第二十二話 「帰還」
火急の知らせが届いたのは、その日の夕方だった。
二首沼に出かけた戦士たちが、ウィルクスに戻ってきたのだ。
彼らは長老の家におり、その場に戦士の家族が集められる。
海岸で鍛錬していたセクトとゼウムも伝令に急ぐと、そこにはあまりにも信じがたい光景が待ち受けていた。
「うっ、ぐぅ」
「ハァ、ハァ……く、そぅ」
「すまない……本当にすまない……」
満身創痍の戦士たちが、絨毯の上に寝かされていた。
全身がボロボロで、至るところに出血が見られる。傷口を巻いた傍から、じわりと滲み出る生々しい鮮血に、彼らの行った戦闘の苛烈さが垣間見えた。
さらにセクトとゼウムは、父親たちの姿がないことに気づく。
「二人とも、こちらへ来なさい」
「お袋?」
ゼウムの母エリプシが手招きし、二人を別室に促した。
寝室に椅子を持ち込んで、長老とおばば様が腰かけている。他にもオーワとルクーリの姿もあった。療養中のルキを除き、族長と副長の家族が集められていた。
「全員揃ったようじゃな」
いつにも増して肩を落とし、長老が杖に体重を乗せている。
おばば様は、背筋を伸ばして椅子に深く腰かけていた。ルクーリはオーワの腰元に身を寄せて、二人の母は唇を固く引き締める。
セクトとゼウムは、固唾を飲んで賢人が口を開く瞬間を待った。
ピンと張り詰めた信頼という糸に、希望という重しがぶら下がっている。
どれだけ糸がたわみ、プチプチと音を立てようと、二人の最強の戦士が紡いだ信頼は切れることがない。
今このときまで、それは揺るぎないものとして一同の心の支えとなっていた。
「率直に申す。族長アングと、副長トラーベの生存は絶望的じゃ」
『――――――――ッ!』
稲妻の如き衝撃は、容易く信頼の糸を断ち切った。
子供たちの前で気丈に振る舞い続けてきた、オーワとエリプシが膝から崩れ落ちる。そこに寄り添うルクーリは、焦点を失った目で母の横顔にすがった。
「嘘だ……親父が死ぬわけない」
自我が抜けたように、ゼウムは放心状態で呟く。
長老は俯き加減に事の詳細を伝え始めた。
「儂らもそう思いたいが、帰還した戦士たちの弁によれば、アングとトラーベは強大な敵の前にその身を挺したという。負傷した彼らを逃がし、儂らに知らせるために、二人は命を賭して戦ったのじゃよ」
「父さんたちは、何と戦ったんですか。零れ人に、二人が負けるなんてありえません」
セクトはこの目で、彼らが倒してきた御印の数を見ている。
二人合わせて百近くの怪物を倒した誉れ高き戦士が、敗北を喫する相手などいない。存在して良い道理がないのだ。
「戦士たちも、かなり憔悴しておった。よほど恐ろしいものを見たのか、二人を置いてきてしまった罪悪感に苛まれているのか、彼らの言葉にあまり要領を得えなかったが――」
長老は一呼吸をつけて、二人が戦った相手の正体に迫る。
「二首沼の奥地には、ペカ・オリギナ山の深部へと至る扉があるそうじゃ。過去九度の大自然の怒りを迎えた折、ソリトゥードの民は都度そこへ戦士を派遣したとされる。そして厳重に秘匿されし最奥には、双頭の怪物が眠っておるそうじゃ」
「双頭の、怪物……」
なぜそこが二首沼と呼ばれているのか、セクトは真相の一端を知った気がした。
「かの怪物は、百年の周期を経て目覚める。そのとき現世と常世の調停は崩れ、零れ人の大群が地上に溢れ出るのじゃ。ゆえにこの怪物を鎮めたときにこそ、大自然の怒りは治まり、我らソリトゥードの民に安寧は訪れる」
「なあ……親父たちは、本当に怪物と戦いに行ったのか?」
ゼウムは、おぼつかない足取りで長老に近づき、その肩をガッと掴む。
今回その蛮行を止める者は、この場にいなかった。
「それとも、そいつらの生贄に選ばれたんじゃねえだろうな!」
「分からぬ。儂の祖父の言葉によれば、戦士たちは己が自我を懸けて、暴れ狂う怪物を鎮めたとされておる。じゃが、その生死までは伝わっておらんのじゃ」
「ふざけんな! それでも賢人かよ!」
長老の胸に挑みかかり、ゼウムは抑えきれない怒りをぶつけようとする。
その気持ちはセクトも痛いほど理解できた。
けれど長老に当たったところで、何も解決するわけではない。むしろ自分以上に激情を剥き出しにする従兄の姿に、返って冷静さを得た。
セクトはゼウムを背後から羽交い絞めにした。
「やめるんだ、ゼウム。そんなことしても何にもならないよ!」
「分かってる……分かってるさ、んなこたぁよ……」
ゼウムは呆気なく手を放し、セクトの前で全身を弛緩させた。
体格の勝る従兄の体重を支え切れず、セクトは一緒に尻餅をつく。二人して長老の前で座り込み、母や妹たちと同じく一挙に気力を失わせていった。
「私らだって、他の手段はないかと二人に相談したさね」
おばば様は一筋の息を吐いて、アングとトラーベの覚悟をこの場に教える。
「それでもアングとトラーベは、戦士として戦う道を選んだのさ。大自然の怒りを鎮め、我らソリトゥードの民を救うためにね。だけどもし、それが叶わなかったときのことを二人は考えていたよ」
それは確固たる絆を持った兄弟の言葉だった。
最初にもたらされるのは、副長トラーベの弁。
『ガレーネ島が滅びるならば、それもまた我らが運命だ。きっと俺や保守派のような人間は、この島で最後のときを受け入れるだろう。なれど、幸か不幸か変革の兆しは訪れた。まだ未来ある若者や、兄者のような革新派はこれを否定する道を歩めるだろう。そのときこそ、長きに渡って古き風習に縛られてきた、ソリトゥードの民が変わるときではあるまいか』
保守派筆頭でありながら、トラーベには革新派の想いをくみ取っていたのだ。
そしてそんな弟の意思を兄アングも深く理解している。
『そうだな、我が弟よ。かつて我らが父プンクトは、二度の奇跡を引き起こした。死の岩礁地帯を超えて旅をし、そしてガレーネ島に帰還を果たしたのだ。これだけでも偉大なる功績ではあるが、さらには外海より一人の少女がこの島に辿り着いた。彼女こそは、果てなき世界の自我が遣わした導き。我らソリトゥードの民が、希望を抱き外海へと羽ばたく標となろう』
「――族長と副長は、私らに進むべき道を提示してくれたよ。たとえどのような結末が訪れようが、誇り高きソリトゥードの民としての選択をね」
「あの頑固だった親父が、そんなことを」
「まさか父さんが、ソリトゥードの民ごと外海に出る計画をしてたなんて」
「無論、二人は怪物を鎮める予定だったろうさ。だけどそれが成し得なかったとき、あんたらは選択しなきゃならない。この島に残り運命をともにするか、それとも――次代の長として、ソリトゥードの民を引っ張って行くかをね」
垂れ下がった細い双眸から射貫く、おばば様の真剣な瞳。
それに見据えられたセクトとゼウムに、これ以上の泣き言は許されなかった。
賢人の話を聞いた母たちも、悲嘆にくれながら立ち上がる。己が愛した者たちの覚悟を無にしないために、自らの選択を選び掴み取ろうと歩み始めるのだ。
「ゼウム、いったん家に帰るよ。今後について話し合わないとね」
「お袋……ああ」
「セクト、ルクーリも戻りましょう。あの人の残してくれた貴方たちが、この先も明るい未来を歩けるなら、私はなんだってするわ。もちろんルキもね」
「……うん、お母さん」
新たなる決意がこの場に芽生えて、ひとまず解散の運びとなる。
母らが去るのを横目に、セクトは一度だけ賢人たちを振り返って言った。
「長老、おばば様。今ウィルクスで流行っている熱に、この件は関係していますか?」
「なぜそう思うんだい、セクトや」
「何だか、そんな気がしただけです」
「残念ながら、儂らにも分からぬことだらけじゃよ。役に立たなくてすまぬのう」
「とんでもありません。お答えいただき、ありがとうございました」
「しかし仮にそなたの推測が正しかったとすれば、たとえ外海に飛び出したとしても、我らという種は初めから……」
長老はその先を口にしなかった。
おばば様も、達観を宿した表情で首をすぼめる。
「お行き、セクト。それと、すまかったねえ。大人の事情に子供を巻き込んでしまってね」
「いいえ、大丈夫ですよ。ボクは戦士アングの息子ですから」
己を奮起させるセクトの目に、光は宿らなかった。




