第十三話 「マグヌスの森」
マグヌスの森には、新緑が色づき始めた大自然が広がる。
人の手の加わらない道は草木が青々と生い茂った。意識を研ぎ澄ませば動物たちの気配が、森に足を踏み入れる侵入者を出迎える。
この時期は枝葉に巣を作った夏鳥の声が聞こえた。
幹からは虫たちの群がる樹液が垂れて、甘酸っぱいような独特の匂いが漂った。
昼間であれば、日々の癒しを求めて沐浴に耽ることも可能だろう。
しかし黄金色を帯びて、薄暗さに包まれ始めた夕刻。
ぽっかりと開いた森の入口。暗黒へと続く間口が、薄気味悪さを醸し出していた。光殻虫が青緑の点滅を繰り返し、立ち入る者を惑わせる。ひとたび方向感覚を失えば、瞬く間に迷いの森へと変貌するのだ。
「ルキ、いるのか!」
ウィルクスで松明を調達し、セクトは妹を捜索する。
ユニアとは手分けをしていた。土地勘のない彼女を一人にするのは忍びなかったが、昼間の活動ぶりを見れば、少なくともセクトよりは頼りになった。
「オレだぁっ! ルキーっ!」
一足早く侵入したゼウムの声が、どこからか轟く。
声が籠って、耳鳴りのように前後左右から響くようだ。これでは陽が完全に落ちれば、返ってセクトたちが遭難してしまう。早急なルキの発見が求められた。
「この辺は夏鳥の巣があるのか」
頭上の枝葉の隙間に、ちらほらと青い鳥の影が見え隠れする。
地面にも羽が散らばっていた。ルキが薬草のついでに集めている可能性はある。
「草が高くて足跡も分からないか。仕方ない」
セクトはイチかバチか、術代を上空に放つことにした。
大自然の力を借りる術代。木片などの自然由来の素材も変換可能だが、生きている木などに使用することはできない。枯れ枝や落ち葉に限られる。
術代に自我を分け与えるという性質は、無機物にのみ通用するのだ。
一つの器に、二つの自我は入らない。
そして自我は決して生き物の死体にも宿ることはなかった。虫や小動物の亡骸に、術代を適用することは不可能だ。
完全に壊れた器に、いくら水を注いでも二度と満たされることはないのだから。
セクトは皮手袋を嵌めて、松明の炎に光陣を撫でる。
そこから現れた一匹の蝶は、煌々と揺らめいて盛んに燃えていた。
炎の鱗粉を振り撒いて、枝葉に接触しないように上空へと舞い上がる。水分の多い生木や葉に、火が燃え移る可能性が低いことは十分に見越していた。
「蝶よ、周辺を照らしてくれ。もしかしたら、ルキが見てくれるかもしれない」
セクトが蝶の術代を使うことを家族は知っている。
もしも頭上に燃える蝶を発見すれば、紛れもなくルキは気づくはずだ。術代は使用者の自我が宿るので、必ず付近にいることが知れる。
「しばらくしたら、いったん術代を解いて空からの視界を――」
そのとき、森中の枝葉が掻き鳴らされた。
夏鳥たちが羽ばたき、森の上空を無数の鳥影が侵食する。
「うっ」
そしてセクトの脳裏に、真っ赤な景色が飛び込んできた。
まるで火の海に飛び込んだような錯覚。己の身体が発する、炎の鱗粉が生じさせた最後の景色――セクトの放った術代が、突然掻き消されて爆散したのである。
「き……気持ち悪い……」
以前、ゼウムの悪ふざけで、術代を槍で斬られたときに似ていた。
切り離した自我を、無理やり頭の中に詰め込まれたような感覚。揺り戻し現象だった。
「……火事を心配して、ゼウムが消したか? いや、今も叫んでるし……まさか零れ人?」
術代が消失したことに、セクトは怪訝を募らせる。
セクトの意思に反して術代が消えることはない。何らかの攻撃を受けたことは明白だ。零れ人が付近にいるのだとすれば、なおさらルキの捜索が急がれた。
懸念としては、零れ人と相対してもセクトでは勝てないことである。
同様に手分けをして探してくれているユニアが、零れ人と遭遇しても危険だ。捜索活動は時間との勝負だった。
「あれは?」
セクトは前方に、薄く広がって反射する光を見つけた。
木の幹にしがみつく光殻虫の燐光ではない。西の方角に落ちかけたオレンジ色が、キラキラと揺らめいている。木々の間に、穏やかな小川が流れていた。
「水辺か。薬草が育つには適してるな」
ルキがいるかもしれないと、セクトは付近を歩いた。
小川の傍には薬草が群生しているが、妹の姿は一向に発見できない。もしかしたら、すでに家に帰っているかもしれないと、希望的観測が脳裏を過ぎったとき。
「……草が踏み荒らされてる」
足跡の代わりに、何者かがこの場所を通った痕跡を発見した。
それは川辺の向こう、森の奥まで続いている。
野生動物かもしれないが、万が一という場合もあった。セクトは痕跡を辿り、そこに妹の姿を求めた。




