4
アディスと別れを告げ、再び徴用局を訪れた。
事後処理の報告をしなければならないからだ。
手続きを進める中、ふと窓を眺めると既に陽が陰り始めていた。
「ふぅ」
徴用局を後にし、ここでようやく張り詰めていたものが少し解けた気がした。
が、一つ疑問が残っている。
なぜ二人から還の光が――。
「やあ」
「っ!!」
本当に心臓に悪い。
気配の消し方が人のそれではない。
「しかし本当に面白いね。この街は」
「……?」
辺りを見渡す。
目の前を手を繋ぐ親子が横切った。
仕事帰りの衛兵達が笑いながらその親子とすれ違う。
民家の煙筒からは食事の匂いが立ち込め、役人が街灯に火を灯して周っている。
いつもと変わり映えのない日常だった。
面白いことなんて何もない。
でもアーシャからすればそんな光景も、新鮮に映っているのかもしれない。
「何か気になった?」
「住民達は穏やかで街並みも美しい。敗戦国だとはとても思えない」
通り過ぎた子供が振り返り、こちらをじっと見ていた。アーシャはそれに気づくと、小さく手を振った。
「なにより平和だ」
「今は他国と争っているわけじゃないし。それに俗国と言っても、グランダールの庇護下だから」
アーシャが眉を顰める。
「グランダール」
ぽつりと言うと、少し首を傾げた。
「……帝都だよ」
「ふうん。物知りなんだね」
わざとらしくトーンを上げるアーシャ。
「いやいや。常識――」
そう言いかけて、口を結んだ。
グランダールが覇権を握り帝都を名乗ったのは、今から百年前の出来事だ。
それはコルド山でアーシャが過ごしている間に起こった歴史。
打ち明かされた全てを鵜呑みにしているわけではないが、アーシャはその期間、ずっとコルド山で過ごしていたという。
信じがたいが、だけどそれがあからさまな嘘とも言い切れない。
アーシャにはそんな不思議なところがある。
「えっと、つまりグランダールに倣った法律が王都にも反映されているから……」
「秩序と安定が保たれている、と」
「そういうこと」
「歴史と成り立ちを把握してるなんて立派だね」
「これでもしっかりとした教育を受けてますから」
「徴用制度の一環かな」
「その通り。分かってきたかな? 特別徴用って本当にありがたいことなんだよ」
小さく微笑むアーシャ。
まるで母親が子供の話に耳を傾けるように。
「暗くなってきたね。もう帰ろうか」
その晩、レオの夢を見た。
わたしの体は動かない。
レオはうずくまり苦悶の表情を浮かべている。
「…………」
何か伝えたいのだろうか。
口を必死に動かしているが、声は聞こえない。
やがてレオは力尽きた。
わたしは何も出来なかった。
顔を撫でる感触がした。
目覚めるとアーシャが覗き込んでいた。
「いい夢が見れたかい?」
「……おかげさまで」
「随分とうなされていたようだけど」
「……おかげさまでね」
「汗もひどい」
「嫌な夢見たの!」
「だろうね」
体を起こし、乱れた髪を手櫛でといた。
昔からこうだ。
目覚めが悪い時は決まってうなされる。
台所の水差しからグラスに水を注ぐ。
それを一息に飲み干した。
少しだけ体が軋んだ。
「考え事するといつもこうなんだ」
「考えるのをやめろってことじゃないかい?」
「ハハッ。かもね」
振り返るとアーシャが外を眺めていた。
鼻歌混じりでなにやら機嫌が良さそうだ。
「何見てるの?」
「特に、何も」
「なんだそれ」
「そうそう。今日は文献なんかに目を通したいな」
少し意外な要求だった。
アーシャはここに来てから街を眺め、人を観察しているだけだったから。
最初は何をやっているのかと訝しんだが、それが彼女の目的なのだと思うようにしていた。
てっきり今日もそれを繰り返すものとばかり思っていのだ。
「それなら文章院かな」
「案内、お願いできるかい?」
「それは構わないけど……なんだか少し体調が悪いんだ。調べ物は付き合えないかも」
「もちろん。構わないよ」
「それならいいよ。薬剤店に寄るついでになるけど」
支度の時間をアーシャにもらい、洗面台の前に立った。
鏡に映る自分は、寝起きとはいえどひどいものだった。
目はむくみ、肌は土気色をしている。
本格的に体調を崩しそうだ。
そう思うと余計に肩が重くなった。
「そろそろ行くかい?」
「……うん。出ようか」
目の前にそびえ立つ石造りの建物は、今も当時の面影を残している。まるでここだけ時間が止まっているような、そんな気持ちにさせられる。
『王立文章院』
古びた金属版をアーシャが指でなぞった。
雨ざらしでかすれた文字がはっきりと浮き出る。
「立派な佇まいだね」
「でも古いでしょ」
「旧王城跡地、とあるね。戦火に巻き込まれなかった唯一の建造物とも」
「貴重なんだって。一般公開してない書物もあるらしいよ」
貯蔵数も多いし、貴重な文献も残っているはずだ。
きっとアーシャのお目当ても見つかるだろう。
実の所、こうして文章院に足を運ぶのは初めてだった。これまで読書をする習慣はなかったし、そんな暇もなかったからだ。
これを機に読書を始めるのも良いかもしれない。
「なんだか懐かしさを感じるね」
「え? 来たことあるの?」
「昔はこんな建物が多かったんだ」
目を細め懐かしむ横顔はどこか人間味を感じない。
でも、忌物ともまた違う。
今晩ゆっくり話を聞いてみよう。
【還】についても知りたいことがある。
還りの光無くして【還】があるのかと。
「ちなみになんだけど、お目当ての書物は」
「歴史が知りたいんだ」
「じゃあ史実書とか、なのかな」
「『王都の歩み』『戦後の成長』、そんな近代史なら嬉しいね。あとは――」
戦争孤児と特別徴用制度だね、アーシャはポツリと呟き入り口へと足を運んだ。
歴史を知ること、人を知ること。
それらは彼女のルーツを辿ることと、同義なのだろうか。
だとすればわたしに手伝えることは無いのかもしれない。
命の恩人を無碍に扱う訳ではないが、アーシャはわたしの常識の範囲外に生き、理解の外にいる。
後ろ姿を見送りながら、そんなことを考えた。
その晩、アーシャは陽が沈んでも戻らなかった。
しかし、それを気にする余裕はなかった。
懸念していた体調が悪化したのだ。
肩の重みは痛みに変わり、それが波打つように襲ってくる。
気怠さは増し、食欲も失った。
足を引き摺るように台所に向かい、処方薬を流し込んだ。
「この薬、効果あるのかな?」
滅多に風邪など引かないが、一度軍医に処方された薬は効果覿面だった。
「明日、局に顔出すか……」
一度顔を洗おうと洗面台に向かった。
燭台に火を灯す。
薄い暗闇が仄かに照らされる。
「ッ!」
鏡を見て愕然とした。
首元の徴用印が動いているのだ。
思わず壁まで後ずさる。
確かめるように印に触れるが感触は無い。
しかし印は、蛇のようにのたうち、その形を変えていく。
その度にじくじくと鈍痛が走る。
「くっ! なんだよ、これ」
問題はそれだけじゃない。
特別徴用兵の証を失ってしまうのでは――そんな恐怖が痛みに勝った。
そうなればきっと全てを失う。
王都での暮らし、徴用兵としての職務。
何より自分の存在意義を。
想像するだけで身震いした。
身寄りのない生活。
明日を待つ意味がない日々。
あんな思いは、もう二度とごめんだ。
レオと共に励まし合い、努力した結果が消え去ってしまう。
……レオ?
壁によりかかり、滑るように床に崩れた。
そのまま体を丸め膝を抱える。
「レオ……」
口から溢れた幼馴染の名前。
思い返せば、笑ってる時や怒ってる時、今みたいに心が押しつぶされそうな時、いつもレオがそばにいてくれた気がする。
こんな大事なことを何故忘れていたのだろう。
いや、忘れていたわけではない。
考えまいとしていたわけでもない。
何故、いま思い出したのだろう。
印をさする。
痛みは徐々に引いてきている。
『徴用兵が殉職した場合、現地での埋葬を基本とする』
軍規定ではそう定められている。
そんなの当たり前だ。
命の危険を伴う任務が多い徴用兵を、その度に弔っていたらキリがない。
わたし達は命を担保に人並み以上の暮らしを与えられているのだ。
そう教えられた。
訓練を受けた。
だけど――。
そんなに軍規が大切だったの?
何よりも優先するべきものだったの?
アディスの声が過ぎる。
『大した荷物にならんだろ』
何故、わたしは拒否をしたのだろう。
何故、ゴミのように投げ捨てたのだろう。
何故、それを当たり前だと思っていたのだろう。
頬に涙がつたった。
痛みは消えかかっている。
何故、わたしは悲しまなかっただろう。
どうして、わたしは――。
燭台の火が消えた。
印の痛みと共に。
「わたしが、二人を殺したんだ」
拭えない後悔と消えることない事実に押し潰され、わたしはその場から動くことができなかった。




