第二十六話 「戦士の定義」
その日の夜半、セクトはウィルクスの外れを訪れる。
ペカ・オリギナ山を正面に見据えた、中央平原への入口。
午前中は船作りの構想に費やし、午後からは大人たちに協力を仰ぐ訪問回りをした。今度は戦士ではなく、日常の作業に勤しむソリトゥードの民に、ガレーネ島に差し迫る脅威を説いてアングたちの構想を喧伝する。
数名は船作りを手伝ってくれると約束したが、大半の人々は元の生活を捨てられなかった。
零れ人の脅威、族長と副長の不在、ペカ・オリギナ山の異変。
行動を起こすに足る根拠が揃っても、彼らにとってソリトゥードの民の破滅は、どこか夢物語として聞き入れられてしまった。
それよりも今大事なのは、明日生きるための食料や備品を確保すること。
不確定な脅威より、確実に引き起こされる難題の方が、人々の心を強く不安にさせた。
「――よう、セクト」
松明の持ち手を地面に突き刺して、ゼウムが薄闇に立っていた。
空の陰りが目まぐるしい朧月の夜だった。
「お前もいろいろやってたみたいだが、無駄だったみてぇだな」
笑うでもなく、ゼウムは真顔で言ってのける。
「ゼウム。こんな時間に呼び出してどうしたの」
セクトは逸る気持ちで訊ねる。
彼がこのまま目の前から、ふわっと消えてしまいそうな予感がした。
ゼウムは肩を落とす。疲れからではなく、気の緩みから緊張を解いたように感じた。
「ルキの奴の具合はどうだ?」
「えっ、ああ……熱は下がらないままだよ。でも意識はあって食事もできる。ゼウムも顔を見せてやりなよ。きっと喜ぶから」
「そうか。あいつがまだ無事なら、それで良い」
ウィルクスの方角を見やり、ゼウムは僅かに纏う空気を硬化させた。
「ルキみたいにウィルクスじゃ、どんどん謎の発熱が広がってる。俺のお袋も症状が現れ始めた。いずれオレやお前もなると思うぜ。薬草程度じゃ治らない熱がな」
「……ゼウムも気づいてたんだ」
「ああ。戦士の中にも気怠さを感じてる連中がいた。こんな状態で零れ人に襲われたら、きっとひとたまりもない。大自然の怒りとやらが起こる前に、オレたちは終わりさ」
「それなら身体が動く内にみんなを説得して、船を作るしか――」
「そんな暇ねえよ。オレでさえ理解してるんだ。お前が分からないはずない、だろ?」
ゼウムの言葉は、辛い現実をセクトに突きつけてきた。
彼の言う通り、セクトも頭の奥では薄々分かっている。しかしそれを、あえて見えないふりをしようとしていた。他のソリトゥードの民と同じだった。
不確定の未来を認めてしまうのが、どうしても怖いのだ。
妹がこのまま熱が下がらずに――命を落とすかもしれない事実が。
「オレはな、誰かが死んだら悲しい。それが大事な相手だったらなおさらだ」
ゼウムはぽつりと、秘めた胸中をセクトに吐露する。
「セクト、お前のことだってそう思ってんだぜ。意外だったろ?」
「ううん。ゼウムが昔から、ボクたち兄妹のこと気にかけてくれてるのは知ってる。そして誰よりも父さんを――族長アングを尊敬しているからこそ、ボクがずっと半人前なのが気に入らないのもね」
「はん、自覚あんなら、さっさと立派な戦士になれよ。この半人前が」
腕組みをしつつ、ゼウムは憎まれ口を叩く。
棘は含まれていなかった。そう、いつだって。
「……でもよ。オレは親父も目標にしてたんだ。戦士アングに戦士トラーベ。どっちが良いとかじゃねえ。両方オレにとっては目指すべき背中だった。そんな二人が、二首沼から帰って来ないって知ったとき、オレは頭が真っ白になっちまったよ」
「ボクだってそうだよ。今でも信じられないし……信じたくないんだ」
セクトは暗夜と明夜を繰り返す、薄衣を纏った空を仰いだ。
二人の亡骸は大いなる海に還されていない。自我はこの世を彷徨っている。だからこそ彼らの命が失われたことを未だ受け入れられなかった。
その想いは、ゼウムも同じだと思っていた。
「だけど、親父たちは死んでねえよ」
セクトとは異なる解釈で、ゼウムは別の世界を見据えていた。
「覚えてるか? オレたちが死んだら、この自我は常世に行くとされてる。でもな、肉体を離れた自我は一度だけ、現世の家族の前に現れるんだ。オレたちが術代って呼んでる、あのお遊戯に乗せてな」
「あぁ。子供の頃、一緒に長老から聞いたっけ。正直、ボクは信じてないけど」
「お前って外海のことは興味あるくせして、夢物語は信じねえよな。プンクト爺さんは、あんなに夢追い人だったのによ」
「ボクはどうにも夢って響きが苦手なんだよね。最初から叶うって信じてないみたいだし、途中から悪夢に変わっちゃいそうでさ」
セクトは実現不可能なものは追わない。祖父プンクトが信じたように、自分は外海に行けると思っているからこそ、その道を進みたいと思っていた。
「それより父さんたちが生きてると思うのは、その自我の化身が現れなかったから?」
「さっき否定された手前、肯定しづらいじゃねえか。そういうとこだぞ、お前の悪いとこ」
「あ、ごめん。わざとじゃないんだ」
「わざとだったら、とっくの昔に、ぶん殴ってるわ」
ゼウムは肩を竦めて、叢雲に欠ける月を見上げた。
「涙が出ねえんだ。親父が死んだかもしれないのに、ぜんぜん悲しくならない。これって二人が生きてるからだと思わないか?」
「それは……悪いけど、ただの現実逃避だと思う」
「良いさ。オレは自分の直感を信じてる。だからオレは二首沼に行くんだ。仇討ちなんかじゃねえ。生きている二人に協力して、大自然の怒りを鎮めてやる。そうすりゃ、もう誰も苦しまなくて良い。ソリトゥードの民がバラバラにならないで済むんだ」
ゼウムは初めからソリトゥードの民の未来を案じていた。
一部の人間の存続ではなく、今いる者たち全員で続く道の先を生きる。それは誰よりも仲間たちを想っているからこそ出て来る発想だった。
今ここに至り、セクトは判然と気づかされた。
ゼウムは間違いなく、次代の族長となるべき人間である。
己のことで手一杯のセクトとは、見えている景色が違った。
そしてそれゆえに――彼の視野の狭さは、足元の滅びからも目を逸らす行為だ。
「あんまりこういうこと言いたくないけど、それは危ない発想だよ」
「お前の考えてることは分かってるさ。もしも二人が死んでたら、オレは保守派の戦士を道ずれにして、無駄死にして来るだけだ」
「ゼウム、そう思うなら馬鹿な考えは捨てるんだ」
「おっと無駄だぜ。昼間の戦士の言葉じゃねえが、オレとお前も長い付き合いだ。ここで何言われたって、引かないことぐらい分かるだろ?」
「だったら、今ゼウムが考えてることもボクにだって――」
「セクト」
片手で制しながら、ゼウムはその決心を言葉に乗せた。
従弟であり、大切な家族でもあるセクトに、直接想いを伝えるために。
「明朝、オレは二首沼に乗り込む。他の保守派の連中は、そっちで何とかしてくれや」
「……一人で死ぬ気なの、ゼウム」
「馬鹿こいてんじゃねーよ。親父たちと大自然の怒りを鎮めてくるさ。そしてもしも二人がいなくても、オレが一人で何とかしてやる。オレは戦士トラーベの息子だからな」
彼の言葉は、決して覆ることがなかった。
破滅を待つぐらいなら、己の手で未来を切り開く。それがセクトの知る従兄であり、戦士であるゼウムの生き様だったからだ。
「セクト、お前にソリトゥードの民の未来を託すぞ。たとえ悪あがきでも、一人でも多くの命を救ってくれ。オレはお前になら、次代の族長を任せられる」
ゼウムの左手が、セクトの肩に置かれる。
力を込めた手の平には、熱い気持ちが燃えていた。彼が正真正銘、本気でセクトを信じていることの証明だった。
「……」
返事はしなかった。
お互いの赤い眼差しだけが、相手の心を認めていた。
そして、翌日の早朝。
空が白みを帯び出す暁。起き抜けに足音を忍ばせて、ゼウムは前日に用意した荷物を担いでウィルクスの郊外に立っていた。
彼が最後に見た景色は、二度と戻らないかもしれない望郷――ではなく。
「……ちっ。やっぱ、お前のそういうとこ嫌いだわ」
「ボクはゼウムのこと嫌いじゃないよ。素直じゃないとこ含めてね」
妹の設えた槍を背に、セクトが従兄の横に並ぶ。
身体の芯を冷やす風が吹き抜けながら、二人は改めてウィルクスを見据えた。
「オレたちが死んだら、ソリトゥードの民は終わりだ。驕りじゃなく、そんな気がするぜ」
「ボクは逆かな。これから始まるんだと思う。この島にユニアが来たのも、きっと……」
漠然とした予感は、取り留めもないほど儚いものだ。
されど、紛れもなくソリトゥードの民に新しい風は流れている。それを生かすも殺すも、自分たちの行動の結末が左右するはずだ。
「さっ、行こうぜ。戦士セクト」
「あ――うん、行こう、戦士ゼウム」
駆け出しと半人前でありながら、志は常に多くの先人たちと同じ地平に立っている。
ならばもう、その自我は未熟な己を乗り超えて――。
いざここに、二人の戦士は出立した。




