第二話 「外海の漂流者」
ひときわ大きな残骸の物陰に、一艘の小舟が打ち上がっている。
水泡の蝶の散策でも見落とすぐらいだ。意識して確認しなければ、パッと見は分からない位置関係だった。
「な、何だろ。化け物じゃないよな?」
外の世界には多くの危険がある。かつて外の世界を旅し、ガレーネ島に帰還した祖父の手帳にも書かれていたことだ。現地の言語を学びながら記されており、まだセクトも大半は解読できていないが、外海には紛れもなく怪物が存在する。
そう、この島の戦士たちが戦ってきた相手のように――
ガタン、と小舟が揺れた。
「おわっくお――っ!」
セクトは素っ頓狂な声を張り上げ、情けなく尻餅をつく。これだから他の仲間から、いつまでも半人前と笑われるのだ。
深呼吸で気持ちを整えながら、這うように小舟の縁に手を伸ばす。
「変なのがいませんように……」
セクトは、そーっと内側を覗き込んだ。
目が合った。
「はっ――」
肺の底から一気に空気が吐き出される。息がつけなかった。
セクトは真正面から突き刺さる眼差しに、穴が開くほど凝視されていた。
「……ぷはっ」
顔を真っ青になる直前で、セクトは呼吸を再開した。
肩を上下させながら、磯の香りの混じる空気にやや気分が悪くなる。おかげで冷静さを取り戻したセクトは、それが顔の形をした作り物だと気づいた。
「もう、びっくりさせないでくれよ。でもこれ、何だろう。鉄の彫り物かな?」
ガレーネ島には存在しない製鉄の技術。セクトも祖父の手帳がなければ、石よりも固い素材がこの世にあることを知らなかった。
セクトを見据えていたのは、目元をくり抜いた鋼鉄の頭部だ。
中身は空洞。ウィルクスの催事に使うお面に少し似ているので、被り物かもしれない。
小舟の座席にちょこんと置かれていた。
「……ぁ、う」
ときに、セクトは直前で耳にした音を再び聞く。
人の声のようだった。セクトは小舟の内側に視線を落とす。そこには、一枚の布が敷かれていた。こんもりとした輪郭があり、動く何かに覆いかぶさっているようだった。
怪訝に眉根を寄せて、セクトは布に手をかける。
今度こそ怪物かもしれないと思う反面、なぜかもう恐怖心は消えていた。か細い声のような音が、どうしてもセクトに危険を及ぶすものには感じられなかった。
「ええい、ままよ!」
意を決し、セクトはパッと一枚布を取り払った。
そこには、美しき少女が横たわっていた。
上下を黒く染め上げた、見たこともない衣装を着ている。しなやかな体躯を上質な生地が、肌に吸いつくようにぴったりと張りつき、四肢を包んでいる。膨らんだ胸元や、肉つきの良い太ももの輪郭が分かり、少しだけ艶めかしくも映った。
顔立ちは麗しく、美しい金髪一本に束ね、身体を丸めて眠っていた。
そして両足で挟み込むように、杖にも似た長物を後生大事に抱え込んでいる。
「綺麗な、娘だ」
「……ぅ」
うっすらと、少女の瞼が揺れ動く。
一瞬、煌めく海の如き輝きを見たように思えたが、彼女が目を覚ます気配はなかった。
「でも、何だろう。すごく……悲しそうだ」
セクトは謎の少女を前に、自然とそんな感想が漏れていた。
「――そこにいたか!」
そのとき、遠くから耳慣れた声が響いた。
族長であり父でもある、戦士アング率いる自警団が、砂浜の見回りに来たのである。
隊列を成して、ぞろぞろと真っ直ぐこちらに近づいてきた。
「父さん! 早く、こっちだ!」
タイミングが良いとばかりに、セクトは自警団に手を振って呼びかける。
「急いで急いで!」
「我が息子セクトよ、何を焦って――」
訝しげにやって来たアングたちは、セクトが発見した小舟の中を見やる。
すると彼らの間で一様に驚愕が伝播した。それもそのはずである。ガレーネ島に外海の人間が漂着したことなど、歴史上たった一度もなかったからだ。
あまりにも想定外な事態を前に、アングを始め戦士たちは困惑する。
「呑気に見てる場合じゃないよ! みんな、早くこの娘を運ぶの手伝って!」
セクトはこの場において誰よりも平常心だった。外海の人間が漂着したことは問題だが、何よりも小舟の少女は衰弱していた。早く手当しないと手遅れになる。
セクトの言葉を受け、アングは我に返って戦士たちに指示を下す。
「この娘子を私の家に運び入れろ! 急げ!」
『お……応っ!』
族長の言葉を皮切りに、自警団は迅速に行動を開始した。
力自慢の戦士たちが左右に別れて、小舟ごと少女を担ぎ上げる。号令をかけて歩調を合わせながら、ウィルクスの方角に進み出した。
「残った者は、他に誰かいないか付近を捜索してくれ。そして我が息子セクトよ、弁明ならば今の内に聞いておこう」
「あー、えっとー」
セクトは冷や汗をかきながら、苦笑いを浮かべる。
「そ、そうだ。今朝、家を出るとき見かけたんだけど、叔父さんだって勝手に見回りに行ったんじゃなかったっけ」
「はあ。お前が私でなく、戦士トラーベに似ていることを誇りに思えば良いのか?」
「うっ……ごめんなさい」
独断行動を謝罪すると、アングは大きな手の平をセクトの頭に乗せた。
「まあいい。私たちも一度、家に戻るとしよう。それと、お前が無事で何よりだ」
「父さん、ボクだってもう戦士に相応しい歳だよ。従兄のゼウムだって、こんな子ども扱いされてないって」
「そういうことは、まともに槍を覚えてから口にするのだな」
わしゃわしゃと力強くセクトの髪をかき混ぜ、アングもウィルクスに戻っていく。
ただでさえ他の戦士と比べて小柄なのに、今のでぐっと背が縮む思いだった。セクトは恨めしげに半眼を作りつつ、急いで父のあとを追いかけた。




