぶ手間もないので、セクトは自分で説明することにした。
「フィッダ、ちょっと待っててくれる?」
「構わないよ。ワタシィ、お姉さんね。もう少し子供たち、付き合うとするよ」
大人ぶった口ぶりだが、隠しきれない破顔は彼女の素のようだった。
いくら出稼ぎに出られるほどしっかり者に見えても、フィッダはまだまだ子供。いざというときは、守られるべき対象である。
フィッダが再び町の子供と駆けっこを始めたのを横目に、セクトはベンチに歩み寄った。
「――この世に神はおりませんわ」
子供たちの向こうから、透き通った声がする。
故郷の祭事に用いられる、合わせ石の玉響のように、よく耳に馴染む心地良い響きだ。
旅の修道女は、目見麗しい天女のような女性だった。
整った顔立ち。スレンダーな体躯。艶やかな銀髪はうなじで切り揃えられ、その澄ました表情からは笑みが絶えない。
白を基調とし、ところどころ黒いラインを入れた衣装は衣のようだ。
光にかざせば向こう側が透けそうなほどで、一枚布として全身を覆っている。
しかしそれらの印象を全て置き去りとするように、誰もが意識を惹く象徴は、右目を覆い隠す灰色の眼帯だった。
「じゃあ修導士様は、何を信仰してるんですか!」
子供の一人が、手を上げて質問する。
銀髪の修導士は、穏やかな語り口で教えた。
「自ら信じるもの全てが、信仰の対象となり得ますわ。現世においては、旧時代において偉業を成し遂げた十一人の賢人を、神として奉ろうとする宗派も散見されております。はたまた、人類に仇なす零れ人を救世主と崇める邪教もあるのですから、この世のあらゆる信仰は個人の自我次第なのですわよ。ええ――そうは思われませんか、旅のお方?」
すーっと、修導士の隻眼がセクトを捉える。
幻燈夜の燐光を彷彿とさせるグリーンの輝き。吸い込まれそうな感覚と同時に、セクトは眼帯に隠されたもう片方の眼差しにも、射貫かれた気分を覚えた。
「さて、本日の教導はここでお終いですわ。それでは、みなさんが健やかなる日々を過ごせるように、心ばかりの祝福を捧げましょう」
修道士は両手を組んで祈る仕草をし、子供たちもそれを真似する。
そして広場に幼い声が散らばっていき、セクトは一対一でベンチの修道士と向かい合った。
「うふふっ、驚かせてしまい申し訳ありませんわね」
艶やかな微笑みとともに、彼女は挨拶を交わす。
「私はしがない旅の修導士で、ルアと名乗る者ですわ」
「え……っと。はい、ボクはセクトです」
「セクトさん。とても良いお名前と目をしておられますわね」
「あ、すみません。とんだ失礼を」
ルアに指摘され、セクトはまじまじと彼女の眼帯を見ていたことを悔いた。
この赤い瞳のために、他人から奇異の眼差しを向けられてきたのに、それと同じことをルアに行っていたのだ。セクトは身が縮こまる思いだった。
「いいえ、お気になさらないでください。アナタも人並み以上の苦労を背負ってきたのでしょうけれど、何も恥じ入ることなどありませんわ。ありのままの姿こそ、自然体なのですから。私は隠していますけれどね」
冗談のつもりか、ルアの口ぶりは涼やかに軽いものだった。
おかげでいくぶん緊張が解けて、セクトは改めて彼女と向き合う。
「教導の最中にすみません。ですが、ボクたちが貴方の思うような人間でないことは、ちゃんとお伝えしておきたいと思いまして」
子供たちが近くにいる手前、セクトは物騒な言い回しを避けておく。
しっかり意図が伝わるか不安だったが、ルアの雰囲気は終始穏やかだった。
「ご安心を。アナタを一目見たときから理解しておりましたわ。その背負われた槍を見ても、一切の使用感がありません。新調したばかりであれば話は変わりますけれど、おそらくセクトさんは心優しいお方。戦士ではないのでしょう?」
「ボクは戦士の息子です」
そのとき。自分でも驚くほど矢継ぎ早に、セクトは力強い言葉を示す。
気づいたときには、己の口元を手で覆っていた。初対面の人間に、わざわざ訂正を迫る必要などないのに、戦士であることを否定されたくないと思った。ソリトゥードの民としての誇りが、今もまだ胸の内にある証だ。
「あら、申し訳ありませんわ。気分を害してしまったのであれば謝罪いたします」
「い、いえ。こちらこそ度々すみません。どうも初めての人と話すのは緊張しまして」
お互いに謝罪合戦を繰り広げると、どちらともなく頬が綻んだ。
「うふふ、話題を変えましょう。セクトさんには、何か信仰がありますか?」
「ボクは特に、そういうのないですけど。強いて言えば、果てなき世界の自我の存在を信じてるぐらいですね」
「現世の全てを司るとされる意思ですわね。アナタはそれを神だと思われますか?」
「いいえ。さっきルアさんも言ってましたけど、神はいないと思います。この世にあるのは、人の宿業だけです」
セクトが持論を並べると、ルアは関心を抱くように左眼を眇めた。
「私も同じ思想ですわ。セクトさんには、とても親近感を覚えますわね」
ルアは熱心な態度で、セクトの弁を肯定する。
修道士に同意してもらって悪い気はせず、セクトはポリポリ頭を掻いた。
おもむろに、ルアは立ち上がって日差しの下に出る。
陽光に照らし出された彼女は、どこか神秘的な空気を纏っていた。それが聖職者の装いのためか、銀髪が色めいているせいかは曖昧だったが、はたとセクトは意識する。
「そういえば、ルアさんは頭巾かぶってないんですね。たまに見かける修導士は、頭に何かしらかぶっているようでしたけど」
「あれは信仰対象に祈りを捧げる際に、視覚や聴覚などの情報を遮断するために用いるもの。天に祈らない私とは無縁なのですわよ」
その一瞬。頭上を流れる雲が、日差しを遮って広場を覆った。
「それにこう見えましても、私――叛徒ですので」
「……え?」
セクトの反応が遅れる。
その間に、雲が流れて広場の輝度が戻り、日時計が正常に正午の時間を指し示す。
ルアは変わらぬ微笑みを湛えていた。
「そろそろお昼ですわね。では、この辺りで私はお暇させていただきますわ」
セクトはぼんやりと、この場を立ち去るルアを見送った。
直後、広場の子供たちも時刻に気づいて、次々に帰宅していく。遊び相手がいなくなったことで、フィッダも戻ってきた。
「お腹減ったよ、セクトにい。早くお昼、食べに行くね」
「そう、だね。サムエルさんたちの元に戻ろうか」
元々この広場を訪れた目的を思い出し、セクトはフィッダを引き連れて宿に引き返す。
「叛徒――神を信じてないからか?」
頭の片隅に、引っかかるものを抱えながら。




