第十四話 「謎の石碑」
マグヌスの森の深奥に、開けた空間があった。
明らかに人の手が加わった石畳。円形に敷かれた荘厳な造りの中心に、大きな石柱が建てられていた。長年放置されていたため、苔生して森に侵食されているが、異様な空間は静謐な空気が称えられている。
「森にこんな場所があったのか」
セクトは誘われるように、中央の石柱に近づく。
松明をかざすと、うっすらと彫り込みが確認できた。苔を手で払うと、そこには文字のようなものが記されている。読むことはできなかった。
「石の碑文。爺ちゃんは向こうで見たことあったらしいけど」
ガレーネ島には、存在するはずがないと思われていた石碑。それがこの場所に残されているということは、ソリトゥードの民の先祖が作ったとしか考えられない。
石碑の内容は非常に気になるが、今はルキの捜索中だ。
「あとで確認するか。今はそれよりも――」
パキッ、と背後で枝の折れる音がした。
とっさに背後を見やる。瞬間、セクトは愕然と目を見開いた。
【……めは……近い……】
近くの茂みを描き分けて、盛り土のような人型が立っていた。
零れ人だった。ふらふらとした足取りで、石畳に近づいてくる。
「まずい……っ」
セクトは槍を引き抜いて臨戦態勢を取る。
敵わないのは承知していた。しかし背を向ければ狙い撃ちにされる。
零れ人は片手に、丸く固めた土玉を握り込んでいた。おそらく、先ほどあれでセクトの術代を撃ち落としたのだろう。
【……贄を……を目覚めさせる……依り代を……】
「依り、代?」
やけにハッキリと聞こえる零れ人の妄言。
そこに意味などないはずなのに、セクトは神妙に耳を貸してしまう。
【孤独が、目覚めるために……自我人形を、捧げなければ……】
グギギ、と零れ人の首が動作し、真正面からセクトを見据えた。
振り子のように動く怪物の右腕。セクトの命を奪おうと、土玉を投げつける気だ。
「ちょっ、そんな!」
それどころか零れ人の左半身が削れていく。土玉は針山の如く鋭利な突起を増やし、巨大な玉と化した右腕がグルングルンと振るわれた。
あれを投げつけられれば、間違いなくセクトの全身は串刺しだった。
たとえ石碑の後ろに隠れようと、土玉の勢いは必ずセクトを貫くだろう。
「こうなったら!」
セクトは瞬時の閃きを信じて、石畳に触れた。
術代を生み出し、石の蝶に衝撃を吸収してもらうしか生き残る術はない。セクトは今考え得る最大の防御を実践しようとし――
「……えっ」
術代が発動しなかった。
自我を分け与えるイメージが霧散する。途方もなく巨大な壁に阻まれるような感覚。このような現象は初めてだった。
光陣を出現させることすらできず、セクトの眼前に千本針を帯びた土玉が射出される。
「あ――」
目前に肉薄する、絶対的な死。
命の危機に瀕した戦士は、これまでの人生を一気に振り返るというが、セクトの脳裏にそれらしい記憶は蘇らなかった。
それはセクトが半人前だったからなのか、もはや考える時間はない。
強いて言うなら、真っ白な世界が目の前にあった。
その場所に、ただ一人。
孤独に佇む、己の姿を幻視した。
「……?」
きゅっと閉じた瞼。痛みと衝撃を覚悟したが、何も事態は変わらなかった。
セクトは恐る恐る視界を割り開いた。
眼前に、針千本の土玉はなかった。その代わり、足元にポトポトと湿った土くれが落ちている。こんもりした物量からして、零れ人の放った攻撃で間違いなさそうだ。
「どう、して」
セクトは零れ人に視線を宿した。
そこにはウネウネと左半身を再生させて、石畳を歩く零れ人の姿がある。しかしその全体像は陽炎の如く崩れ始めていた。
一歩進むごとに、身体が世界から溶けていく。
術代がほどけてしまうように、怪物の総身は無機質な土くれへと還っていった。
【ああ、孤独よ……目覚めのときは、近い……】
零れ人は森の塵芥として掻き消えた。
助かった、という実感はなかった。
この場所でなければ、セクトは紛れもなく今の零れ人に殺されていた。石碑を中心とした石畳の円。そこに立ち込める清澄な空気に命を守られたのだ。
「孤独……って、一体」
「――セクト」
はたとして、セクトの意識が判然としていく。
いつの間にか周囲は暗闇に覆われていた。用意した松明も石畳の上で消えている。
佇むセクトに声をかけたのはユニアだった。
松明の明かりは、後ろに背負ったルキが握っている。
妹もまた籠を背負っていた。薬草と夏鳥の青い羽でいっぱいだった。
ルキは伏目がちに、ぼんやりしていたセクトに呼びかけた。
「……兄ちゃん、来てくれてありがと。さっき姉ちゃんに見つけてもらったんだ。近くに零れ人がいたから、今までずっと木の穴に隠れてて」
「あ、あぁ……無事で良かった。それとユニア、ルキを見つけてくれてありがとう」
セクトは安堵を抱えつつ、お礼を口ずさむ。
素の言葉だったが、意味が伝わったようにユニアは力強く頷いてくれた。
叱られると思って萎縮していたルキは、少しだけ気を緩めてセクトに訊ねる。
「ところで、森にこんなとこあったんだ。兄ちゃん知ってた?」
「いや、ボクも初めて来たよ。それより、この辺りは危険だ。早くゼウムと合流して、ウィルクスに戻ろうか」
完全に日が暮れる前に、セクトたちは帰路につく。
途中で拾ったゼウムは、我が事のようにルキを心配してくれた。幼い頃からの付き合いなので、彼も本当の妹のように想ってくれている。
エクセンが自警団に話したので、ウィルクスはちょっとした騒ぎだった。しかしルキの無事が確認できたときは、一同はホッと胸を撫で下ろした。
アングとオーワも顔を真っ青にするほど心配し、ルクーリは涙ながらにルキを抱き締める。
当人も多くの人々に迷惑をかけたので、しばらくは意気消沈していた。
明日になれば、また本来の明るさを取り戻してくれると信じている。
その後、長老と族長たちは議論の末、ソリトゥードの民に零れ人の出現範囲が広がっている旨を伝えた。不吉な予言は伏せておき、身近な危険だけを警戒させる。
そしてセクトは、森で起きた出来事を賢人たちに伝えた。けれど彼らも、石碑の存在と零れ人が消えた原因は分からなかった。
当面は自警団に調査させる方針でまとまり、慌ただしい一日は幕を下ろした。
ただ一つ――セクトの胸に、孤独という名の響きを残して。




