表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名もなき少女の還り路  作者: 猫鈴
還と忌物
PR
1/8

「ねぇ、お母さん」

「なぁに」

「お父さん……飛んでっちゃう……」


 立ち昇る光の粒を見上げながら、わたしは思わず母の裾を掴んだ。

 父が空に奪われてしまう――そんな感情に襲われた。


 母はわたしを優しく撫でると、

「大丈夫だよ」

 と微笑んだ。


「お父さんはね、これからおやすみするんだよ」

「おやすみ?」

「そう。だから一緒に待っていようね」

「……うん、分かった」


 柔らかな光が立ち昇る。

 それは遠く山を越え、やがて彼方へと消えていった。


 これが初めて目にした還りの光だった。

 それは綺麗で、儚くて。

 とても悲しい光景。


かえり】は世界の理で、生と死を繰り返し、人の歴史は紡がれている。

 でも最近、それに疑問を感じ始めていた。


 忌物(いみもの)には【還】が適用されるのだろうか。


 還れなかった者達が辿る結末。

 人に仇なす成れの果て。


 しかしいざそれらを目の前にしたら、そんな悠長なこと考えている暇はない。


 やらなければやられるのだ。

 自分も、守るべき大切な人達も。

 だからこの剣を振るってきた。

 

 だけど。

 刃を交えるその瞬間。

 少しだけ心が沈むんだ。



「甘いな」

 アズウェル上官が膝を叩く。

 続けて勢いよく袖を捲り上げると、抉り取られたような傷跡があらわになった。

「追い詰められた獣ほど恐ろしいものはないぞ」


 失敗したな、と思った。

 いつもならこんな話はしないのに、レオが一緒だからだろうか、思わず昔話がこぼれてしまった。


「それは忌物に?」

 食いつくようにレオが尋ねた。

「ああ、そうだ……」

 少し間を開けて上官は続ける。

「俺は運が良かった。ただそれだけだ。やっとの思いで始末した時には仲間は半分になっていた」


「それって、人型ですよね?」

 レオが苦い顔をした。


「ああ、そうだ。今回も同じことが起こる可能性だってあるんだぞ」

「……」

「なんだかんだで、ノアは怖いんですよ」


 レオがいつものペースでちゃらける。

 どこか呑気な性格が、今は少し羨ましくも感じた。


「大体ね、ノアがこの場にいることが不思議でしょうがないっスよ」

「お前が選ばれたのもな」


 焚き火に薪をくべながら上官が笑った。

 それを聞いたレオの顔が引き攣る。

 冗談と受け取れず、真に受けたようだ。


「慈しむことが悪いとは言わない。いつか割り切れるといいな、ノア」

「ったく。お前最近おかしいぞ」

「……」


 上官が肩を叩いた。

 分厚く固い掌の感触が洋服越しでも伝わった。


「見張りは二時間交代。先に休ませてもらうぞ」

 上官が天幕に潜り込み、それにレオが続く。


「何かあったらすぐ呼べよ」

「余計な心配はいりません」

「可愛くねぇ奴」


 ……うざ。



 わたし達はコルド山脈を訪れている。

 近くの住居区で異常事態が連日発生しているからだ。


 異常事態の原因は忌物。

 ここ数日間で死者、行方不明者合わせ五人の被害が出ていると報告が上がっている。

 相対すれば戦闘は避けられないだろう。


 気持ちが揺らぐ最中の任務。

 迷いがないと言えば嘘になる。


 忌物は殺さず捕えよ、これが原則。

 捕らわれたその後はわたしでは知る由もないが、想像するに容易い。


 刃を交えることになったら、戦うしかない。

 その時はせめて一思いに――なんて余計なことを考えてしまう。

 

 割り切れない思いを抱えたまま、夜は静かにふけていった。


「……冷えてきたな」


 木々が揺れ、枯れ葉が散った。

 肩をすくめ火に身を寄せる。

 目撃情報があったのが山中とはいえ、時期の悪さが重なっている。

 底冷えする気温に、強い季節風。

 それらが疲弊した体に鞭を打つ。


 体を伸ばす。

 雲の切れ目から月が顔を出した。


 アズウェル上官の言葉が脳裏を掠める。

 同情は無用。

 理外の相手なら尚更だ。

 もちろん、十分に理解している。


 それでも、どうしても忘れられない。

 死を前にした瞳が瞼に焼き付いて離れない。


 せめて【還】を――。

 いつしかそう願うようになり、感情が揺れるようになった。


 訓練で制御していたはずの心が痛む。

 レオはわたしの変化に気づいているのだろう。

 あんなでも一応幼馴染だ。

 心配してくれているのだろう。


 うざいけど。


「……」


 生木が小さく爆ぜた。

 その音が闇に吸い込まれていく。

 静寂が森を包んでいる。


 風に乗って舞い上がる火の粉。

 その奥の茂みが微かに揺れた。


 背筋が強張る。

 獣、或いは小動物の類か。

 それとも――。


「……なんだ、脅かさないでよ」


 飛び出してきたのは、野うさぎだった。

 こちらに気づくと再び茂みに飛び込んでいった。


 一瞬張り詰めた気が緩む。

 その時だった。

 遠くで音もなく何かが横切った。

 

 まるで人のような――。

 

「ヤあ」

 同時に、背後から頬を撫でられた。

 肌が粟立つ冷たい感触。

 鼓動が大きく跳ねた。


 手を振り払い焚き火を飛び越える。

 即座に反転し、声の主と対峙した。

 揺れる炎が男の顔を不気味に照らす。


(こいつ……)


 油断はしていなかった。

 あの距離を一瞬で?


 真紅の瞳、青ざめた肌――忌物だ。

 報告された特徴とも一致している。

 

「くク。くくくク」

「攫った人達はどうした」


 柄を握る手に力が入る。

 鼓動が耳の奥で脈打つ。


「さあネ」

 と、忌物が髪をかき上げた。

 痩せ細り骨張った指には血の気を感じない。

 あの指で触れられたと考えると身の毛もよだつ。

「こんナところで――」


 仲良く会話をする気はない。

 躊躇なく焚き火を蹴り上げた。

 火の粉が散り灰が舞い上がり、忌物の視線を遮った。


「小癪ナ女ダ」


 安い挑発――相手にする必要はない。

 死角へと回り込み、ナイフを声の方向に投げつける。


 ナイフが煙に消えた直後、低い笑いが響いた。

 煙が風に流され忌物が姿を現す。


「……っ!」


 投げたナイフは、確かに胸元に突き刺さっている。

 しかしそれを気にする様子はない。

 それどころか指でつついて遊んでいる。

 

 小手先の攻撃は通用しない。

 やはり頭を切り離すしかない。

 抜刀と共に一足飛びで間合いを詰めた。


 甘さは捨てろ!

 今はひたすら非情になれ!


 着地と同時に剣を振り下ろす。

 忌物が身を翻すも、返す刀で首元に狙いを定める。 柄を握る手に鈍い感触を捉えた。


 僅かに届いた切っ先が、忌物の喉を裂く。

 それでも忌物の余裕は変わらず、驚いたことに出血すらもしていない。


 過去に対峙してきた相手とは一線を画すことに、ここでようやく気づいた。


「その程度か」

 忌物はナイフを逆手で抜き取ると、そのまま反撃に転じてきた。

 眼前に刃が迫る。

 それを柄尻で弾き、そのまま後方へと大きく距離を取った。


 じりじりと弧を描くように間合いを保つ。

 長引いてはこちらが不利。

 大きく深呼吸をし、肩を回す。


「んなわけ」

 一気に距離を潰し確実に葬る。

 今度は避けられない速度で――。


「少し稽古をつけてやろう? 兵隊のお嬢さん」


 踏み出した足が止まった。

 忌物がまるで別人のような声を発したのだ。

 表情もまるで憑き物が落ちたようだった。


「……お前、軍人か」


 明らかに素人の構えではなかった。

 半身の前傾姿勢。

 踵を浮かし、こちらの呼吸に合わせ、身体を上下に揺らしている。


「さあな。だが、この得物には覚えがあるな」


 雰囲気が明らかに違う。

 けど飲まれちゃダメだ。


 飛び込む隙を窺う。

 体格からして膂力の差は歴然。

 しかも異様な耐久力で生半可な攻撃も通らない。


 ならば先の先で初動を潰し――そのまま一気にケリをつける!


「残念」


 踏み込んだ矢先、額に衝撃が走った。

 硬い鈍器で流れたような感覚。

 踏みとどまることもできず、足が地面から離れ、そのまま茂みへと吹き飛ばされた。


 なんだ……?

 殴られた……のか?


「動きに迷いがある。致命的ダぞ」


 思考が定まらない。

 立ちあがろうにも力が入らない。

 

「ハ、反応モ鈍イ、ィ。練度が、足りないナいな」

 忌物の声色がまた変化した。

 

「お前……何者、だよ」

 揺れる視界が赤く染まっていく。

 体が言うことを聞かない。


「ラ、楽ニぃ死ネルと思うナよ」


 突き出された忌物腕が霧状に変化していく。

 夜の闇が、更に色濃く広がり辺りを包む。

 

 ここで致命的なミスを犯したと気付く。

 相手は正真正銘の化け物。

 すぐにでも救援を求めるべきだった。


 慢心が招いた結果。

 自分ならこいつを苦しませずに倒せる、そんな風に考えていた。

 なんの言い逃れもできない。

 上官に指摘されたばかりだったのに。


「ノア!」


 レオの声が耳を掠めた。

 はっきりとは聞き取れないが、上官の声もする。

 その瞬間、意識が飛びかけた。

 二人が駆けつけたとはいえ、未だ安心できる状況ではない。


 まだ囮くらいにならなれる。

 少しでも二人の役に立つんだ――しかしレオの声を聞いて、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れてしまった。

 

 目の前が徐々にぼやけていく。

 何度か金属音がした。

 忌物の悍ましい叫びも聞こえる。


「……くそ」


 もう地面に臥すことしか出来なかった。



 頬に一粒の雪が落ちた。

 森には静かさが戻っている。

 どれほど気を失っていたのだろう。


「くっ」


 なんとか指が動いた。

 しかし体を起こすまでに至らない。


「う、動いて……よ」


 なぜわたしは生きている。

 上官は?

 レオは?

 忌物はどうなったんだ……?


「おやおや」


「……だ、れ?」


 聞き馴染みのない声だった。

 少なくとも先ほどまで、この場には無かった。

 淡々とした、感情のない音。


「ごほっ、な、なに!?」


 困惑していると突然襟元を掴まれた。

 体が宙へと持ち上げられる。


「やあ」

「っ!」


 顔を覗かせたのは、怖気がするほどの美貌を持つ女性。

 だがそれ以上に冷たい瞳に釘付けになった。

 目が、離せない。


「なんだか顔色が悪いね」

「あ、貴女こそ」

「そう? しばらく自分の顔なんて見てないから分かんないや」


 女が視線を外す。

 その先には仰ぐように虚が倒れていた。

 浅い呼吸を短く繰り返している。

 

「もう時間の問題だね」

「貴女が、忌物を?」

「関わるつもりはなかったけれど……まあ、成り行きさ」

 ところで――女は首元に目を落とした。

「この模様、彼等と同じね」


 その言葉に言いようのない不安が過った。

 恐る恐る、顔を上げる。

 既に忌物は死に体。

 じゃあレオと上官は……。


「……っ!」


 風が雲を押し流す。

 暗く沈んだ森が月に照らされた。


「上官……」


 赤く湿った土がぬらぬらと光っている。

 血臭が風に乗り鼻を刺した。

 ひしゃげた剣が突き刺さる傍には、千切れた足が無機質に転がっている。


「レオ……なんで……」

 

 力を振り絞り手を伸ばした。

 物言わぬ二人に向けて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ