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セクト・ソリトゥード  作者: 柚崎諸人
第一章 【孤島の夢】
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第十九話 「水泡夜」

 結論から言えば、ユニアはルクーリに抱擁した。


 服のほつれを指摘したとき、ユニアはぶんぶんと首を横に振った。

 ルクーリのせいではないことを理解していたのだろうし、むしろ不要な負い目を感じていたことを慰めるように頭を撫でた。そして改めて、ユニアの服を修復したいと伝えたときは、感極まったように抱き締めたのである。


 初めからルクーリは杞憂を抱いていたようだ。あとはエクセンが、外海の衣類に合う縫い糸を見繕ってくれれば、全てめでたしとなるはずだったが――


「まずい、爺ちゃんの家に何も運んでないや!」


 セクトは己の役目を失念していたことに気づき、大急ぎで水と食料を運んだ。

 当然、日が暮れる前に一人で終わらせるのは厳しいので、妹たちにも手伝ってもらった。

 挙句の果てには、手助けをしたかったユニア本人も参戦し、あっという間にプンクトの家に備蓄の搬入は終わる。

 少々情けない気持ちは残るが、これでユニアが暮らす分には不自由ないはずだ。


 本日も無事に終わり、ユニアは族長の家で最後の夕食をともにする。

 その後は妹たちも見送る予定だったが、ルキは昨日の疲れが現れたように、早めに布団に入っていった。ルクーリは家の外までユニアを見届け、想幻岬(そうげんみさき)へと足を運ぶ彼女に、手を振ってお別れした。


 夜分遅くなので、念のためセクトとアングが家までユニアを見送りする。

 零れ人(パラノイア)に対する備えではあるが、海岸に姿を見せた際もその出現は、二首沼(ふたくびぬま)のある東の方角からだった。

 正反対の想幻岬は安全だというのが、賢人や族長たちの見解だ。


 ウィルクスも近いので、何かあればすぐに走って来られる距離である。

 それにユニアはすでに、ソリトゥードの民が正式に受け入れた存在だ。保守派や革新派などの対立はあるが、彼女の命を見捨てることは戦士たちの生涯の恥となる。零れ人(パラノイア)が襲ってきたときは、是が非でも庇護下の対象となるはずだった。


「おやすみなさい、セクト」


 ユニアは妹たちに教えられた就寝の挨拶を口にする。


「うん。おやすみなさい、ユニア」


「すまない、少女ユニアよ。これもソリトゥードの民の決定だ。心ばかりではあるが、何事も起きないことを祈らせてもらおう」


 セクトとアングも別れを伝えて、ウィルクスへの道のりを引き返した。

 その日は、やけに月の綺麗な晩だった。

 海岸線沿いの道は、草木を踏み鳴らして作られている。何度も行き来する内に、潮風と相まって植物が生えなくなり、小石が退けられて歩きやすく整っていた。

 まだ肌寒さの残る気温。夜の海に星の明かりが煌めく。


「水泡夜(すいほうや)だな」


 アングが水平線に視線をやりながら呟いた。

 ガレーネ島では稀に水中にいる生物たちの呼吸が、水面から浮かぶ様子が見られる。特に夜空の灯が強いときは、水泡がテラテラと輝きを帯びた。

 白く淡い光の泡沫が広がり、幻燈夜とは一風違った景色が現れる。

 幻燈夜が生の力強さを表すとしたら、水泡夜はどこか儚さを示すようだった。


「セクトよ。お前とこうして、夜道を歩くのは初めてだったか?」


 少し前を歩くアングは、軽く深呼吸してからセクトに切り出した。

 普段から親子の会話がないわけではない。

 しかし族長として、戦士として、さらには父親として。入り混じった側面が喧嘩でもするように、アングは下手くそな笑顔を作る。

 幸いセクトはそれに気づかないまま返した。


「ううん。爺ちゃんが生きてるとき、ボクが向こうの家で眠っちゃって、父さんが迎えに来てくれたことがあるよね?」


「ああ、そうだ。あのときは、まだお前もおぶれるほど小さかったな」


「今でも小柄だけどね。父さんはそんなに大きいのに」


「なに、お前もすぐに私へ追いつくだろう。急くことはない。日々鍛錬を怠らなければ、お前は必ず一人前の戦士となれる」


「戦士……うん、ボクは父さんみたいな戦士になりたいと思ってる。でも……」


 セクトは父に合わせていた歩調を緩めた。

 背後で制止する気配に、アングはその場で振り返った。


「どうしたのだ。早く帰らなければ、オーワが心配するぞ」


「……父さんは、爺ちゃんが外海に飛び出したこと、今はどう思ってる?」


 内に抱えた思いの丈を、セクトは一滴ずつ絞り出していく。

 息子の秘めた思いに気づくように、アングは真剣な面差しを作った。


「我が父プンクトは外れ者だ。故郷のガレーネ島を、家族であるソリトゥードの民を捨てて、たった一人で見知らぬ土地へと旅立ったのだ。それでありながら、旅を終えたプンクトは再びこの島に舞い戻った。そして我が母ソルーティと結ばれ、私とトラーベが産まれた。そのために、我ら家族がどれほどの迫害を受けることになるかを、考えもせずに」


 アングの眉間にしわが寄り、拳が固く閉ざされる。


「包み隠さずに言わせてもらえば、私は父を恨んでいる」


 握り拳を胸に押し当てる。

 感情を一気に吐き出し、アングは静かに肩から力を抜いた。


「されど彼の気持ちも理解はできるのだ。古来より続く風習は、内なる空気を淀ませる。今でこそ賢人と謳われるおばば様も、あの毅然とした性格のために周囲からは煙たがられていた」


「おばば様が? そんなの初めて聞いた」


「私もトラーベも悪戯にばかり励み、よく頭に拳を振るわれた。他の者は誰一人、我ら兄弟に関わろうとすらしなかったときにな。そしてそれを見返してやろうと、誰よりも強くなり、いつの間にか族長と呼ばれる立場にまで押し上げられた。しかし今にして思えば――」

 

 遠く水平線の彼方に、アングの眼差しが揺れた。


「私は父プンクトのように、道を切り開く生き方に憧れていた。周囲が私を認めたのは結果論に過ぎない。一つ道が違ったのなら、プンクトも偉大な人物として、皆から崇められていたと私は思う」


「それじゃあ、爺ちゃんのこと……」


「思想は違えど、彼もまた一人の立派な戦士であったと、私は心から信じている」


 初めて聞かされるアングの心。父が革新派の道を進んだのは、孤独な死を迎えたプンクトへの同情だと、叔父のトラーベ同様にセクトも思い込んでいた。

 実際はそうではなく、アングは本心からプンクトを尊敬している。

 しかし家族が受けた仕打ちを考えれば、複雑な心境から実の父と距離を開いた。ただ、アングは一度たりとも、セクトへ祖父に会いに行くなとは言わなかった。

 トラーベは息子ゼウムに、プンクトへの接近を禁止していたにも関わらずだ。


「そっか、そうだったんだ――ねえ、父さん」


 父の想いを知り、ようやくセクトは決心がついた。

 穏やかな波風が二人の間を流れる。そこに乗せて、セクトは祖父との約束を口にした。


「ボクはユニアとガレーネ島を出て行くよ。爺ちゃんのように、外の世界を知りたいんだ」


「セクト……お前」


 アングは一瞬、呆けたように口を開いた。

 そして、すぐに――


「帰るぞ。これ以上、オーワに心配をかけるわけにはいかない」


 踵を返して、アングはウィルクスに歩んだ。

 にべもなく一蹴する父に、セクトは訴えようとする。


「父さん、ボクは――」


「我が息子セクトよ。私はソリトゥードの民の族長として、そして父として、それを認めるわけにはいかない。お前はこの島で一人前の戦士となり、ゼウムとともに次代の長となるのだ」


「ボクは長には相応しくない。それよりも、外の世界を知りたいんだ」


「以前、お前が死の岩礁地帯に呑まれ溺れかけたとき、私たちがどれほど心配したと思っている。ルキとルクーリにも、悲しい思いをさせるところだったと理解しているのか?」


「今度は失敗しないよ。それにほら、ユニアが乗ってきた小舟があるよ。あれは壊れてなかった。もしかしたら、あの小舟に外海へ出るための手がかりがあるかもしれない」


「無理だ。あの娘がガレーネ島に漂着することができたのは、果てなき世界の自我(エゴ)が起こした奇跡に他ならない。二度目はない。確実に死が訪れる」


「じゃあ、父さんはそんな危険を承知の上で、ユニアを外海に返すつもりなの?」


「それが彼女の運命ならば、我々にはどうすることもできない」


「間違ってるよ。みすみすユニアを死なせるなんて、そんなことボクは許せない。ねえ、父さん。爺ちゃんの日記には、外海を渡る術も載ってるんだ。それを読めるのはボクだけだ。あの娘(こ)を無事に送り届けられるのは、ボク以外に誰も――」


「お前の夢想はここで終わりだ。これ以上は聞く耳を持たない」


 アングは足早々に、セクトから遠ざかっていく。

 拒絶されることは分かっていたはずだった。セクトのような子供が、初めからくだらない妄想に取りつかれるなど、許されるはずもないことは知っていた。

 それなのに、父の話を聞いて希望を生み出したのは己の身勝手。

 文句を口にする資格はないのである。


「父さん……ごめん。でもボクは、たとえ戦士として半人前でも、これだけは……諦めたくないんだ」


 祖父との約束は、誓いか、呪いか。

 今のセクトにその真意を知る術はなく――


「……自尊心の低いお前が、この私に決意を話してくれる日が来るとはな。ああ、果てなき世界の自我(エゴ)よ。今日それを聞けたことに感謝する。そして、一人の戦士として」


 あるいは、一人の男として。


「私は、嬉しく思うぞ」


 彼は口端に、たしかな笑みを浮かべた。


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