第二十八話 「ある少女の回顧」
――満たされた星が落とされるとき、凶兆は孤島より産まれいずる。
始まりは、一人の男の言葉だった。
予言者の血を引くとされる国王が夢に見た宣託。
旧時代が終わり、新時代の有史が始まって千年の月日が流れた。
広海洋の中心に、外海より隔絶された島がある。
そこには、大いなる災いが封じられていた。まだこの世が神代とされた千年前、地上に災禍をもたらそうとした、邪悪なる自我が島の中枢に眠っている。
封印は百年周期で弱まり、これを鎮める存在が島を守り続けているとされた。
彼らは外界との接触を完全に断ち、その生涯を大いなる災いの番人として終える。
自由意思を持つことすら許されず、咎人の如き束縛の檻で生き続けるのだ。
――それを哀れだと思うことは許されなかった。
この世界の秩序を守るために、成すべき役目を全うしている。
人々はそれに感謝こそすれど、決して同情することはない。
むしろ初めからその資格を有するに値せず、おとぎ話として語り継がれることすらなく、ただ歴史の闇に封じられてくはずだった。
初めて理が崩れたのは、今から五十年前。
本来、その島は入ることも出ることも許されない隔域だった。
されど当該の島より、一人の若者が旅立つ。永遠に触れ合うことのなかった諸国を巡って、かの青年は終ぞ、己が一族の持つ役割を知る運びとなったのだ。
青年は旅の果てに、故郷の隔域に帰還したとされている。
それは真実が持ち帰られた瞬間だった。
島の内に囚われたる一族が役目を破棄すれば、世界は混沌に見舞われる。
新時代の千年を節目にして、現世に未曽有の危機が訪れようとしていたのだ。
――ワタシたちの使命は、一族の本意を見届けることだった。
国王は災禍の予知夢を宣託とし、己が王国の配下を島に派遣した。
真実を知った番人が、役目を担い続ける道を歩むか。
それとも全てを放棄して、運命に抗う道を選ぶのか、を。
やがて港より旅立った二隻の帆船。
団長と副団長を含む、ごく一部の者のみに宣託の内容は告げられた。団員は未開の島の開拓とだけ教えられて、遠征任務に従事する。余計な混乱を防ぐ配慮とされた。
船旅は順調だった。内陸育ちにとって航海は冒険。一同は物語の主人公になった心持ちで、ひと月以上をかけて大いなる海原を進んだ。臨時で雇われた船員とも親交を深め、意気揚々と未開の島の発見を夢に描いていった。
だが、運命の日の晩。
二隻の帆船は、当該の島の付近で大嵐に見舞われた。
荒れ狂う高波が絶え間なく襲いかかり、ついには先導していた船が転覆する。後続に必死の救いを求めても、暗闇の中で行方知れずとなり、船員は次々と海中に引きずり込まれた。
板の切れ端にすがりつく仲間が、一人、また一人と消えていく。
副団長の献身により、命からがら小舟に潜り込むことができた、ある少女を除いて。
――深い絶望の淵に、ワタシはいた。
次に少女が目を覚ましたとき、そこはどこかの小屋の物置だった。
身体を覆う麻の布団と枕。この場所が、当該の島であることはすぐに分かった。
煉瓦造りの街で育った少女にとって、目に映るもの全てが石器と木造の古めかしい空間。
その時点で、少女は己の命運を諦めていた。
言葉は悪いが、生活の文明水準は極めて低い。
しかも着ていた衣類は剥ぎ取られ、代わりに服の形をした布きれが纏わっていた。
想像するに、この島の一族は古来よりの生き方を続けている。
故郷では法の下に罰せられる醜悪で野蛮な行いも、この閉ざされた世界では力の象徴として認められるはずだ。
これを裏づけるように、目覚めた少女の下に屈強な男がやって来る。
筋肉質な体つきに、己の権力を示すように貝殻で作った装飾品。厳めしい強面を前にして、少女はポッキリと心が折れる音を聞いた気がした。
しかし強面の男は少女に手を出すでもなく、後ろから立て続けに女性や子供が現れる。
家族だろうか。目元のそっくりな大人しい女の子と騒がしい女の子が、父親とおぼしき強面の男を物置から追いやる。そして穏やかな表情の母親らしき女性が、よく分からない言葉で話かけてきた。
どうして良いか分からず俯いていると、騒がしい女の子が別の誰かを連れてくる。
それは、一人の少年だった。
姉妹が懐いていたので、家族の長男かもしれない。
彼はどこからか、この島には不釣り合いな手帳を取り出してきて、何度か会話を試みた。
うっすらと聞き覚えのある響きを聞いたが、どれも少女の公用語ではなかった。それにしても、なぜこの島に暮らす少年が、知るはずのない言語を口にできるのかと思ったとき。
『――君はお元気ですか?』
面を上げた少女は、そこに、赤く優しい眼差しを見た。
命を救われた恩返しに、少女は積極的にウィルクスという集落の仕事を手伝った。
実際に行うのは初めてだったが、農業も酪農も知識は持っていた。身体を動かすのも得意だった。この耳で聞き取った限り、ソリトゥードと呼ばれる一族は少女を受け入れてくれた。
特にセクトと名乗る少年と家族は、少女と盛んに意思疎通を図った。
強面の父親はアング。一族を取り纏める、長のような役割をしているようだ。
穏やかな母親はオーワ。眠っている間、ずっと看病を続けてくれたらしい。
元気ハツラツとした長女ルキ。好奇心旺盛で、魚が好きなおてんば娘。
少し大人しめの次女ルクーリ。家族の後ろに隠れがちだが、常に容体を気にかけてくれた。
彼らは島の外から来た得体の知れない人間に、親身になってくれたのである。
そしてセクトの顔を見たとき、少女は砂浜の小舟での記憶がうっすらと蘇った。
最初に少女を発見した、どこか頼りなくも優しき面影。
独りこの島に漂着し、仲間たちを失ったばかりの自分を見据えた深紅の瞳。
そこには、紛れもなく他者を労わる憐憫の情が込められていた。
彼のおかげで、少女は生きることを諦めなかった。
自分がこの島に来た本来の目的は、ソリトゥードの民の監視だ。もしも番人としての役目を投げ捨てるようなことがあれば――
『その命を捧げさせよ』
団長が口にした言葉は、片時も少女の頭から離れることはなかった。
使命を放棄するのならば、彼らには生贄となってもらう。
団員の一人として派遣された時点で、少女に拒否権はなかった。万が一の際は、力づくでもこの手で彼らに贖いをさせる。
世界の安寧を脅かした罪によって。
顔も見たことのない人間たちに罰せられて。
この現世で、普通に生き続けることを一方的に拒絶されて。
少女は天秤の水平を保つために、彼らの存在を否定することを運命づけられていた。
しかしソリトゥードの民は、千年の役目を放棄してはいなかった。
島の中心に封じられた災いを鎮めるために、アングを始めとして屈強な戦士たちが、ウィルクスから出立する。
少女はそれに、安意を抱いてしまった。
彼らが生涯、この島に縛り続けられることに、いっときでも胸が空いてしまったのだ。
ウィルクスの西。岬の近くに宛がわれた小屋。それは部外者を隔離するための措置だったのかもしれないが、そのとき少女は心の底から安堵する。
誰にも知られずに、己の内に巣食う悪辣を吐き出せたからだ。
胃からこみ上げるものが胸を焼き、絶え間ない怖気が腹の底から押し上げようと、これを堪える必要もなかった。
自分に優しくしてくれた者たちに、醜態を晒す心配がなかったのだ。
そして、同時に途方もない不安も押し寄せて来る。
見知らぬ土地に立つ心細さ。
大切な仲間たちの死。
たった独り、生き残ってしまったことへの罪悪感。
全てをひっくるめて、その場でありったけ吐き出した。
やがて夜明けに目指した海岸は、二度と帰れぬかもしれない望郷を夢見たか。
気づけば、波打ち際に佇む少年を見ていた。
彼が何を想い、黎明の水平線を目指していたかは推し量る術もない。
されど、こちらを振り返った表情。
無理やり気丈を繕った、哀しみを深く押し込めた相貌。
戻らぬ父に、高熱に苛まれた妹。
不安ばかりが押し寄せる、ウィルクスの暗い未来。
これらを決して人前に曝け出すことなく、挙句の果てには哀しみの縁に在りて、少女に向け続ける慈愛。そしてもう一つ、自責のような陰り。
なぜ、彼がそんなものを耐え続けているのか。
答えは初めから知っていた。
その少年は、少女を発見したときから優しさに満ち溢れている。
少女に対し、気負わせる態度を取りたくなかったはずだ。
しかし、どれだけ押し留めようと、溢れ出るものはある。
赤く澄んだ眼差しから、零れ落ちる一筋の線を見たとき。
少女は胸がきゅっと苦しめられて、その根源に指先を宛がっていた。
彼が少女の行動に、何か思うことがあったのかは分からない。少なくとも前向きに捉えてくれたことだけは伝わった。
それでも、そのあと口にした言葉は何度意味を考えても、やっぱり――ばか。




