第八話 「活気なき人々」
謎の落石を受けて、セクトは術代を顕現させたまま周囲を警戒していた。フィッダも普段の調子は鳴りを潜め、こちらに肩を寄せて静かに待機する。
そして四半時が経過した辺りで、シメールの町の方角から一人の男がやって来た。一見すると穏やかで、人の良さそうな好青年である。
「セクト様とフィッダ様でございますね」
「はい。そうですが、貴方は?」
見知らぬ顔に、セクトは警戒を絶やさず聞き返す。
「私は町長の遣いのセルジュです。貴方がたをお呼びするよう、申しつけを受けた次第です」
「ボクたちの仲間も一緒ですか?」
「ええ、もちろん。サムエル様がたも、町長の家におられます。ささっ、長旅でお疲れでしょう。どうぞこちらへ」
セルジュは畏まって、二人をシメールの町に招いた。
セクトはいったん術代を解くが、いつでも臨戦態勢に移れる準備をしておく。
「なあ、セクトにい。これ罠、違うね?」
フィッダも慎重になっているのか、小声で耳打ちされる。
「町から戦闘音は聞こえなかったから、サムエルさんたちは無事だろうけど」
一抹の不安を解消するため、セクトはさり気なく探りを入れた。
「セルジュさん。この辺りって、よく落石があるんですか?」
「落石? いいえ。私も長年この地に住んでいますが、そういったことに遭遇した経験はありませんね。ウムブルラ山脈の渓谷は、岩盤がしっかりしているので、多少の強風ではビクともしませんよ」
「そうですか。ちなみに、崖の上に石切り場なんてありますか?」
「いいえ。採掘の類は全て、町の奥にある風穴内で行っておりますね」
淀みない彼の弁に、嘘が混ざっているとは思えなかった。
だとすれば、やはり先ほどの落石は何者かが意図的に行ったのだろうか。まずはサムエルと合流し、シメールの実態を確認することが先決だった。
「ところでセクト様」
町に入る手前で、一度セルジュが立ち止まる。
「先ほどの蝶は、術代ですか?」
「そ……そう、ですね」
セクトは内心、おっかなびっくり受け答えた。
サムエルたちから注意されていたのに、迂闊にも術代をセルジュに見せてしまった。
余分な意識を持たせてしまっただろうかと、セクトは不安が押し寄せて来る。
正面を向いていたセルジュは、勢いよくセクトを振り返った。
「やっぱり、そうだと思いました!」
その反応は、どこか浮かれたものだった。
「えっ、と……」
「あっ、いえ、突然すみません。ああいうものを見るのが初めての経験でしたので、つい興奮してしまいまして」
セルジュは後頭部に手を当てて、羞恥を誤魔化しているようだった。
「術代が珍しいんですか?」
「知識は有していたのですが、私はシメールの中で育ちました。ですからその、お恥ずかしながら、ここを離れた経験と言えばごく僅か。町長である父に着いて、付近の町へ買い出しを行ったときぐらいでして」
外海では、生まれ育った土地以外を知らぬ者を、世間知らずと呼んで蔑む場合がある。
セクトも三年前までは、紛れもなく彼と同じ側だった。新しいものを発見する度に、無邪気に瞳を輝かせた覚えがある。
それゆえに他人事とは思えず、セルジュに対して妙な親近感が湧いた。
「こほん。それでは――ようこそ、シメールの町へ」
シメールの町の入口は、巨大な門が待ち構えていた。
天然の岩壁に、丸太を縦に組んだ扉。これを門の外側に向けて左右へ割り開く形で、大人が数人がかりでようやく動かせる重量である。しかも渓谷に閉ざされたこの土地で、そこは唯一の出入り口だ。
セクトたちが足を踏み入れた直後、内側の縄を大人数で引っ張って扉が閉まる。
状況だけ考えれば、完全に退路が断たれた状態だった。
「あらー。門、閉まっちゃったよ。ワタシィたち、袋の鼠ね」
「安心してください。いきなり取って食べることはしませんので」
大扉の閉まる様子を眺めていたセクトたちに、セルジュはさらりと冗談めかす。
口では何とでもいえるが、この町がサルヴァドル想派と関っている噂がある以上、洒落で済む問題ではなかった。
けれどセクトは町人の様子を見る限り、急に襲われる可能性は低いと見積もる。
シメールは石材を建築に用いた石造りの町。屋根から外壁に至るまで、白や灰色が主体の建造物が軒を連ねている。そのため厳格な空気が全体を包んでいるのだが、住民の表情はどこか真逆の雰囲気を湛えていた。
すれ違う人々に、活気と呼べるものがなかった。特にガタイの良い男たちが、昼間から路上のベンチに座り込み、手持無沙汰にしている様子は一種異様に映る。
「こちらが町長の暮らす家で、私の実家となります」
セルジュに案内されて辿り着いた、シメールの町の東側に位置する屋敷。
他の居住区とは一線を画す、石造りの一軒家。庭には数本の松が生えている。渓谷では、ほとんど植物を見かけなかったので物珍しかった。
「この家だけ、立派な木あるね。お金の匂い、ぷんぷんするよ」
「ちょ、フィッダ。さすがにそれは」
「構いません。町長の認識なんて大体そんなものですよ」
セルジュは笑みを浮かべて松を見上げる。
「我が家は――というより、シメールは鉱山で発展した町です。土壌に金属を含むので、普通の植物が育ちづらいのですよ。この松は祖父がよその土地から苗を買って埋めたそうです。ちなみに自然に生えている場合は指標植物として、鉱石の埋まっている場所の目印になります」
元々お喋りが好きなタチなのか、雑談を交えて説明してくれた。
彼が温厚なのでこの場は落ち着いたが、フィッダはセクトの思った以上に裏表がない。自覚のある悪態は故郷の言葉で誤魔化すけれど、世渡りに必要な礼節が少々欠如している。
子供らしさと言えばそれまでだが、セクトは常に冷や冷やさせられた。
「……フィッダ、あまり余計なこと言わないでよ。この町は危険かもしれないんだから」
「分かってるね、セクトにい。ワタシィ、そこまでバカ違うよ」
本当に理解しているのだろうか、フィッダは無邪気な笑みを零すばかりだ。
「そうそう。三日ほど前に、旅の修導士様がこの町に来られたのですよ」
屋敷に入る直前、思い出したようにセルジュが口にする。
一瞬、ドキリと緊張する話題だったが、彼は事もなげに続けた。
「西の広場で、子供たちを相手に教導をなさっています。すぐそこの一本道を真っ直ぐに進めば着きますよ。これから退屈な話になりますので、フィッダ様はそちらに行かれてはいかがですか?」
「ふーん。ワタシィ、別に子供違うけど、たしかに、そっちの方が楽しそうね」
セルジュの提案にフィッダは乗り気だった。
彼女を一人にするのは不安だが、ここで引き留めては余分な不信感を与えるかもしれない。
サムエルたちも屋敷の中にいるのだ。酷いことにはならないと信じて、セクトはフィッダを送り出す。
「じゃあ、行っておいでフィッダ。……何かあったら、すぐに戻って来るんだよ」
セクトは小声で注意を促しておく。
「うん、そうするよ。またね、セクトにい」
フィッダは小走りに、西の広場へと向かった。
セクトはぼんやりした眼差しで、その背中を見送る。
「それでは、中へどうぞ。……セクト様?」
逡巡、セクトの呆けた態度にセルジュが首を傾げる。
「ああいえ、お邪魔します」
セクトはすぐに、セルジュの案内に従った。
そして屋敷に入る前に、もう一度だけフィッダの去った方角に目を向ける。
否、見据える場所は、そのさらに遠く――
「またね、か……なんでもない言葉なのにな」
過ぎ去りし哀愁を、瞳の奥に宿していた。




