シクシク
月明かりがまぶしい夜だった。
花は、厠へ行ってくる、と着物を体へ巻きつけてそそくさと出て行った。
陽一郎は、汗ばむ体を拭いてぼんやりと外を眺めた。
何か忘れている気がする。
大事な物があったのに、思い出せない。
「旦那さま」
花が戻って来て夜具の中に入り込んだ。花の体を抱き寄せて裸にする。
花が目を閉じて云った。
「今宵の月はホント綺麗だな…。おら、目を閉じていても瞼を通して光を感じられるだ」
「いて…」
ふいに、陽一郎の胸がチクリと痛んだ。
花が体を起こした。
「どうしただ? どこか刺したか?」
「いや、なんだか急に胸が痛くなって。もう、大丈夫だよ」
「なら、いいんだが…」
花はほっとして、陽一郎の胸に頭を預けた。
「旦那さま、おら、幸せだ」
「俺もだよ」
花を抱き寄せると、再び、胸のあたりがシクシクと痛んだ。陽一郎は痛みに顔をしかめたが、花を心配させまいと、声に出さずに耐えた。
次の日、朝一番に兄が珍しくやって来た。
陽一郎に向かって、明後日祝言を挙げるから、夫婦で祝いに来てくれ、と云った。
「おめでとうごぜえます」
花がうれしそうに手を合わせた。兄は冷ややかな顔で花を見たが、
「遅れるなよ」
と云って帰った。
兄の姿が見えなくなると、陽一郎は胸を撫で下ろした。なんとなく花を見る目つきが嫌な感じだった。
「花、俺のそばにいるんだぞ」
陽一郎が云うと、花は、へえっとうれしそうに答えた。
その日、家を出たが、胸の痛みはさらに強くなっていた。息苦しくて仕事をしてもすぐに疲れる。
水辺で食料を探しに来ていた陽一郎は、休める場所を探した。
大きな岩があったのでそこに腰かけて、花の握ってくれた握り飯を齧った。ひとつ食べただけで腹が膨れた。
「行くか」
立ち上がると、めまいがした。
仕方ない、もう少し休むことにしよう。
陽一郎は再び座ったが、今度は胸が塞ぐように苦しい。座っているのも辛く、気を紛らせようと立ち上がった。
「あ…、そういえば、道具を社に取りに行かなきゃいけなかったんだ」
食料を入れる袋と鍬などを社へ置いてきたままだった。行きたくなかったが、方向を変えて山へ向かった。
歩き始めると先ほどよりは気分が少し楽になっていた。
社に入る前に鳥居でお辞儀をする。昨日の事を思い出すと、やはり気分が塞いだ。
兄の行いは間違っている。明日、祝言を挙げると云っていた。嫁を貰ったら少しは落ち着いてくれるとよいのだが。
社の近くに行くと、道具が一式そのまま置いてあった。陽一郎は拾ってすぐに引き返した。
山へ下りる途中、村の者と出会った。
彼は兄の仲間の一人で、昨日もいたはずだ。
目を合わせるのが嫌で顔をそむけると、男の方から近づいてきた。
「鬼狩りをするぞ」
陽一郎は、最初何の話か理解できなかった。
「なに?」
聞き返すと、男は鋭い目で陽一郎をじっと見つめた。
「鬼狩りだ。一緒に来い」
鬼狩り!
「い、嫌だっ」
陽一郎は首を振っていた。鬼狩りをするなんて。
「意気地なし」
男は吐き捨てると、山を下りて行った。
頭が割れるように痛い。仕事どころではない、と陽一郎は倒れ込むように家に戻った。すると、花が血相を変えて飛んできた。
「旦那さまっ」
「花、水を持って来てくれ、気分が悪いんだ」
「旦那さま、うぐいす姫さまをご存じだな?」
「え?」
陽一郎は頭を押さえたまま、花を見た。
「誰だって?」
花が一瞬、息を呑んだ。
「……あなたさまの好きな人だろ?」
「え?」
花は何を云っているのだろう。
「俺の嫁はお前だ」
「旦那さま…」
花は涙ぐむと、陽一郎の襟をつかんだ。
「うぐいす姫さまと云うお人が殺されるだよ。構わねえのか?」
殺される? 誰が?
「何を云っているのだ」
陽一郎は土間に座り込んだ。頭が割れるように痛い。
「今、村中で大騒ぎになってるだ。うぐいす姫さまは鬼だ、鬼は殺せと」
陽一郎は耳を塞いだ。その時、入口に人影が現れた。兄の新太郎だった。
「陽一郎」
兄は土間に入ると、うずくまる陽一郎に云った。
「鬼を殺せ」
拙作をお読みくださりありがとうございます。
こちらの作品は、2024年よりカクヨム様にて推敲しなおして、再度連載を始めました。
まだ、なろう様の方の部分の方がかなり進んでいるのですが、もし、ご興味がありましたら、カクヨム様にて読んでいただけると幸いです。
ありがとうございました。




