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「イライザ」
「ちょっとアディス、今仕事中だから」
「今晩空いてるか?」
アディスが司書に歩み寄る。
言葉とは裏腹に頬を染める司書。
どうやらまんざらではないようだ。
それにしたって他にまともな手はなかったものだろうか。かといって代案もなく、わたしはこうして言われるがままになっている。
あの男曰く、
「これが最も効果的かつ、大人にしかできない作戦だ」
と、胸を張っていたが、嫌な大人だなと率直に感じた。
要は、『日頃の女遊びを生かしている間に特別書庫に忍び込んでしまえ』だ。
それを聞き、眉ひとつ動かさず頷いていたわたしの方が、よっぽど大人だと思う。
とにかく早くアーシャを探さなくてはならない
あんな足止めがずっと続くとも思えない。
書庫に忍び込んだことで処罰を受けるのはまだいい。徴用印が消えた今、怖いものはない。
失うものがないことが、今や強みになっている。
手放したくないものを手放すと、ここまで開き直れるものだとは。
問題はアディスだ。
制限区域への侵入の手助けなんて、門限を守らないなどの違反とはわけが違う。
積み上げた兵役の実績は簡単に瓦解し、最悪退役処分になってもおかしくない。
もう今更後には引けない。
できることはアーシャをいち早く発見することだ。
二人の様子を慎重に観察しながら、わたしは把手をつかんだ。
扉を開けると古紙の匂いが全身を包んだ。
薄暗いが、わずかな灯りがともっている。
徐々に目が慣れていき部屋の全容が浮かんできた。
一般書庫とは違い調度品等の類いはない。
窓は無さそうだが、薄く張られた蜘蛛の巣が微かに揺れていた。
本棚を頼りに暗い足元に気をつけながらゆっくりと進む。
広さはそれほどでもなく、すぐに部屋を回り終えた。肝心のアーシャは何処にもいなかった。
拍子抜けしていると扉の開く音がした。
本棚に身を隠し様子を窺うと、アディスが姿を現した。
何やら頬をさすっている。
「ほっぺた、赤いよ」
「つねられた」
「それくらいで済んで良かったね。文章院じゃなかったら殴られてたよ、きっと」
「かもな」
「次は上手くいくといいね」
「ズレたこと言うな。目的は達成しただろ?」
「半分だけ。アーシャがいない」
「つねられ損かよ。それにしても……」
辺りを見渡しながら、アディスが本を手にした。
古い羊皮の表紙は、ひび割れ色褪せている。
今にも落丁しそうな本だ。
アディスはお構いなしにそのまま本を捲った。
「随分と年代物だな。売ったらいい金になりそうだ」
「年代記、史実……どれも似たような本だね」
「これなんて旧王宮見取り図だぞ。どれだけ物持ちがいいんだよ」
アーシャはどこにいるのだろう。
あらかた資料を読み終え、元の生活に戻った?
それも考えにくい。
人を蔑むことはあれだ、少なくとも薄情ではなかった。
「なあ、今考えたんだけどよ。これ出る時どうするんだ?」
「どうするって……」
扉に視線を向ける。
窓はないのは確認済みだ。
「多分見張りがついたぜ?」
「もう片方つねられてきてよ」
「見張りは性格のキツそうなおば様に変わってる」
「あー……」
一番簡単なのは、ちょっとした騒ぎを起こしどさくさに紛れること。
だけどその騒ぎの塩梅が難しい。
「余計な心配無用はだぞ」
考えを察してか、アディスが釘を刺してきた。
「こう見えて叱られるのは慣れっこなんだ。地位もクソもない徴用兵に失うもんなんてねぇよ」
「子供か。お前は」
「いつまでも少年の心を待つことは大事だぞ。それこそ旧王宮時代なら首が飛ぶだろうがな」
「……今、なんて言った?」
何かが引っ掛かった。
「だからよ、少年の心を持つことは――」
「違う。今、旧王宮って言ったよね」
「……? 冗談だよ。いくらなんでも首は飛ばさねえだろ」
「それも違う。その話、最近したばかりだ。えっと」
古びた金属板をなぞるアーシャの姿が浮かんだ。
【王立文章院】。
戦火に巻き込まれなかった唯一の建造物。
こうも話していた。
『旧王城跡地、とあるね――』
わたしは本棚に視線を移した。
「あった。これだ」
「それがどうしたんだよ」
「ここが旧王城跡地なら、文章院は城内と繋がっていた可能性がある」
「だからそれが――」
「あんた王城の警備ついたことないの?」
「あるよ」
「聞いたわたしがバカだったよ」
耳にしたことがある。
有事の際にどこからでも身を隠せるように、あらゆる場所に王族専用の逃走経路を確保していると。
それはわたし達のような位の低い人間は知ることない秘密の経路。
本を急いで開く。
ページをめくっただけで紙が少し破れた。
百年以上前の書物だけあり、やはり劣化が激しい。
「多分……これが文章院、だよね?」
開いたページを指差す。
「そうだな方角的にも間違いない」
「これは見張り塔? 文字が掠れてる」
「確実には分からんが、多分そうだな」
それは王城と文章院が繋がっていた証拠だった。
「この部屋に抜け道があるかもしれない」
「よく分からんが……出口が他にあるってことだな」
「手分けして探そう。難しい仕掛けはないはずだ」
「了解」
アディスは敬礼すると、壁を軽く叩きながら歩き始めた。
特に変わったところは見当たらないが、石造りの文章院に大掛かりな仕掛けを打つ余地はないはずだ。
しばらく部屋を確かめていると「あったぞ!」と興奮気味にアディスが声を上げた。
急いで声の元に向かう。
「これ、明らかに変だろ」
かがみ込んだアディスが手招きをしながら地面を覗き込んでいる。
その視線の先には等間隔に並んだ溝があった。
埃を被り全体像は見にくいが、壁際を沿い一直線に伸びているようだ。
「なんだろう。これ」
「普通に考えれば稼動動線だな」
「本棚が動くってこと?」
「試してみるか」
「アディス・ノーラン! 時間だ!」
アディスが驚き飛び退く。
わたしは声を抑えるので精一杯だった。
気の強そうな芯の通った声は、入り口付近から聞こえてきた。
「まずい! 時間切れか?」
慌てるアディス。
「押して! 早く!」
石畳が鳴る。
どんどん近づいてくるのが分かる。
とにかく力一杯本棚を押した。
徐々に本棚が動き、埃が頭に舞った。
目を凝らすと、足元に小さな潜り戸が姿を現した。
「入ろう。急いで」
急いで戸を潜る。
続くアディスが入り口でもたついた。
潜り戸が狭すぎるのだ。
内側から思い切り腕を引っ張るも、上半身が抜けない。
「ちょっとは……痩せな、さいよ!」
「俺のは筋肉だ! お前は引っかかるところがないから……ぐわっ!」
言い合っているとアディスが戸からすっぽ抜けた。
わたしは勢いよく後ろに転がり、後頭部を打ちつけた。
同時に隠し扉が静かに閉まっていった。
「いっ……たぁ」
「あ、危なかった。……おい」
「ていうかお前なんか言っただろ。聞いてんのか?」
「う、後ろ」
「後ろがなんだよ」
アディスが後方を指差す。
指し示した方向へと振り向くと、地面には大量の本が乱雑に平積みになっていた。
そして――。
「アーシャ」
それらに囲まれるように、アーシャが書物に目を落としている。
そこだけ時間が止まっているような、そんな空間が広がっていた。




