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名もなき少女の還り路  作者: 猫鈴
還と忌物
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7/8

 アーシャは手元の本に視線を落としたままだ。

 突然現れたわたし達をまるで意に介していない。

 話しかけようとすると、アーシャがゆっくりページをめくった。


 その些細な仕草に言葉が詰まった。

 所作の一つ一つに目が奪われる。


 何気ない動作でさえ、こうも人を惹きつける魅力もまた、人とかけ離れている。


「……アーシャ」


 返事はない。

 反応もない。

 それを受けて、押し黙っていたアディスが口を開いた。


「こいつが例の女か」


 声色からは明らかな警戒が窺えた。

 普段はおちゃらけているとはいえ、アディスの兵歴はわたしよりも長い。

 もちろんそれなりに場数を踏んでいるし、腕も立つ。

 一目見てアーシャの異質さを見抜いたのだろう。


「ん?」


 ここでアーシャが初めて反応を見せた。

 目を開き瞬きを数回すると、

「こんなところでなにしてるんだい?」

 と、首を傾げた。


「あのね、こっちの台詞なんですけど。ずっとここにいたわけ?」

「ずっと……?」

「よく集中力が続くね」


 言ったそばから思い出す。

 こと忍耐力に関して、アーシャはこの場にいる誰よりもあることを。

 なんせ百年。

 百年以上にも渡り傍観を続けたアーシャに、これは愚問だったかもしれない。


「まだ一時間程度だろ。大袈裟だな」

 少し口角を上げ、本を閉じる。


「一時間ってバカ言わないで。もう丸一日経ってる」


 アーシャが目を丸くした。

 

「驚いた。もうそんなに経っていたのか。どうりでお迎えが来るはずだ」


 アディスがわたしを押しのけ、アーシャの前に仁王立ちした。


「アーシャとか言ったな」

「ノアからはそう呼ばれてるね」

「俺はアディス・ノーランだ。一つ質問がある」


 アーシャは本を閉じると、それを傍に置いた。

 あからさまな敵意を向けられても、その態度は変わらない。

 冷静沈着……いや、アディスに対し興味が無いのか。

 

「どうぞ。なんなりと」

「あんたはノアの味方なのか? それとも……」


 敵ならば斬る――言葉にしなくとも分かる物言い。

 得体の知れない存在を前に警戒心を緩めないのは当然の判断だ。

 現にわたしも同じことをした。

 

「とてもありがたいと感じているよ」

「ノアに感謝していると?」 

「何やら物騒な雰囲気だけど安心して。この感情と敵意は共存しないから。でも――」

 味方とも言い切れないかもね、そう笑うアーシャと目が合った。

 不思議と不気味さは薄れていた。

 

「ふん、変な女だな。口説こうとも思えん」

「それは残念」

「ちょっとバカ言ってないで落ち着いてよ」


 今度は逆にアディスを押し退ける。

 やっと聞ける。

【還り】のこと。

 

 なぜ命を落とした二人から還りの光が立ち昇らなかったのか。

 それは何を意味するのか。

 レオ達の魂は未だ彷徨い続けているのか。


 押し殺していた気持ちが溢れそうになった。

 それを知らなければ、きっとわたしは前に進めない。


「ねえ、聞きたいことがあるんだ」

「矢継ぎ早に質問されるのも悪くないが……その前に私からもいいかな」


 アーシャが積み重なった本の背表紙を人差し指で撫でていく。


「……なに?」

「確かこの辺に……ああ、これだ」


 アーシャは一冊の本を見つけると、静かにページをめくっていった。


「これはとても大事なこと。少なくとも私はそう感じた。君達はこれをどう受け止めるのだろう」

「君達って、俺も含まれるのか?」

「もちろんだよ。憐れな徴用兵の男」

「アディスだ」


「憐れなアディス君」

 不敵に笑うその顔は、まるで遊び道具を見つけた無邪気な子供。


「きっと悲しいだろう。悔しいだろうし、憎むかもしれない。何を? 国を、時代を? 生い立ちと境遇を? 与えられた立場と地位? 君達は逃げだすのかい? それとも……抗うのかな?」

 

 アーシャは立ち上がり両手を広げた。

 その姿は神々しくも禍々しい。

 

 知らぬ間に握られた拳に汗が滲む。


 アディスの表情も険しい。

 似たような心境なのだろう。

 それほど今のアーシャは異彩を放っている。

 

 これから彼女は何を語ると言うのか。

 何をわたし達に伝えると言うのか。

 

「むかしむかし、まだこの国がアマルドラと呼ばれるもっと前の話だ――」


 人差し指を立て、アーシャは語り始めた。

 まるで歌うように。

 その表情はうって変わって柔らかい。

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