7
アーシャは手元の本に視線を落としたままだ。
突然現れたわたし達をまるで意に介していない。
話しかけようとすると、アーシャがゆっくりページをめくった。
その些細な仕草に言葉が詰まった。
所作の一つ一つに目が奪われる。
何気ない動作でさえ、こうも人を惹きつける魅力もまた、人とかけ離れている。
「……アーシャ」
返事はない。
反応もない。
それを受けて、押し黙っていたアディスが口を開いた。
「こいつが例の女か」
声色からは明らかな警戒が窺えた。
普段はおちゃらけているとはいえ、アディスの兵歴はわたしよりも長い。
もちろんそれなりに場数を踏んでいるし、腕も立つ。
一目見てアーシャの異質さを見抜いたのだろう。
「ん?」
ここでアーシャが初めて反応を見せた。
目を開き瞬きを数回すると、
「こんなところでなにしてるんだい?」
と、首を傾げた。
「あのね、こっちの台詞なんですけど。ずっとここにいたわけ?」
「ずっと……?」
「よく集中力が続くね」
言ったそばから思い出す。
こと忍耐力に関して、アーシャはこの場にいる誰よりもあることを。
なんせ百年。
百年以上にも渡り傍観を続けたアーシャに、これは愚問だったかもしれない。
「まだ一時間程度だろ。大袈裟だな」
少し口角を上げ、本を閉じる。
「一時間ってバカ言わないで。もう丸一日経ってる」
アーシャが目を丸くした。
「驚いた。もうそんなに経っていたのか。どうりでお迎えが来るはずだ」
アディスがわたしを押しのけ、アーシャの前に仁王立ちした。
「アーシャとか言ったな」
「ノアからはそう呼ばれてるね」
「俺はアディス・ノーランだ。一つ質問がある」
アーシャは本を閉じると、それを傍に置いた。
あからさまな敵意を向けられても、その態度は変わらない。
冷静沈着……いや、アディスに対し興味が無いのか。
「どうぞ。なんなりと」
「あんたはノアの味方なのか? それとも……」
敵ならば斬る――言葉にしなくとも分かる物言い。
得体の知れない存在を前に警戒心を緩めないのは当然の判断だ。
現にわたしも同じことをした。
「とてもありがたいと感じているよ」
「ノアに感謝していると?」
「何やら物騒な雰囲気だけど安心して。この感情と敵意は共存しないから。でも――」
味方とも言い切れないかもね、そう笑うアーシャと目が合った。
不思議と不気味さは薄れていた。
「ふん、変な女だな。口説こうとも思えん」
「それは残念」
「ちょっとバカ言ってないで落ち着いてよ」
今度は逆にアディスを押し退ける。
やっと聞ける。
【還り】のこと。
なぜ命を落とした二人から還りの光が立ち昇らなかったのか。
それは何を意味するのか。
レオ達の魂は未だ彷徨い続けているのか。
押し殺していた気持ちが溢れそうになった。
それを知らなければ、きっとわたしは前に進めない。
「ねえ、聞きたいことがあるんだ」
「矢継ぎ早に質問されるのも悪くないが……その前に私からもいいかな」
アーシャが積み重なった本の背表紙を人差し指で撫でていく。
「……なに?」
「確かこの辺に……ああ、これだ」
アーシャは一冊の本を見つけると、静かにページをめくっていった。
「これはとても大事なこと。少なくとも私はそう感じた。君達はこれをどう受け止めるのだろう」
「君達って、俺も含まれるのか?」
「もちろんだよ。憐れな徴用兵の男」
「アディスだ」
「憐れなアディス君」
不敵に笑うその顔は、まるで遊び道具を見つけた無邪気な子供。
「きっと悲しいだろう。悔しいだろうし、憎むかもしれない。何を? 国を、時代を? 生い立ちと境遇を? 与えられた立場と地位? 君達は逃げだすのかい? それとも……抗うのかな?」
アーシャは立ち上がり両手を広げた。
その姿は神々しくも禍々しい。
知らぬ間に握られた拳に汗が滲む。
アディスの表情も険しい。
似たような心境なのだろう。
それほど今のアーシャは異彩を放っている。
これから彼女は何を語ると言うのか。
何をわたし達に伝えると言うのか。
「むかしむかし、まだこの国がアマルドラと呼ばれるもっと前の話だ――」
人差し指を立て、アーシャは語り始めた。
まるで歌うように。
その表情はうって変わって柔らかい。




