第三話 「エルガレイオン」
いっとき、ウィルクス内は騒然とした。
外海の人間がガレーネ島に漂着したのである。前代未聞の事態に、懸念を示す者も少なくなかった。特に保守派の老人たちは、災いがやって来たと騒ぎ出す始末だ。ひとまずアングが村内の者たちを宥め、広場で今後の方針について会議を行っている。
金髪の少女については、族長の家でセクトの母オーワが介抱してくれた。
目立った外傷はなく、嵐の夜をずぶ濡れで漂流し、全身が冷えきっていたのが衰弱の原因だった。しかし布一枚でも身体を温めていたおかげで、回復の見込みは早そうである。
今は麻と綿のベッドに寝かせて、羽毛布団をかけて休ませていた。
最初に発見した責任感もあり、セクトは見守ろうとしたが、母にはお使いを頼まれる。
「道具屋でルキから薬草もらってきてちょうだい。あとルクーリが長老のところにいるから、この濡れた服の洗濯をお願いしておいてね」
「分かった。じゃあ、その娘のこと頼むよ、母さん」
セクトは衣類を入れた麻袋を受け取り、括った紐を肩から背に担いで家を出た。
広場ではアングや戦士、老人たちが真剣に話し合っている。それを尻目に素通りしながら、セクトはまず道具屋に足を運んだ。
ソリトゥードの民は百人前後から構成されており、ウィルクスの家屋は三十棟ほど。そのほとんどが顔見知りである。
男たちは主に戦士として育てられ、十四歳を超えると自警団に加わるのだ。
セクトは今年加入したばかりの新人だった。
島内の見回りの他に、漁業や狩猟採集を行う。そして四十歳を目安に役目を終えて、女性たちと中央平原に放牧する家畜や、畑で作物の世話を担った。戦士として第一線で活躍したあとは、落ち着いたセカンドライフを過ごすのだ。
やがて身体が動かなくなると、これまで培った知恵を後続に伝える。
主に長老の家に子供たちを集め、そこでウィルクスでの生活を教導する役目を持つのだ。
セクトはウィルクスの片隅、巨大な看板を掲げた一軒家に赴く。
高床の階段を上った玄関の頭上の看板には、緑色の塗料で物々しく〝エルガレイオン〟と書かれていた。意味は道具。昔、セクトが教えてあげた言葉である。
ソリトゥードの民で文字の読み書きができるのは、実はセクトと道具屋だけだ。
ガレーネ島で教え伝える手段は基本的に、口頭しか存在しない。
祖父プンクトが持ち帰った手帳には、外海の言葉がたくさん書かれていた。
しかしソリトゥードの民はそれを不要と判断し、決して学ぶことはなかった。革新派のアングでさえ、実の父親を外れ者の奇人として扱ったほどだ。
もっとも一度は故郷を捨てた人間に、風当たりが強くなるのは当然だった。
人の良い祖母が気にかけなければ、セクトはこの世に生まれてすらいないだろう。
晩年、祖母が亡くなってからプンクトは一人を好むようになった。天に召される直前まで、ウィルクスを離れた位置に小屋を作って生活した。
唯一セクトのみが、祖父を慕って頻繁に交流を図った。
「おはようございます、エクセンさん!」
セクトは軒先から店主に挨拶する。
「――おう、セクトか! ちょっと待ってろ、そっちにルキやっから!」
家屋の奥から、気風の良い男の声が響く。
直後にバタバタと、床を踏み鳴らす足音が接近した。
「見て見て、兄ちゃん! 新しい槍、作ったんだ!」
「おわっ、切っ先向けて走って来るな!」
セクトの懇願も空しく、顔のすぐ真横を石槍の穂先がすり抜ける。それと同時に、胸板に飛び込んでくる、ショートカットの少女ルキ。道具屋に師事する二つ下の妹だ。
「えへへ! 兄ちゃんのために作ってやったんだから、泣いて喜べ!」
「いやいや待って、背中で振り回すな! 髪の毛に少し掠った!」
仲睦まじい兄妹の抱擁から、危うく殺人現場になるところだった。
跳ねっ返りのルキは離れると、ひと心地をつける間もなくセクトに訊ねる。
「兄ちゃん、兄ちゃん、それ何持ってんの?」
「ああ、ルクーリに渡す洗い物だよ。さっき海岸で見つけた娘の――って」
説明する間もなく、ルキは麻袋をひったくって中身を覗く。
「ふおーっ、何だこれ! 見たことない布だぞ!」
ルキは瞳を輝かせて、鼻息を荒くする。その反応でセクトは全てを悟った。
「さては槍作るのに夢中で、外の騒ぎ聞いてなかったな?」
「これ欲しい! お礼なら、あとで師匠からもらって!」
「駄目駄目。お前の頼みでも、こればかりはやれないよ。ちゃんと持ち主がいるし、勝手にエクセンさんを巻き込むなって」
セクトはルキの手元から麻袋を取り戻す。
ルキはぷくーっと膨れ顔を作った。
「持ち主なんているわけないじゃん。だって外海から漂着したんでしょ?」
「普段ならそうだけど、実は――」
セクトは簡単に、今朝の経緯を言って聞かせる。
最初は胡散臭そうに聞いていたが、広場でアングたちが会議している様子を見た途端、ルキは目を真ん丸にしてセクトの話を信じた。
「一大事だよ、兄ちゃん! その女の子、今すっぽんぽんじゃん!」
「え? あぁ……そう、なるのかな」
母が何か着せているとは思うが、妹の発言に妙な想像をして、セクトは顔が熱くなった。
対して人の気も知らないで、ルキは元気よく己を突き進む。
「ほらこれ、槍! あたし、ママのとこ行ってくるね!」
「いや、まだその娘とは話せな――」
「待ってろーっ、外海の女の子! このあたしがすぐに向かうからな!」
「……あぁ、行っちゃった」
会話もままならない内に、ルキは我が家に走り出した。
相変わらず騒がしい妹に辟易としつつ、セクトは押しつけられた槍に麻袋を引っかける。
セクトはまだ上手く槍を扱えないのだが、心なしかそれは柄が短めに作られていた。
どうやら妹なりに使いやすさを考えてくれたらしい。
「まったく、可愛いおてんばだよ」
セクトは腰の巾着から、砂浜で集めた青い羽根を取り出す。
道具屋内は様々な商品が並んだ展示棚があった。
日用品に雑貨品、果ては武具に至るまで、より取り見取りの品々が取り揃えられている。
商品のやり取りは基本的に物々交換だ。セクトは受付のカウンターに羽をまとめて置き、店の奥で作業中の店主に呼びかける。
「エクセンさん。ここに夏鳥の羽、置いときますね。代わりに薬草持っていきますよ」
「あいよ! 薬草はそれで最後だから、ルキが戻ったら補充させとくわ!」
セクトは了承を得て、青々とした葉の束を巾着にしまう。
体調を崩したとき、セクトも母によく薬草を煎じて飲ませてもらった。身体中がぽかぽかして体調の治りも早まるが、あの匂いと味は二度と思い出したくない。
「ありがとうございました」
道具屋にお礼を告げて、セクトは次なる目的地に出向いた。




