エピローグ 「その自我の名は――」
遠くに、さざ波の音を聞いた気がする。
屋外であることは間違いなさそうだ。素肌を焼く日差しが、妙に照りつける。じわじわと遠火で調理するように、新手の拷問のような熱さが襲ってきた。
「――死ん――か?」
誰かに呼びかけられた。
しかし鼓膜まで水が入り込んだように、よく聞き取れなかった。
それでも構わない。声のニュアンスは伝わってきた。どうやらこの場に倒れていたので、死体だと思われてしまったようだ。
一応は生きているので、四肢に力を込めてみる。
駄目だ。長い間、身体が凍りついていたように、手足に力が入らない。二人の妹に両腕を枕にされて、翌朝目が覚めたときのような痺れが総身を走る。
「……い。おい、返事できるか?」
ペチペチと頬を叩かれる。
ずいぶん手荒い起こし方だ。漁師だろうか。祖父の日記によれば、荒れ狂う海を生きる男たちは逞しいが、少し気性が激しいという。命と直結する仕事をしているのだから、必然的に 気を張ってしまうのは仕方がない。口が悪くて素直じゃないが、誰よりも周囲を気にかけてくれる従兄のようなものだ。
「おっ、動いたか。そこの小屋に運んでやるから、じっとしてな。仲間を呼んでくる」
声は遠ざかり、穏やかな波の音を聞きながら再び一人になった。
独りは気楽だ。他人に気を遣わなくて良い。わざわざ相手の反応を伺わなくても、自分の好きなようにできる。
そう、あの島を出て自分はそういう人間になろうとした。
それは孤独の入口だった。
孤独になる者はいても、孤独を望む者はいない。
押し寄せる不安な気持ちは、吐き気が襲うほど己の自我を揺るがしてくる。
そのようなな苦痛に、あの島で、彼女はたった独り耐え続けていた。
「――またね、か」
「こっちだ! 手伝ってくれ!」
ドタバタと複数の足音が近づき、倒れた身体が支えられていく。
当たり前の話だが、そこは砂浜だった。
全身からサラサラとした、白砂の感触が零れ落ちる。
しかし不思議と目元には何もなかった。こんなに悲しい気持ちでいっぱいなのに、溢れる涙は枯れ果てている。どこか海の底にでも置いてきてしまったようだ。
「なあ、自分のこと分かるか?」
あるいは。
「ボクは――」
名を告げようとして思い留まる。
曰く、外海では名が二つあるらしい。彼女もそうだった。親から授かった言霊と、先祖の生涯に則した事蹟を真名として用いるという。
この身は再び、大切な仲間たちに巡り合えることを信じていた。
孤独は不安を拒絶するが、哀しみすらも許容する。
いつの日か、必ず希望があることを、この胸に刻むために今は全てを受け入れた。
まずは未来へ続く道を生きるために。
慣れ親しんだ響きに誇りを抱き、彼はその呼びかけに応じた。
「――セクト・ソリトゥード」
孤独と歩み始めた、自我の名を掲げて。
第一章 【孤島の夢】 完




