第七話 「シメールの町」
海岸線沿いのコースト街道を西に折れ曲がり、湿地帯を超えた頃に野宿する。
翌日。背の低い平原に差しかかると、途中の宿場町でさらに一泊を費やし、セクトたちはシメールの町へと続く渓谷に差しかかった。
この辺りは地層が剥き出しで、断崖絶壁のため登山は極めて困難。
通常の旅人は、さらに南下した地点にある正規のルート。ウムブルラ山脈に掘られた風穴を利用する。そちらは首都ソムニアか、西方に迂回するための山道に繋がり、トンネルの入り口には検問が設置されていた。王都への通行証を持たない者を門前払いするためである。
渓谷内部は少々入り組んでいて、途中でさらに複数の分かれ道に迷い込んだ。
シメールへの案内看板が立っていなければ、あっという間に遭難しそうだった。しかも谷合という地形のため、時折山風が吹き荒んでいる。
昼間はまだ温かみを感じられるが、夜間になれば凍てつく空気に身を晒され、瞬く間に衰弱するはずだ。それゆえに、シメールを訪れた旅人たちは、是が非でも道を見失うわけにはいかないだろう。しかし苦心して辿り着いた場所は、サルヴァドル想派と関りのある町。
仮に脅されて、金銭の要求を無視すれば、深夜の谷合に投げ出されることは必至。その場で断る選択を出来る者は皆無に等しいだろう。
「――もうすぐシメールだ。セクトとフィッダは、この辺の岩陰で待機してろ」
町の入口を遠目に確認し、サムエルが指示を下した。
フィッダを危険な目に遭わせないための配慮か、セクトを護衛に任命する。
「先に術代を飛ばして、町の様子を確認しますか?」
指示に従う前に、セクトは索敵を提案した。
術代は使用者に自我の欠片を戻す際に、視界に納めた景色を共有する。
サムエルの火の鳥は目立つので、セクトは自分の蝶を飛ばすことを考えたが、その提案はアンガスから却下された。
「この辺りは岩場だ。あまり虫が生息していない。蝶の姿を発見されれば十中八九、術代であることが露見する。町の者を刺激して、余分な警戒を与えるのは止した方が良い」
「まっ、相棒の言う通りだな。まずは北を目指して渓谷に迷い込んだ旅人を装って、連中の動向を探るのが先決だろうよ。首尾よくいけば、お前たちは長旅の疲れで、少し休憩させてたって名目が立つ。迎えに来るまで大人しくしとけ」
「分かりました。みなさん、気をつけてください」
「そっちこそ、警戒は怠るなよ。お前なら心配ないだろうが、そのちんまいのが目を離した隙に、いなくなっちまうかもしれないからな」
「ふざけたこと言ってないで、早く様子を見に行ったらどうだ、オッサン」
フィッダは母国語で堂々と悪態をついている。
当然、他の面々に意味は通じないので、セクトはやんわり変換しておいた。
「フィ、フィッダも無事を祈ってるみたいです」
「おっ、なんだ。可愛いこと言ってくれるじゃないか。まあ安心しな。このサムエル・ファルコナーがいる限り、心配なんて微塵も感じさせやしないからよ」
サムエルはポンポンと、フィッダの頭に手を弾ませる。
「へへっ」
「良い笑顔だな。喜んでくれてんのか? でも俺に惚れるなよ」
「ここが故郷じゃなくて良かったよ。汚い手で人の頭に触るような奴は、袋叩きにして磔にしても飽き足りないね」
「……あ、はは」
ここに言語の壁があって良かったと、セクトは口端を引き攣らせながら感じた。
少々ずれたやり取りを済ませ、サムエルたちはシメールの町に向かった。セクトとフィッダは岩場でこれを見送る。
セクトは彼らの後ろ姿を眺めつつ、直前に立ち寄った宿場町の話を思い出した。
数日前、ある旅人がシメールの方角に向かったという。
その人物は各地を巡る修導士で、訪れた町で様々な慈善活動を行っているらしい。
そもそも修導士とは、現世にて特定の信仰を持つ者の総称。
サルヴァドルの零れ人信仰も、広義の意味では修導士の活動だ。
しかし本物の修導士は正統な修験者で、日夜人々のために奉仕を行っている。
特に医学に通じた修導士は修導医士として、騎士団や戦場に配属されることもあるらしい。
仲間のウォーレンも、昔はそれに準じていたようだ。けれど絶え間ない怪我人の治療に明け暮れる中、あるとき心がポッキリ折れたと聞く。
修導士は並外れた精神力がなければ成り立たない。
特に旅をする者は、この世のあらゆる理不尽と向き合う必要がある。
その観点から見れば、シメールに向かった修導士は、よほど清廉な自我を宿しているのかもしれない。宿場町の人間が、再三の警告を行ったにもかかわらず、サルヴァドルと繋がりの噂を持つ土地へと赴く行動力。
サムエルはこの話を聞いたとき、非常に感銘を受けていた。
修導士の奉仕は、いわば武力を行使しない義賊のようなもの。シメールの悪事を正そうとする姿勢に、共感するものがあったようだ。
「セクトにい。ワタシィ、一人でも大丈夫よ。オッサンたち、心配なら、着いて行くよろし」
手近な岩に腰かけながら、フィッダがひょんな提案をする。
「そういうわけにはいかないよ。君のこと守らないといけないし」
「でも、不安って、顔に書いてあるよ」
やけに目敏く、フィッダに指摘される。
彼女の言葉は半分当たっていた。悪事が為されているかもしれない町に、仲間が向かって気が気でない人間はいない。後になって、その場に自分がいればと後悔する可能性だってある。
だがそれ以上に、セクトはサムエルたちを信用していた。
彼らがむざむざ返り討ちにされる姿など想像できないし、むしろフィッダに万が一のことがあった方が、仲間たちに顔向けできなくなる。
「大丈夫だよ。みんなボクより強い人ばかりだ。余計な心配するなって、返って怒られる」
「ふーん。じゃあ、悪党退治、オッサンたち任せるね。果報、寝て待つよ。起きたときは、お金、がっぽがっぽね」
「それはそれで、なんだかな……」
子供らしからぬ発言に、セクトは呆れつつも否定はしなかった。
家族のために出稼ぎを行うフィッダの心がけは立派だ。
さりとて、幼い少女がそうせざるを得ない現世の実情に、セクトは複雑な思いを抱く。
誰も苦労しないで生きられる世の中など夢物語に過ぎない。それでもフィッダのような子供には、年相応の境遇を望まずにはいられなかった。
「……ん?」
不意に、セクトは違和感を覚えた。
頭上から、パラパラと何かが降ってくる。一瞬、雨でも降り始めたかと思ったが、それにしては粒の質量が大きかった。
「雨――じゃない!」
ハッと頭上を見上げたセクトは、いち早くフィッダに駆け寄った。
「動くな、フィッダ!」
「ど、どうしたね!」
愕然とするフィッダをよそに、セクトは両腕を広げた。
羽ばたく動作は大自然との架け橋。振りかざした手の平は、そびえ立つ断崖絶壁へ、土色に光る陣を描き出す。
「覆え、岩の蝶よ!」
セクトの一声と同時、二人の正面の崖が蝶の姿に隆起する。
そこに生じるは、セクトの自我の欠片を分け与えた術代。巨大な羽で二人の身体をすっぽりと包み込んだ、次の瞬間。
ガッ、と鈍い音が頭上から降り注ぐ。
ちょうど二人のいた地点目がけて、断層の頂上から大岩が落下したのだ。術代の展開がほんの僅かでも遅ければ、セクトたちはペシャンコに圧し潰されていただろう。
「……セクトにい。もう大丈夫か?」
衝突音とともに、セクトの懐にしがみついたフィッダが恐る恐る顔を上げる。
「ああ、これ以上は続かないみたいだ」
岩蝶の羽が開かれて、セクトは崖の上を確認する。
フィッダは冷や汗を拭う仕草で安堵を呟いた。
「ほんと、びっくりしたよ。地盤、緩くなってたか? とても運、悪いね」
「……ただの落石だったらね」
そのとき、セクトは見上げた断層の頂点に――
黒い人影のようなものを目撃した。




