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名もなき少女の還り路  作者: 猫鈴
還と忌物
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5

 どれくらい時間が経ったのだろう。

 いつのまにかカーテンの隙間から陽が差している。

 顔を上げると窓際に野良猫のアーシャの姿があった。


「いま開けるね」


 窓を開けると、冷たい風が頬を撫でた。

 同時にアーシャがベッドに飛び込んできた。

 毎朝決まった時間に訪れては、こうして餌をねだってくる。


「大きいアーシャは……」


 部屋を見渡すが姿はない。

 居間にも戻った形跡はない。

 

 とにかくアーシャと話したかった。

 彼女なら答えを知っているかもしれない。

 

 支度をしようと洗面台へ向かい、一呼吸おいてから、鏡を覗きこむ。


 やはり印は跡形もなく消えている。


 印は徴用兵の証明。

 最悪、解雇になる可能性がある。

 王都での生活は終わってしまうだろう。


 しかし昨晩ほどの焦りはない。

 それどころかなぜ自分はあのように慌てふためいたのか、疑問に思う。


 居場所や、立場、存在意義。

 徴用兵になって手に入れた不自由ない生活。

 だが今は、それよりも優先すべきことがある。

 そう心から思えた。



 背後から人一倍大きな声で呼び止められた。

 覚えのある声に思わずため息が出る。

 振り向くと、やけに絡んでくるお節介な奴がヘラヘラと笑っていた。

 アディスだ。

 正直、一番会いたくないタイミングだった。


「よう。ノアじゃねぇか」

 

 晴れやかに挨拶をするアディス。

 こちらの気持ちなど知る由もないのだから、仕方がないが、少しだけ神経を逆撫でされた気分になった。


「ごめん、急いでる」


 構ってる暇はない。

 会話を避けるように横を通り抜けたが、焼却炉でのやり取りが過った。


「あー! もう!」

 だから会いたくなかったのだ。

 あたまをがむしゃらに振った。

 嫌な気持ちを振り払うように。


「ど、どうしたってんだよ」

「なにが」

「なにがって……変だぞ」

「誰が」

「……お前だよ」

「えっと」


 なにを言えばよいか分からず、勢い任せに頭を下げた。

 それしか思いつかなかった。


「昨日はごめんなさい」

「あん?」

「わたし、どうかしてた」

「今も大概だけどな」


 なんだか気恥ずかしくなり、再び走り出した。

 少し離れてから、

「お礼は今度する! じゃあね」

 と手を振った。


 道中、大きいアーシャに鉢合うかもと周りを見渡したが、やはり姿はどこにもない。


 そうこうしている内に文章院に辿り着いた。

 階段をひとつ飛ばしで上がり、扉を開けた。

 すると受付の司書と目が合った。


「えっと、走ってきたんですか?」

「はぁ、はぁ、別に、ハァ、急いでないですよ」

「……」

「焦ってなんかもないですよ」

「ご、ごゆっくりどうぞ」

「どうも」

 

 何やら訝しげだが、気にしてる場合じゃない。

 早くアーシャを見つけなければ。


 会釈をし、受付を抜けた。

 重い扉を開けると、書物の匂いが一気に押し寄せてきた。


「……おぉ」


 逸る気持ちが文章院の厳かな空気に掻き消される。

 木造の本棚には皮の背表紙が所狭しと並んでいた。


 旧王宮の施設だけある。

 壁側には調度品が、床には絨毯が敷かれている。

 ステンドグラスからは暖かな光が注いでいる。

 

「っと。見惚れてる場合じゃない」


 胸に手を当て息を整える。

 改めてアーシャを探し始めた。

 しかしいくら探しても影すら見当たらない。


「あとは……特別書庫」


 視線の先には赤い撚り縄で遮られた扉。

 特に案内などはないが、雰囲気からしてあそこがそうなのだろう。


 どうやってアーシャが入ったか見当もつかないが、あの扉の奥に居る可能性は高い。 


「あの」


 案外簡単に入れてくれるかもと、司書に声をかける。


「何かお探しですか?」

「特別書庫はどうしたら入れますか?」

「申し訳ありません。一般書庫のみ公開となっております」


 司書の表情が変わった。

 口を真一文字に結んでいる。

 一筋縄ではいかなそうだ。


 こうなると厄介だ。

 なんとか穏便に事を運びたいが――。


「……そうだ。あの、これ」


 印を提示すれば融通が効くはず。

 こういう時に本当に役に立つ。


「……?」

「えっと」

「それが何か?」


 目を凝らし、司書が顔を近づけてきた。


「だから、これ――」

 ……あ。

「な、なんでもないです」


 長年の癖は怖い。

 不審がる司書を横目に、わたしはそそくさとその場を後にした。


「どうしよう」


 街中にいる可能性ももちろんある。

 許可が降りないなら、一旦街中を回るのも手だろう。


 が、特別書庫。

 可能性というならば、あそこしかない。


「……そうだ」


 なにもわたしが印を提示しなくてもいいんだ。

 印がある人を連れてくればいいだけの話だよ。

 そうなると……。

 

 会いたくない奴に会いに行くしかない。

 わたしは来た道を急いで戻った。

 


「おーい!」

「まーたお前か。今度はなんだよ」

「印、貸して」


 手の甲の徴用印を指差す。

 突然の申し出に思わず手を引っ込めるアディス。


「は?」


 わたしは手招きをし、耳元で小さく告げた。


「印が無くなっちゃったの」

「なんだって?」

「ほら」


 首筋を見せると、アディスが分かりやすく目を見開いた。


「どうなってんだ、それ」

「とにかく手伝って欲しいことがあるんだ」

「待て待て」

「多分、もう王都にはいられなくなると思う。だから最後のお願い」

「とにかく落ち着けって。まずは事情を話せ」


 アディスは納得しなければ、首を縦に振りそうにも無かった。


「分かったよ」


 わたしは昨晩の出来事を手短に伝えた。

 話が終わるまでアディスは何も言わずに耳を傾けてくれていた。


「にわかには信じがたい」

「でも本当だよ」

「信じがたいが、それを見せれちゃな」


 特別書庫ねぇ、とアディスは眉を顰めた。

 

「だめかな」

「だめってわけじゃねぇ。ただ……」


 アーシャの事を黙っているわけにはいかなかった。

 かなり気を使って伝えたが、逆の立場だったら断っているかもしれない。


「悪い人じゃないんだ。少し変わってるけど」

「……分かった。お前にとって大切なことなんだろ。その代わり俺も一枚噛ませろ」


 予想外の一言だった。

 まさか首を突っ込んでくるとは。

 だけど気持ちが軽くなった気がした。


「それにしても昨日とはまるで別人だな」

「そう? いつもと変わらないよ」

「ま、いいか」


 二時間後に文章院で落ち合うと決めアディスと別れた。

 

 一度戻ろう。

 アーシャが帰っている可能性もある。


 休暇が開ければ、また任務の日々だ。

 印が消えたことは絶対に隠しきれない。

 そうなれば、きっと……。


 準備をしておくのに、早いことはないだろう。


 部屋に戻るも、やはりアーシャの姿はなかった。

 期待はしていなかったが、こうなるとやはり文章院にいるのだろう。


「ったく。なにしてんだか」


 そのまま部屋へ向かう。

 余計な物は置いていない。

 すぐに荷物はまとまるだろう。


 数十分後、案の定荷造りはすぐに終わった。

 一息つき、ベッドに腰掛ける。

 窓から風がそよいだ。

 床に置いた銀の皿からは、餌が綺麗になくなっている。


「どっか行っちゃったかな」


 心残りは猫のアーシャだ。

 半分飼い猫のようなものなので、それなりに愛情を注いできた。

 しかし、気まぐれな猫をあてのない旅に連れて行くのは難しいだろう。


 物好きがいれば世話をしてくれるかもしれない。

 あとでアディスに相談してみよう。


 アーシャは今後どうするのだろうか。

 興味が湧いたと山を降りた彼女だが、住むところもなくなるわけだし、山に戻るのだろうか。


 考えてみれば、まだわたしは何も返せてない。

 

『ただの気まぐれさ』なんて言ってはいたが、このままさようならなんて不義理もいいところだ。


 胸に響く不気味な声、思い返すも恐ろしい瞳、突き刺すような明確な殺意。

 あの状況から生還したことは奇跡に近い。

 もちろんレオや上官の奮闘無くして、その奇跡は起きなかった。


 やはりしっかりと弔ってあげたい。

 還りの光を確認できていない事実も、未だ胸につかえている。

 

 アーシャにも返せるものがあれば返したいが、徴用印を失ったわたしに出来ることは少ない。

 何か出来ることがあればいいのだが――。


 考えている内に夕刻を告げる鐘が鳴る。

 聞き慣れた夜を告げる音。

 アディスの勤務交代の時間。

 わたしは文章院に向かった。


「遅い」


 花壇のへりに腰を下ろしていたアディスは、開口一番言い放った。懐中時計を見ると、まだ待ち合わせの時間になっていない。


「あんたが早いんだよ」

「時間前行動は徴用兵の義務だ」

「はい、屁理屈。仕事を早く切り上げてる証拠だろ」

「正解。いざ話を聞いたら浮き足だっちまってな。ちょいと早上がりを」


 こういうところがアディスが変わり者たる所以だ。

 もちろん徴用兵にも色々な奴がいる。

 酒好きに女好き、毎日賭け事をやる連中もいれば、畑仕事が趣味の奴もいる。

 しかしその誰もが任務に対しては真摯に向き合っている。


 だけどアディスはその中でも異質だ。

 端的に言えば忠誠心がないのだ。

 そして恐らく、制度そのものに対して疑問を抱いている。 

 誰も口には出さないが、それがあからさまなのだ。


 昨日の遺品整理がいい例だろう。

 普通だったら遺品焼却を手伝うなんてあり得ない。

 感傷に浸ることもない。

 精神面に於いて、他人を気遣うなんてもっての外だ。

 わたしだって……そうだった。


「その徴用印って本物?」

「なんだよ急に」

「西国とかの密偵なんじゃないの、あんた」


 今のわたしなら、アディスのように生きられるかもしれない。

 そう思うと自然な笑みが溢れた。


「やっぱり変わったよ、お前」


 アディスはわたしの頭を乱暴に撫でた。

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