第三十一話 「大空洞」
湖畔に建てられた祠。無骨な石造りは扉にも反映されていた。
セクトとゼウム、ユニアは左右に別れて堅固に閉ざされた扉に触れる。
生半可な腕力ではびくともしない質量を、三人は肩口から全身の力で押し込んだ。ピッタリと閉じた中心に切り込みが入り、湿った土を擦り上げて重厚な石扉が割り開かれる。
「ふぅ、なんて重さだよ。三人がかりで、やっとじゃねえか」
「扉も開けられない戦士は、入る資格もないってことかな」
「……この先に、災いが」
三者三様の言葉が、石扉の内側に吸い込まれる。
祠の内部には、冷たい空気が滞留していた。
入口の狭さに反して、正面すぐに地下へと続く階段がある。声が遠くまで反響するので、かなり奥まで広がっているようだ。
セクトは手荷物から火打石を取り出す。ゼウムに適当な朽ち木の枝を折ってもらい、乾いた布を巻きつけて油を吸わせた。ユニアに火花を出してもらい、皮手袋をかざして術代の火蝶を生み出す。松明が一挙に燃え広がり、光源の確保に成功した。
松明を受け取ったゼウムが、ぽろりと呟く。
「しっかし、相変わらずお前の術代は器用だなあ。昔、オレがやったときは、その辺の土を依り代にするのがやっとだったわ」
「ただの得手不得手だよ。ルキは水の魚だけだし、ルクーリは火の鳥だけ。そういえば、ゼウムは土の牛とか言ってたっけ?」
「あー、あー、忘れた。オレは術代なんて使わなくても、この槍があるから良いんだよ。くだらねえこと話してねえで、とっとと行こうぜ」
自分から話題を振っておいて、すっとぼけたようにゼウムは階段を下り始めた。
その機嫌を損ねた態度で、セクトはバツが悪くなりながら思い出す。
ゼウムの術代は、牛は牛でもウミウシだった。
「ここまで連れてきてくれて、本当に助けられた。ありがとう。貴方はウィルクスに戻って、それを外してもらって」
ユニアはさーっと馬の背を梳き、臀部を叩く。
ひとときの戦場を駆け抜けた駿馬は、力強い雄叫びで二首沼を踏破した。
「セクト。行きましょう」
ユニアは流暢な響きでセクトを促す。
辛うじて意味の通じる言語は、彼女本来の性質だった。
思い返せば、彼女の恰好は祖父に聞かせてもらった、外海の戦士の風貌に酷似していた。馬を駆る騎士は、剣や槍を手に戦場を駆け巡って、無類の強さを発揮するらしい。
彼女が騎士だったことは驚きだが、今はそれよりもユニアの言葉遣いに、セクトは落ち着いたものを感じていた。ここが二首沼という戦場で、常に気を引き締めなければ現状、言語を取捨選択している余裕がないことは理解できる。
しかしそれ以上に、ユニアが肩肘を張っていないことが嬉しかった。
無理やりガレーネ島の文化に合わせない、ユニアの素の一面。この場においては不謹慎かもしれないが、セクトはそれがとても好ましく思えた。
二人はゼウムの後を追って、松明が揺らぐ石の階段を下った。
金属音を響かせて隣を歩くユニアをセクトは流し見る。
先の戦闘で倒れた零れ人は、紛れもなく彼女の知る自我を宿していた。
それは二度目の別れであり、己以外の仲間の生存を完全否定された証。
ユニアの抱く苦痛が、どれほどのものかをセクトは知る由もない。
されど、隣り合う二人は同じ道を進む。
「……セクト。ワタシは大丈夫」
「そっか……うん、そうだね」
傷だらけの少女の自我は、寄る辺とともに在り続けた。
最下層から続く土壁の通路。
歩を進める内に、激しい波間のような水音が聞こえ始める。
「何だ、この音。外に繋がってんのか?」
「そんなはずないと思うけど」
疑問を抱えながら終着を目指した果て、前方に淡い光が差し込んだ。
賢人の話によれば、二首沼はペカ・オリギナ山の中枢に繋がっている。
さらに祖父の手記を頼ると、山とはそもそも火を噴く場所らしい。大自然の怒りとやらが、噴火のことを指すのなら、それは人間には食い止めようのない未曽有の大災害である。
しかしペカ・オリギナ山は、活火山ではなかった。
溶岩は枯れ果て、焦熱の熱気も光源となるオレンジ色も存在しない。
地下深く放たれる光の正体を、足を踏み入れた三人は知ることになる。
「うおっ、眩し!」
「ここは、本当に地下?」
「この場所は……祭壇、かな」
ぶわっ、と視界が広げられた。
最深部に存在したのは大空洞だった。
まず目につくのは、周囲の壁を覆う緑色の輝きだ。
燐光を放つ苔植物が、びっしりと壁全体に張りついている。
地下水が流れているのか、そこかしこの壁面から水が滲み出していた。
見上げれば筒のように狭まっていく天井に、小さく穴が見える。目測と実際の距離には、想像以上の開きがあるはずだ。薄く細い陽の光が、暗い地の底まで差し込んで、苔植物の蓄光を反応させている。あれがペカ・オリギナ山の頂上だった。
奥の空間には、人為的な石組みが積まれていた。何らかの祭事で供物を捧げる、祭壇のようだった。中央に二つ、長方形の石櫃が横たわっている。
ここまでの異様さに輪をかけて、大空洞の床には水流が走っていた。今にも溢れそうな水は壁面の隙間から外部に放出される。
水流の上を平たい岩が点在して突き出し、まるで足場のように祭壇へと繋がっていた。
最後に、この場で最も尋常ならざる景色を生み出すものは――
「あり得ねえだろ。なんだよ、あの量」
一同の真正面の最奥にて、真っ白な轟音が落下を続ける。
「水、だよね? あれって」
まるで海をひっくり返したように、豪雨すら生温い致死量の水が壁から降り注ぐ。
「滝……いいえ。あれは瀑布。ワタシも初めて見た」
絶え間ない轟音に、白く迸るほどの水量。そして渦を巻く滝壺。
大空洞の壮大さに負けずとも劣らぬ、自然の神秘が生み出した圧巻の大瀑布が存在した。
「どうなってやがんだ、この場所。まるっきり意味が分かんねえが、ほんとに親父たちは、こんな場所で怪物と戦ったのか?」
「ひとまず、あそこまで行ってみよう。何か分かるかもしれない」
セクトたちは、飛び岩に移りながら奥の祭壇を目指した。
三人がようやく乗れる足場。
滑りやすく不安定で、セクトは何度か転びそうになる。体幹の強いユニアとゼウムは難なく進むが、見かねたように左右から手が差し伸べられた。
「ったく、どんくさいなぁ」
「気をつけて、セクト」
「あ、はは。ありがとう、二人とも」
手厚い補助を受けながら、ようやく三人は階段状の石積みを登った。
眼前の大瀑布を見上げる形で設けられた謎の祭壇。ここまで来ると滝壺に叩きつけられる水音で、仲間の声が通りにくくなっている。
セクトはそれとなく、二首沼の濃霧の中を思い出した。
連携の取りにくい雑音、滑りやすく不安定な足場。容易に引き返せない退路。
ここで何かに襲われれば、如何に優れた戦士も不利を押しつけられる。この祭壇は到達した者を引き寄せる、疑似餌の役割を果たしているように感じられた。
「あれを見て」
ときに、ユニアが頂点を指さす。
石櫃の周囲に、何かが散らばっていた。細長い棒状が折れて転がる。鋭角に加工された黒曜石も見受けられた。戦士の槍のようだった。
「これは、親父たちの……」
「だけじゃない。これって、まさか」
目を凝らせば、石櫃を取り囲んで数本の槍の残骸が打ち捨てられていた。
木が腐っていないということは、新しくここに放置されたものだ。
さらに意識を祭壇の周りに向ける。石積みの他の階段状部分や、床の水流に沈んで岩場に引っかかるように、見るも無残な白骨が散乱していた。
千年の歳月、過去九度の大自然の怒り。その度に派遣された戦士たちの亡骸だった。
「お、おい、この中って」
ゼウムは気が急くように、櫃の蓋に手をかける。
セクトとユニアも手伝って、重たい封を転がした。勢い余って蓋が階段を落ちていく。
一同の視界に、想像通りの景色が広がっていた。
「親父!」
匣の中身は、副長トラーベだった。
無造作に放り込まれた、数多の貝殻の上に寝かされている。顔色は青ざめており、セクトはドクンと胸が高鳴った。
ゼウムが恐る恐る、父の心臓に耳を当てた。
「……い、生きてる」
トラーベの鼓動は、まだ失われていなかった。
「親父が、生きてた……やっぱり、死んでなかったぞ!」
「じゃあ、こっちの中には!」
逸る気持ちのままに、三人はもう片方の蓋も放り投げる。
「父さん……良かった……」
案の定、族長アングも横たえられていた。
セクトはホッと胸を撫で下ろす。生存は絶望的とされた父の姿を再び見ることができて、危うく腰が抜けそうになった。背後からユニアが肩を支えてくれる。
「あ、ごめん、ユニア」
「まだ油断しないで――何か、来る」
彼女は固い声で、正面の大瀑布を見据えていた。
それが意味するものを、セクトたちは間もなく思い知る。




