赤猪子の社
◇◇◇
その頃、赤猪子の社では佐野が飯を食っていた。
「殿下……」
赤猪子がじっとりと佐野を見た。
「いい加減になさいませぬか」
「ん?」
昼近くまで眠り、ようやく起きたのは先ほどで、それから昼食を食べている。釜の飯は底をついた。
「もう、お米はございませぬ」
「よいよい」
ハハハと笑って、お腹をさすった。
「やはり、誰かが作った飯はうまいなあ」
赤猪子の頬がぴくりと引きつった時、部屋の中に気配を感じて振り向くと、俊介が立っていた。
「俊介殿……」
赤猪子が目を丸くした。
「なぜ、ここに? 姫に何かあったのか?」
「そうではありません」
俊介が首を振って、眉をひそめた。
「そちらの方は?」
「俺か?」
佐野は首をこきこき鳴らした。
「俺は、佐之尊よ」
俊介がその名前を聞いて絶句する。赤猪子は説明するのももどかしく、俊介の方へ寄った。
「そんなことよりも俊介殿、何か用事があって参られたのであろう」
「そうだ……!」
俊介は、すぐに気を持ち直した。
「陽一の身に何かあったようだ。姫が心配されておる」
「陽一殿に?」
赤猪子は顔を険しくさせた。佐野も顔をしかめた。
「まさか、井川が何かしたか」
「それは一大事じゃ」
赤猪子が慌てて走り出す。陽一は今、学校へ行っているはずだ。様子を窺わなくてはと思った時、空から何かがこちらへ向かっているのに気づいた。
「殿下、何者かがこちらへ参ります」
「敵か? まさか、井川っ?」
佐野がおろおろすると、あっという間に近づいて空の上で止まった。赤猪子がその姿を見て、あっと声を上げた。
「葵殿ではないかっ」
赤猪子がすぐに結界を解いて、中へ入れる。
社に入った葵は、佐野の姿を見るとがむしゃらに走って抱きついた。
「尊っ」
かわいい女の子に抱きつかれ、佐野はでれーっとした顔で葵の背中を撫でた。
「ん? お主、誰だ?」
「分からない? 菜々よ」
「菜々っ?」
葵の手から櫛が落ちて、ポンっと音がすると櫛から女の姿へと変化した。
ふわふわの茶髪に丸顔の可愛らしい女の子だ。年はまだ若く少しぽっちゃりとしている。
「菜々っ」
佐野が叫んで、菜々を抱きしめた。
「無事だったかっ」
「この月のお姫様が助けてくれたの」
体の自由が戻った葵はぼんやりとしていた。
「ここはどこ?」
涙ぐんだかと思うと、目からぽろぽろと大粒の涙があふれた。
「葵殿、大丈夫か?」
赤猪子が駆け寄ると、葵は知っている姿を見てわーっと泣きついた。
「陽一殿が、襲われて……」
「それはどういう意味だ」
俊介が、葵に詰め寄った。葵はおびえたように赤猪子にしがみついた。
「俊介殿、女性を怖がらせてはなりませぬ」
「しかし、陽一に何かあっては姫が悲しむ」
「正勝さまがどこかへ連れて行ってしまいました」
「何?」
俊介が再び眉を吊り上げた。
「正勝殿までこちらに来ているのか」
わけが分からないと首を振る。その横で、佐野と菜々は熱い抱擁を交わしていた。
「さみしかった」
「俺もだ、菜々。生きた心地がしなかった」
「嘘よ、腹いっぱいご飯食べてたんでしょ」
「腹が減っては動けんだろう」
「んもうっ」
バカップルを見て、赤猪子は激しく苛々した。
「こうなったのは、そこのお二人のせいですぞ」
「誰に向かってそのような事を申しておる。俺は、佐之尊ぞ」
「殿下……」
俊介が大きく息を吐いた。
「殿下は月から出て行った御身、我々とは関係ないはずでは?」
「何おうっ」
「もう、やめてよっ」
菜々が間に入った。
「わたしは無事だったんだし、陽一くんにはかわいそうな事をしちゃったけどン」
「赤猪子さま、だいぶ落ち着きました」
葵が、息を吐いて言った。
「正勝さまは何か考えがおありになって、陽一殿をどこかへ連れて行かれたのだと思います」
「無事なのだな?」
俊介が言うと、葵は頷いた。
「はい。正勝さまは必死のご様子でした」
「正勝殿に頼むしかないの」
赤猪子がぽつりと言った。皆、何もできず息を吐いた。
「今はできる事はなさそうじゃ」
赤猪子が言って、葵を見た。
「ところでそなた、なぜ、地上におられる」
「あの、わたくし……」
葵はもじもじと手を揉んだ。
「和記さまを喜ばせたかったのです」
「和記殿を?」
「はい。和記さまは晶さまを本当にお慕いしておられます。陽一殿のご様子をお伝えして、晶さまに喜んでいただければと思ったのです」
そうか……、と赤猪子は考える顔をした。
和記が本当にそのように考えていたかは別として、葵は純粋な気持ちで地上へ下りてきたようなのは分かった。
「そうであったか。葵殿、ここは危険じゃ、そなたは月へ戻られよ」
赤猪子が優しく言うと、葵は首を振った。
「いいえ、微力ではございますが、わたくしも何かお手伝い致します」
「しかし、そなたの身を守るのは……」
「わたくし部下を連れて参りました。舎人もおります。一人でも多く戦える者がいた方が役に立つのではございませぬか?」
梃子でも動きそうにない。赤猪子は困ってしまった。すると、
「でかした!」
と佐野が大声で言った。
「さすがは月の者だ。することがないのであれば、俺の付き人となれ」
「殿下っ」
赤猪子が睨みつける。
「葵殿は高貴なお生まれじゃ。付き人とは」
「お二人ともいい加減になされ」
俊介が呆れて言った。
「菜々殿と申されたな、そなたがここにいることは敵にはばれておりませぬか?」
菜々は小さく首を傾げて考えた。
「ばれていないと思うんだけどン」
そっと肩をすくめる。それを見て、俊介が息をついた。
「皆、他人の心配をするよりも、己の心配をした方がよさそうだぞ」
俊介が脅すと、菜々は佐野に抱きつき、葵は身を硬くした。赤猪子は新たに結界を張った。
「敵は必ずここに来る」
赤猪子が、菜々と佐野を見て言った。
「おそらく」
俊介が神妙に頷いた。




