二度と離さない
花との結婚生活は穏やかに過ぎた。
「旦那さま」
畑を耕していると、花が急いでやって来た。
「どうしたのだ?」
「お客様でごぜえます」
花の少し不安そうな顔がうかがえた。
誰だろう。陽一郎は、額に流れる汗を拭いて家に戻った。客間にいたのは翁だった。
何日ぶりだろう。まだ、結婚したことも伝えていないはずだった。
「お久しぶりでございます」
「はい。翁もお元気そうで何よりです」
花が茶を出してくれる。翁は茶碗には手を出さなかった。自分は喉が渇いていたので、ぐいっと飲み干した。陽一郎が茶碗を戻したのを確認してから翁が言った。
「すみません、二人だけにしてもらえませんか」
花がサッと顔を伏せるとすぐに出て行った。いなくなったのを確かめ、翁が頭を下げた。
「無理な事を承知でお願いします。うぐいす姫さまに会って頂けませんか」
「えっ」
陽一郎はその名前を聞いて、心を打たれた。今まで封印していた気持ちが一気にあふれ出す。忘れようと努力していたのに、翁の言葉で打ち砕かれた。
「でも……」
「姫が病気なんです」
「そんなっ」
うぐいす姫が病気と聞いていても立ってもいられなくなった。今すぐ飛んでいきたい思いに駆られる。
「すぐに行きます」
「ありがとうございますっ」
翁が泣き笑いしそうな顔を手で覆った。
家を出ると花が追いかけてきた。
「旦那さまっ」
「すぐ戻るから、案ずるな」
「でもっ」
花も泣きそうな顔をしていた。陽一郎はその顔を振り切るようにして翁を追った。
前を歩く翁を見てずいぶん年を取られたと感じた。足取りがふらふらしており、何度も木の根に足を取られて転んだ。しかし、翁は一刻も早く姫の元へと急ぐように歩いて行く。
陽一郎は、翁の腕を取った。
「すみません」
狭い獣道を二人で走るように歩いた。いつもより長い時間をかけて屋敷へつくと、庭は雑草で覆われ寂れていた。
「どうして……」
「この老いぼれだけではこの広い屋敷は片づけられなくて」
気がつけば、翁の腕は木の枝のように細くなっていた。
「申し訳ありません。もっと早く気がつけばよかったのに」
「陽一郎殿は何も悪くありません」
翁が言ったが、申し訳ない気持ちで一杯になった。
屋敷に入ると、部屋には埃がたまり蜘蛛の巣も張ってある。目をつぶりたい惨状に心を痛め、部屋に入ると床が敷いてあり、そこにうぐいす姫が横たわっていた。
「うぐいす姫っ」
陽一郎が駆け寄ると、うぐいす姫が目を開けた。頬がこけ、別人のように痩せていた。
「陽一郎殿」
うぐいす姫は目を見開いてから、顔をそむけた。
「こちらを見て下さい」
懇願すると、うぐいす姫は夜具を頭からかぶった。
「見ないでください、こんな姿」
うぐいす姫が泣いていた。
陽一郎は、夜具からうぐいす姫を抱きしめた。
「もう、離れませんから」
陽一郎は無意識に叫んでいた。
「俺は、二度とこの手を離しませんからっ」
うぐいす姫の嗚咽が耳に届いた。




