第三十三話 「返される天地」
突如セクトが蹲り、ユニアとゼウムは眉を顰める。
「セクト、何があったの?」
「おい、どうした。術代は壊されてねえはずだろ」
「だ、駄目だ……何か、この場に、別の自我を感じる……ぐっ、頭が、割れる!」
セクトはその場で蹲り、両手で頭を抱える。
彼の身に何が起きているのか、二人は一切理解できない。
けれど、セクトばかりを案じている猶予も残されていなかった。
倒れ伏した双頭の巨人に異変が起こる。びく、びく、と脈打つように、全身が小刻みに揺らぎ始めた。上の頭部は、完璧に水に呑まれて溺死したはず。生物としての機能が停止したのなら、そこに宿る自我は存在しないのが定説だ。
「なあ、おい。こりゃオレの考えなんだが、頭が二つあるってことは、あれだよな?」
「……一つの肉体に、自我が二つ」
二人は同様の思考に行きついた。
そのとき、大気が震え、天地が返される。
今まで上半身だった部位が、逆さまに向けられた。
両腕は両足と化し、下半身が胴体となる。岩場を掴んで離さなかった二本の頑強な下腕は、上腕として凝り固まった筋をほぐすように肘を振るった。
直後、両腕は勢いをつけて、股座に指を突き出した。
ブシュッ、と青緑に濁った体液が飛び散る。
双頭の巨人は、白目を剥いた下半身の眼球を抉り取って、瞼の閉じた上半身の双眼に押し込んだ。その拍子に突き刺さっていたルキの槍が水中に落とされる。
グチュグチュと気味の悪い音が響き、鼻の奥を焼くような激臭が空洞内に蔓延した。二首沼の汚濁のような臭いだった。
怪物は入れ替えたばかりの眼球をパチクリと見開く。
左右の赤眼は爬虫類の如く独立し、それぞれがユニアとゼウムに向けられた。
「まずいな。セクトがこの調子じゃ、さっきと同じ手は使えねえぞ」
ゼウムの額に汗が滲む。
復活する前ですら、双頭の巨人にまともな攻撃は通じなかった。だいぶ食い下がったユニアでさえ、有効打を与えるには至っていない。
「……いや、大丈夫だよ……またボクが、術代を作る」
セクトは片膝を立て、懸命に立ち上がろうとする。
「お、おい、セクト――」
「ボクは、戦士アングの息子セクトだ……一人だけ、休んでる暇ないよ」
「無理だけはしないで。貴方の術代はワタシたちの要だから」
膝を折って、ユニアはセクトに肩を貸す。
騎士の存在意義は、戦いだけでなく無辜の民を守ることだ。
これ以上、セクトたちに戦闘を行わせたくない思いがあった。
されど強大な敵を前に、一人でも戦力が欠ければ敗北は必至。
変調をきたしているセクトを頼ることは、ユニアにとっても苦渋の決断だった。
「ちっ、仕方ねえか。後ろには親父たちもいるしな」
セクトを加えて、改めて三人は双頭の巨人と相対する。
見たところ、上下が入れ替わった以外に特筆する箇所はない。 強いて言えば、ずっと両脚の役目を担っていたのか、腕がより逞しく太いということだ。先刻の戦闘方法からして、こちらも圧倒的な腕力でねじ伏せる性質だろうか。
初戦の立ち回りを見て、ユニアの作戦が変更された。
まずは彼女が突撃して、敵の注意を惹く役目を担う。俊敏な動きに鋼鉄の装甲。身を挺して後方を守りながら敵を削る。
二番槍はゼウムだ。当初は効果が薄いと思われていた通常攻撃。しかし威力の高い刺突は、怪物の腕に深く傷跡を残している。
全身の筋力の使い方はユニアが上手だが、純粋な腕力は圧倒的にゼウムが勝った。
有効打さえ穿てれば、間違いなくゼウムの槍は届く。そして巨人の肉体が、人間と同じ構造をしているのならば、その急所は――
「頭は位置が高すぎて狙えねえ。股にぶら下がった方が死んでるとすりゃ、このオレが貫くべきは心臓ってとこか」
「下の身体にも、たぶん心臓がある……ゼウム、まずはそっちを狙うんだ」
呼吸を乱し、セクトが的確に情報を伝える。
「分かるのか?」
「いや。なんとなくだけど、でも――あの怪物は、必ず倒せる」
揺り戻しの際に、セクトの脳裏には奇妙な閃きが生じていた。
深層意識に働きかける不思議な直感。それが、この空間で術代を行使した影響によるものかは不明だが、少なくとも思考に悪影響を及ぼすものではなかった。
「へっ、それだけ分かりゃ十分さ!」
黒曜石を煌めかせ、ゼウムの闘志が膨らむ。
「セクトは、また怪物を溺死させる術代をお願い。言われるまでもないと思うけど」
「ああ、それで行こう。ユニア」
「……セクト?」
一瞬、ユニアが僅かに怪訝を示した。
「頼むぜ、外海のユニア! 悔しいが、お前の強さは本物だ! 今はその力を頼るぞ!」
しかしゼウムの気迫に背中を押されて、彼女は前に出ていく。
戦場においては、僅かばかりの気の緩みも許されない。昂る鋭気は鞘に納め、自我からあらゆる感情を抜く。
無心の領域に踏み込み、ユニアは一刀を胸に掲げた。
「貴方に許しを与える謂れはない」
零れ人に連なる存在に向けられし、絶対なる拒絶の意志。
過去にこれを受けて正面に立つ敵はなく、未来においてもあらゆる障害を薙ぎ払う。
ユニアは一本の剣として、不敵に佇む双頭の巨人に肉薄した。




