第二十一話 「祈り」
アングたちが二首沼に向かい丸二日。
一向に続報は届かなかった。この頃になると、ウィルクス内には、声なき不安が立ち込めていた。族長たちの不在は誰もが知るところとなり、その上で戦士の誇りを汚さぬために、混乱に陥ってはいけないと自らを戒める。
それがどれほど、心を憔悴させるかは想像に難くない。
戦士の家族である当事者ともなれば、一層に胸を締めつけられる思いだ。
ましてや子供などは、父らが何日も家を空けることに不信感を募らせる。長老の家で教導を受けていても、まだ戦士の心構えの何たるかを理解しきることは難しかった。
毎晩、いつ父が戻るのかを母に訊ねては、返らぬ答えに悲しみを募らせていく。
幸か不幸か、その一点においてルクーリは強かった。薬草を飲ませても、未だに熱が続いてうなされるルキを前に、彼女は母を手伝って献身的に看病した。一切弱音を吐かずに、再び家族が一つとなる日を待ち望んでいる。
妹の気持ちを想えば、セクトも落ち込んでいるわけにはいかなかった。
ゼウムとともに身体を作り、槍を構えて鍛錬に励む。
何かに打ち込むことで、嫌なこと全てを忘れようとするように、
しかし――現実は非情に、ソリトゥードの民を蝕んでいた。
「エクセンさんが熱を?」
訓練の後、昼食休憩で家に戻る途中のセクト。
そこにこの間、牛に襲われたポーノが声をかけてきた。
「椅子のお礼を渡そうと思って店を訪ねたら、布団に寝込んでいてね。ルキの病気でも感染ったんじゃないかって、本人は言っていたよ。それとカペレや他にも数人、寝込んでいるみたいだね。セクトも十分に気をつけるんだよ」
「そう、ですか。わざわざありがとうございます」
「あとこれ、セクトに渡しておいてくれとさ。薬草が入っているようだよ」
ポーノに麻袋を渡されて、セクトは礼を言って家に持ち帰る。
袋には薬草の他に、ルクーリが頼んでいたユニアの服が入っていた。広げてみると、ほつれた個所がしっかり縫い上げられている。道具屋の名に恥じない仕上がり具合だった。
ユニアは手伝いの最中なので、あとで渡した方が良いだろう。
そして底の方に、青い羽根を編んだ首飾りの装飾品が入っていた。
ルキへのお見舞いだろうかと、セクトは枕元の置いてあげる。今は穏やかに眠っているが、熱で苦しそうな妹を見るのは忍びなかった。
「……パパ、どこ?」
寝言だろうか、ルキは消え入りそうに呟いた。
「父さん、早く帰って来てくれ」
セクトは心を保つように、アングの帰還を強く願った。
太陽が最も高い位置を下った頃。
街の広場では老人たちが揃って簡易な祭壇を作っていた。
若い世代は働いているので、彼らは子供たちに手伝ってもらいながら、戦士たちの安全の祈願を始める。段々と組まれた台座には、お供えとして酒や服飾品が置かれた。
豊作や豊漁を願って行われる祭事以外に、このような試みが行われたのは、セクトが知る限り初めてだった。
戦士とは、必ず敵に打ち勝つ強き者を指す言葉だ。
その帰りを待つ人々が祈祷するとなれば、即ち彼らの勝利に疑念を抱くということ。従来なら、それはあまり好ましいことではなかった。
されど族長らが旅立って二日余り。これほど長い帰還、彼らがウィルクスを空けることなど今までなかった。
どれほど信じていようが、万が一の可能性を考えるのは致し方ないことかもしれない。
老人たちは、祭具を持ち出して舞踊を始めた。
木を削り出し、植物の汁で簡素な模様を描いたお面をかぶって、果てなき世界の自我に戦士たちの無事なる帰還を託す。それがいっときの気休めと知りながらも、人は何かを行わずにはいられないのだ。
「――セクト」
広場の祈祷を眺めていたセクトに、ユニアが呼びかける。
先ほどまで、一緒に昼食休憩をしていたところだ。初めて見るソリトゥードの民の舞に、どこか遠い眼差しを向けている。
「ああ、父さんたちの安全祈願だよ。それにルキや他の人たちが熱を出してるから、その完治も一緒に願ってるかな」
セクトはつい普段の調子で説明したが、ユニアにガレーネの言葉は通じない。
「アング、ルキ、みんな。絶対、大丈夫」
しかし彼女は、それとなくニュアンスを理解していた。
二日も家を空けている父や、高熱に浮かされるルキのために、老人たちの舞は捧げられている。祖父の日記によれば、外海にも似たような祭事はあるらしいので、おおよその意味は予想できるはずだ。
「ちっ、年寄り連中は呑気なもんだぜ」
ときに、同じく昼食休憩を終えたゼウムが皮肉交じりに、セクトの横に来る。
「こんなもんしたとこで、腹の足しにもなりゃしないってのによ」
「そう? ボクはソリトゥードの舞、けっこう好きだけどな。特に締めの部分が」
セクトはちょうど佳境に差しかかった舞に食い入る。
中央の老女が、大きく広げた両手には左右それぞれ、赤と青の石が握られていた。
それを正面で重ね合わせた瞬間。
ウィルクス全体に、ほんの微かな、それでいて非常に美しい音色が反響する。
二つ一組の合わせ石と呼ばれる祭具は、叩くように重ね合わせることで、この世のものとは思えない綺麗な響きを奏でるのだ。
「……すごく。良い」
「ユニアも気に入ってくれたようだね」
「けっ。別にオレだって悪いとは思わねえけど、やっぱ性に合わないな。こんなに綺麗な音なのに、一回こっきりで終わっちまうんだからさ」
ひとたび音色を放つと、石には亀裂が入って二度と同じ音が出せなくなる。
その儚くも輝かしい一瞬に、人々は真摯な願いを込めるのだ。
「でもだからこそ、ボクたちはこの瞬間を美しいと感じるんじゃないかな」
この僅かばかりのたまゆらのように、幸せな日々が続いて欲しい。
ガレーネ島を旅立つことを決意するセクトが、そう願うのは驕りだろうか。
答えは未だ見えないが、先細りの果てに光があることを、セクトは固く信じていた。




