第三話 「カタコトの騒ぎ」
どこかで鶏の鳴き声を聞いた。
セクトが意識を覚醒させると、そこはベッドの上だった。
昨晩は酒場に戻ってひとしきりご馳走になったあと、酔い潰れた仲間に肩を貸し、宿屋に泊めてもらった記憶が蘇る。海賊退治のお礼ということで、宿泊代は無償だった。
寝ぼけ眼で、セクトはベッドの上に手を滑らせる。
白く柔らかい生地のシーツは、巧みな技術で織られた綿の肌触り。
外海に来てからは野宿ばかりだったので、身に染みる思いだ。
故郷のゴツゴツした麻の織物とも雲泥の差があるが、今となってはあの慣れ親しんだ質感に懐かしさすら覚える。これが心療の際にウォーレンから聞いた、ホームシックという感情なのかは、よく分かっていない。
ただ、それに付随する形で、ふとした拍子に家族を思い出すことはあった。
「……ルキ、また寝ぼけて人の布団に入り込んだのか……」
セクトは霞みがかった頭で、小脇に丸まった熱源に触れる。
ガレーネ島に居た頃は、よく二人の妹がセクトの寝床に転がり込むことがあった。
だから今回も、その記憶を頼りにセクトは声をかけたのだが――
「――ふわーぁ。朝っぱらから、くすぐったいよ」
「あぁ……ごめん。それより、早く自分の布団に……――ん?」
そこでセクトは違和感に気づいた。
外海に他の家族はいない。しかも昨夜は、一人で床に就いたはずである。それなのに、どうしてセクトの隣で掛布団が、こんもりと盛り上がっているのだろうか。
「……だ、誰!」
セクトは素早くベッドから飛び退いて距離を開けた。
義賊として活動している以上、サムエルを筆頭にセクトたちは、悪党から恨みを買うことも多い。何度寝込みを襲われたことか、数えるのも億劫になってくる。
その経験を踏まえて、セクトは寝床に忍び込んだ存在を慎重に見据えた。
直後、もぞもぞと布団がのたうった。内部で衣擦れの音が聞こえ、それがようやく収まった頃に、正体不明のベールが取り払われる。
「そう警戒するな、よろし。ワタシィ、アナタの敵、違うよ」
幼さを残した、少々カタコトの響き。
「……子供?」
軽く伸びをしながら現れたのは、褐色肌の小柄な女の子であった。
ぼさついた茶髪のロングヘアにあどけない顔立ち。上半身は胸元の晒し布のみで、下半身も非常に短いハーフパンツを着用している。
衣装や顔の造形からして、この町の住民ではなさそうだった。
「オマエ案外失礼な奴だな。十三歳は故郷じゃ成人の部類よ」
ふとして流暢に喋り出す謎の少女。
「えっ、と。それはごめん」
突如悪態をつかれて、セクトは反射的に謝罪する。
しかしなぜか機嫌を損ねた少女の方が、やや驚いた面持ちでセクトに居直った。
「アナタ、驚きよ。ワタシィ、故郷の言葉使ったの、理解できてるね?」
「ああ、まあ、うん」
セクトは適当に相槌を打った。
現世では多種多様な言語が使用されている。
主だった公用語は大陸の名をそのまま冠しており、現在地であるオリダーリン大陸では、オリダーウン語が主流だった。
実は三年前から、セクトはあらゆる言語に精通している。
全てを許容する孤独の力を宿した影響か、初めて聞く言葉の意味も理解でき、外海でコミュニケーションに不自由した経験は乏しかった。
「へへっ、悪かったね。ワタシィ、フィッダ・アッ=サウワース名乗る者よ。よろしくね」
「フィッダか。ボクはセクト・ソリトゥード、よろしく」
「セクト? あんまり、覚えない響きよ。片田舎出身か?」
「一応、そんなところかな」
「その赤い眼も珍しいね。でも綺麗な色してるよ」
「ありがとう。普通は、ボクの目の色は怖がられるんだけどね」
外海では、深紅の瞳は不吉の象徴とされているという。
転々と町を移動する度に、奇異の視線を送られてきた。サムエルたちはすでに慣れて気にも留めないが、初対面の人間で不安がられないのは初めてだった。かつてこの眼差しを真っ直ぐ見据えてくれた、あの少女を除いて――
「まっ、本性バレたら仕方ないね。アナタの前だけ、悪口やめとくよ」
「それ、他の人にはするように聞こえるけど」
「どうせ意味、通じないよ。よその言語、覚えようともしない、アホばっかね。笑顔で愛想見せてれば、ワタシィみたいな通訳、がっぽがっぽ儲かるよ」
「た、逞しいことで……通訳ってことは、君は船旅の途中だったってこと?」
基本的に言語は大陸を跨がない。通訳が必要な場面に立ち会うには、商船などに同伴するのが最も頻度が多いだろう。
「あー、そうそう、その通りね」
フィッダは、やけに軽い素振りで相槌を打つ。
何はともあれ彼女の素性については、うっすらと理解できた。
問題は、なぜセクトの布団に潜り込んでいたのか、という一点に絞り込まれていく。
「で、君は何か用事があって、ボクに接触してきたってことで良いのかな?」
「おお。話、早くて助かるね」
フィッダはベッドから身を乗り出して、縁にちょこんと腰かける。
「アナタたち、海賊倒した手腕、見事だったよ。でもまだ、信用置けないね。それでワタシィ、一番お人好し顔のアナタ、様子を窺ってたね」
「……一応、誉め言葉として受け取っとくよ」
「アナタ、言うこと聞いてくれそう思たよ。他のは酔っぱらい、ダメダメ、臭そうね。だけどアナタ、会い行ったら、呑気ぐーすか寝てたね。そしたらワタシィも、眠気来た。気づいたら今至る。ここまで、よろし」
「ああ。で、肝心の本題は?」
「それはアナタのボス、直接話すよ。ほら、さっさと紹介するね」
フィッダは立ち上がり、なし崩しにセクトから便宜を図ってもらおうとする。
通訳として雇って欲しいということだろうか。
サムエルたちはオリダーウン大陸の出自なので、言語で困ることはないのだが、フィッダはセクトの説明を受ける間もなく部屋を出た。
「歳はルクーリと同じぐらいだけど、中身はルキに近いな、あの娘」
フィッダに振り回されて、セクトは懐かしさすら覚えながら後を追った。
すると、何やら宿の廊下が騒がしくなっていた。
「――馬鹿野郎っ。いくら何でもこんな子供を宛がうとは、本当に焼きが回ったのか」
「俺じゃねえよ。てか、怒鳴るな、頭がガンガンに痛ぇんだからよ……けどセクトの奴、そこまで思い悩んでたとは。俺がとびきりの上玉、紹介してやりゃ良かったわ」
サムエルとアンガスが、フィッダを前にして神妙な表情をしていた。
どうやらセクトの部屋から出てきたフィッダに、あらぬ誤解を抱いたらしい。
しかも彼らの後方。サムエルが寝泊まりしていた部屋から、昨晩酒場でお酌をしていた女性が、気まずそうに去って行くのが見えた。これでは言い逃れの術もなかった。
「やっぱり、このオッサンたち酒臭くて適わないね」
しかしセクトに白羽の矢が立つ前に、フィッダが毅然と佇み、故郷の言葉でさらりと悪態をつきながら行動を起こした。
「そこ、アナタ」
「へっ、俺?」
サムエルがフィッダに、ピンと指を差される。
「ワタシィ対し、責任取ってもらう、よろし」
「は? 責任って、どういうこったよ。俺はこんな、ちんちくりんのガキなんぞ知ら――」
双眸を細めてサムエルが否定しかけた瞬間、アンガスから茶々が入る。
「サムエル、とうとう行きつくところまで行ったのか。そうか、なら今日限りで私は、相棒の座を下ろさせてもらおうとしよう」
アンガスの口端が綻んでいたが、サムエルは気づかず焦った態度で両手を横に振る。
「待て待てアンガス、俺は無実だ。セクト、何か説明してくれよ」
「そういえばその娘、サムエルさんに直接話があるって言ってましたね」
「よしセクト、私と来い。こういうことは当人同士で解決させよう」
「ふざけろ! いくら俺が酒癖悪いからって、こんな……いや、たまに記憶は飛ぶが……」
「全部、アナタのせいね。言い逃れ、許される、思うなよ」
畳みかけるようにフィッダから問われ、サムエルは及び腰で混乱していた。
普段から遊び人のサムエルには良い薬だろうか。アンガスは袖で笑いを押し殺し、セクトを階段に引っ張った。
「ま、待てよ! アンガス、セクト、戻って来ぉい!」
背後の空しい叫びをよそに、セクトたちは一階の食堂に赴くのだった。




