時間の流れ
地球へ戻った佐野は、抱っこしていた菜々を地上へ下ろし、陽一に駆け寄った。
大蛇の頭部だけが転がり、辺りはめちゃくちゃな状態だ。あれだけの大騒ぎをしたのに、人が来ないのも不思議なくらいだった。
「今戻ったぞ! 陽一くんっ」
佐野の大声に、陽一が振り向いた。思わず笑顔がこぼれる。
「佐野さんっ」
「ん? なんだ? その男は」
陽一のそばに立っている薙に気づいて首を傾げる。
「そやつは人じゃないな。エネルギー体だ」
薙をじろじろ見て、陽一の方も同じように見る。
「おかしい、お主ら同じ気配がする」
「はあ、まあ……」
どうやら薙の言ったことは本当らしい。
「おい、陽一、早く三輪守をもとに戻してやれ」
薙が言うと、菜々が驚いて声を上げた。
「えーっ。無理よう。だって、三輪守様って誰にでも扱えるものじゃないのに。尊ならできるけど」
「ふむ、俺が戻してやろう。俺が命ずる。三輪守、赤猪子殿に戻れ」
佐野が命ずると、陽一の手に持っていた三輪守が熱くなった。びっくりして手を離すと、大太刀は変形しはじめ、ゆっくりと人の姿に戻った。すると、袴姿の少女の赤猪子に戻った。
彼女はゆっくりと手をついて起き上がり、辺りを見渡して茫然とした。
「ばあちゃん」
「陽一殿……」
赤猪子は鳥居の周りがめちゃめちゃにされているのを見て、額を押さえた。大地には蛇の頭部のみが残っている。
「大蛇は倒せたのだな……」
「うん、ばあちゃんのおかげだよ」
ばあちゃんと呼ばれ、赤猪子は口を開きかけたが、眉をひそめて薙に気づいた。
「何者じゃ……」
「俺は薙だ。いろいろあって大蛇に封じられていたが、お主のおかげで解放された。礼を言う」
「薙? 聞いたことないの……」
「引田部の巫女よ」
薙の言葉に赤猪子の顔がこわばった。
「巫女に頼みがある。俺は大蛇を倒した陽一に仕えることにした。しかし、こいつは未熟なゆえ、鍛える約束もしたんだ。その間、巫女の社に住まわせて欲しい」
赤猪子は今まで見たこともないほど動揺して見えた。
「ばあちゃん、大丈夫?」
赤猪子はごくりと唾を呑んで、ゆっくりと息を吐いた。
「陽一殿はよいのか?」
「いいも何もこいつ勝手に決めるんだもん。俺の意見は聞いてくれないんだ」
すでに正勝との約束を忘れかけている陽一だったが、薙は澄ました顔でそれ以上は言わなかった。
「分かった」
赤猪子が頷くと、薙はにやっと笑った。
「感謝する。そうだ、感謝ついでに、陽一にいいことを教えてやろう」
「え?」
「月の時間と地上の時間は同じではないぞ」
薙の言葉に胸がざわり、と騒いだ。
「え? ど、どういう事?」
急に不安に駆られ、胸がドキドキし始めた。
「お前が一つ年を取ったとしても、月の者は違う時間を過ごしているという事だ」
それを聞いて、赤猪子を見ると、彼女もまた渋い顔をしていた。
「姫にも言えなんだが、そ奴の言うとおりじゃ。陽一殿が年を取っても姫は年を取らぬ。月と地上では流れている時が違う」
「じゃあ、もし、俺がじいちゃんになっても……」
「姫はまだ、成人前の若い女性かもしれぬな」
陽一は目の前が真っ暗になりそうだった。
「そこで俺の出番だな。陽一を一から鍛えてやるよ」
薙が偉そうに言う。陽一は、初めて薙が救世主のように見えた。
「そ、それってどういうこと? その時間の問題は何とかなるの? 俺は月に行けるの?」
「お前次第だ」
「あ、ありがとう! 薙、いや、師匠っ。お願いしますっ」
頭を下げると、薙がにっと笑った。
「あー、弱い奴を鍛えるってわくわくするな」
本当にうれしそうに笑った。そのわくわくの真相を探るよりも、陽一の心は晶の事で一杯だった。
「晶……」
陽一は、切なく空を見上げた。空には白い月が浮かんでいた。果たして、石のエネルギー体となっている陽一は、本当に年を取るのだろうか――。
すると、そばで話を聞いていた佐野が首すじを搔きながら言った。
「いい子ちゃんだのお、陽一くんは。俺だったら今すぐにでも晶に会いに行くが」
佐野が、菜々の肩に腕を置いて引き寄せると、にかっと笑った。
「陽一くん、いや、これからはもう陽一と呼ぼう。今回の件では陽一には大変! 本当に世話になった。菜々を取り戻すこともできたし、俺も力を取り戻すことができた。お礼に俺が、今から晶の元へ連れて行ってやろう」
「えっ」
陽一は、ドキッとして穴が開くほど佐野の顔を見つめた。
「えっ? い、今から? 本当に?」
心の準備が。いや、そんな事どうでもいい。
「ああ、でも、いいのかな……」
ダメだと言われていることをするって、勇気がいるのだ。いつから自分はこんなに消極的になってしまったのか。
陽一は、ポケットの中にある晶へ渡したいモノを意識した。いつ会えてもいいように、ずっと持っている。
陽一が右往左往するのを薙がじっと見て、ため息をついた。
「そうか。陽一が行くと決意したのなら、俺も従う」
「えっ、だって月には行きたくないって、さっき、言ったじゃん」
薙の意見がコロコロ変わるので、混乱する。薙は、じろりと陽一を見た。
「俺は確かに月には行かないと言った。それは、あいつが俺を唆そうとしたからだ。それに俺が月に行かない理由は先ほど言った。しかし、陽一は月に行きたいのだろう? どうして自分の意見をちゃんと言わない。俺が行かないから? 誰かに止められたから、お前は自分の意思を曲げるのか? 晶に会いたいんだろ?」
初めて会った薙に説教されて、陽一は悔しかった。でも多分それは、自分の内面の弱さを指摘されているからだ。そう思うと余計、腹が立った。腹が立つのに言い返せない自分が悔しい。
「俺……」
心の準備はずっと前にできていたはずなのに。だから、いつでも会えるようにって、持っているのに。
「陽一、俺と月に行くってことは、正勝の言ったことを覚えておるんだろうな」
「え?」
薙は、だんだん陽一の性格が分かってきたようで、顔をしかめた。
「おい! こいつ、もしかしたら、とんでもない鈍感な男ではないのか? 佐之尊、本来ならお前が俺を解放するはずだったのに、いつまでものらりくらりと俺を放っておくから、こんなことになったんだぞ」
「はあ? お主、何を言っているんだ? そもそもお主は誰だ?」
「薙殿は、大蛇の化身だそうじゃ」
「ああ!」
佐野がポンと手を叩いた。
「お主、井川だったのか」
「もうダメだ。話が進まない」
薙があきらめたように話を中断させる。もしかしたら、ここにいる連中は、短気な人間の集まりなのだろうか。
「佐野さんっ。俺を月に連れて行ってくれ」
「よく言った。さ、今すぐ行こうっ」
佐野が、陽一の腕に手を伸ばす。
「殿下、待って下され、陽一殿は人間、生身の体では結着できないかもしれぬぞっ」
赤猪子が焦って止める。
「何を言っておる。赤猪子殿。陽一はもう人ではないぞ」
佐野が言うと、顔をこわばらせる陽一をつかんだまま消えてしまった。薙が舌打ちをしてその後を追う。
取り残された赤猪子と菜々は、顔を見合わせた。
「菜々殿」
「は、は~い……?」
菜々がこわごわと肩をすくめた。
「この荒れた場所を元に戻すので、手伝って下され」
「りょ、りょーかいしました」
菜々が、えへへっと笑った。




