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名もなき少女の還り路  作者: 猫鈴
還と忌物
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2

 殉職者を連れ帰ることは、軍法により禁じられている。


 徴用兵の命が軽いからだ。

 尖兵、斥候、最前線へと赴く者。

 そして今回のような任務。

 身寄りのない徴用兵を弔っていたらキリがない。

 

 ゴルド山脈は大陸を南北に縦断している。

 緩衝地帯であり、忌物の棲家としてもその役割を果たしている。

 この地では数多くの徴用兵が命を落とす。


 覚悟はしていた。

 自分もいつか同じ道を辿ることになるのだと。

 だけど――。


「終わったかい?」

 背中越しに声が落ちる。

 既に空は白み始めていた。

 

「気は晴れないけどね」

 振り返ると、女が足元を眺めている。

 小石でも眺めるような冷たい瞳だ。


「……まだ息が?」


 忌物の瞼が微かに動いている。

 長くはないだろうと一目で分かるが、それでも眼光の鋭さは衰えていない。


「記憶が混濁する忌物も珍しいが、このしぶとさも中々のものだ」

「見てたの?」


 女が切り立つ崖を指差した。

「よく見えたよ」

「あんな所から?」


 登ることはもちろん、降りることすら困難であろう切り立つ岩肌。

 いったいどこまでが本当なのだろうか。


「お気に入りの場所さ」

「そういう意味じゃなくて……」


 会話が噛み合わない。

 意図する答えが返ってこない。

 想定外や常識外れを、この女はさも当たり前のように口にする。


「目と耳はいい方でね」

「あなた、何者なの?」


 あらためて女の風貌を確かめた。

 散歩にでも出かけるような軽装は、冬季の山中で過ごすにはまるで適していない。

 得物はおろか手荷物もない。

 どんな手段を用い忌物と対峙したのか。

 

 異質さだけが際立つ。

 命を救われた形になったとはいえ、簡単に心を許せる相手ではなかった。

 

「さあ……何者なんだろう」

「真面目に答えて」

「その質問が一番困るんだ」


 女は顎に手を添え頭を傾げた。

 わざとらしくもあるが、本人はいたって真剣らしく、眉間を寄せそのまま固まってしまった。


「そうだね……」

 ようやく女が口を開いた。

「忌物への執着、或いは別の何か。この感情の名前は知らないが、それこそが私の存在意義なのかもしれないね」


 まるで自問自答。

 懸念が確信に近づく

 この女は人間ではない、と。

 となると――。


 しかし女は忌物とは比べるまでもなく理性的で、こうして会話も成り立つ。

 なにより敵意を感じない。

 女にその気があれば、とっくに殺されていてもおかしくないだろう。

 忌物を簡単に制する実力を持っているのだ。

 そうなればわたしなど歯牙にも掛けないだろう。


「…………ス」

 忌物の口が動いた。

 絞り出すような声。

 

「本当にしぶといな」

 女の表情が暗く沈んだ。

 とどめを刺すつもりだ――それを直ぐに制止する。


「待って!」

 近くで腰を下ろす。

 

「…………」


 声が微かに漏れているが聞き取れない。

 その時、眼前を黒い靴底が横切った。

 反射的に顔を引くも、鼻先を風が掠めた。


「さようなら」

 女は蟻を踏み潰すかの如く忌物の頭を踏み抜いた。


「分かっているのは、とにかくこうしないと気が済まないってこと」

「だからって……」

「同情かい?」


「っ! そんなわけ――」

 出かかった言葉が詰まる。

「……そんなんじゃない」


 こんな化け物、二度と会いたくない。

 生まれてきてほしくないとも思う。 


「どうせ【還】るんだ。気にすることじゃない」

 女が被りを振った。


「忌物が?」

「何度も見てきたから」

「……助けてもらったことは感謝してる。そのおかげで二人を弔うこともできた」

「それも気にすることじゃないよ」

「だから今度こそはぐらかさないで教えて。貴女は何者なの?」


 忌物を葬る実力。

【還】に対する知識。

 ゴルド山脈に身を置き、あまつさえ一人で過ごしているという非現実的な暮らし。


 握った拳が汗ばんでいく。

 どんどん不審感が募る。

 考えれば考えるほど、この女は人外なのだ。


「本当に分からないんだ。忌物を殺し、ただ景色を眺める。それだけの日々。変わり映えはなかったよ。でも王都が燃えていたのはとても滑稽だったかな」


 女は饒舌に語った。

 懐かしむよう目を細めている。

 だけどわたしはそれを聞いて唖然とした。

 王都が……燃えた?


「馬鹿なこと言わないで」


 アマルドラの王都が戦火に巻き込まれたのは、百年以上前の出来事。現在は統治され、国情は安定している。

 仮にそれが事実なら、女の寿命は人間の限界を遥かに超えていることになる。


「揶揄っているの?」

「まさか」

「助けてくれたのは本当に感謝してる。報告書にも貴女のことは書かないつもり」

「自分の手柄にしたいかい?」

「正体不明の女に助けられました。なんて報告したら、あとは想像できるでしょ」


 結果だけ鑑みれば任務は完了している。

 しかし新たな脅威が出現したと捉えられてもなんらおかしくない。

 殉職者が出たことも確実に影響する。

 この状況を放置するほど徴用隊は甘くない。


「ふむ。今度は私が討伐対象になり得るか」

「これはわたしなりのお礼。貴女が来なければ全滅してた。確実にね」

「お礼なんていらないんだけどね……あ、じゃあこうしよう」

 女が手を叩いた。

 乾いた音が響く。

「君と話していたら、久々に欲が湧いたよ」


 女が歩み寄ってきた。

 思わず後ずさる。


「お礼と言うならば、私を王都に連れて行ってはくれないか」

「貴女を、王都に?」

 

 簡単に首を縦には振れなかった。

 人外を王都に招くなど、もっての外。

 いつ牙を剥くか分からない異物を、街に放り込むなど考えられなかった。


 だけど、それ以上に興味が湧いていた。

 不穏ではあるが、敵意も害意もない。

 こうして会話ができること自体、既に異例だ。


 もちろん罠の可能性もある。

 街中で暴れられたらひとたまりもないが、しかそれも本人がその気ならとっくにやっているだろう。

 

 なにより、わたしは【還】が知りたかった。

 それは徴用兵としての今後を左右するものだから。

 

「……多分、大した役には立てない」

「どうして?」

「わたしが孤児兵士だから。自由は制限されてる」

「へえ。益々興味が湧いたよ」


 女が更に歩み寄り手を伸ばしてきた。

 血が通っていないような青白い手。


「どうしたんだい? 握手だよ、握手」


 躊躇しつつもそれに応じる。

 見た目通り掌から体温は感じなかった。


「分かった」

「よろしく頼むよ。兵士さん」

「ノアだよ。ノア・レイン。貴女は?」

「だから分からないんだよ」

「じゃあアーシャでいいね」

「私かい?」

「貴女以外に誰がいるのよ。今から貴女はアーシャ」

「ちなみに由来は?」


 興味深そうにアーシャが尋ねてきた。

 

「近所の野良猫だよ」

「……いいね」

 アーシャは肩を振るわせた。


「気に入ったよ。ノア」

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