不意打ち
◇◇◇
舞が手に持っているキャップを晶が手に取ろうとした時、背後から呼びかけられて二人は振り向いた。そして、晶は硬直した。
な、なぜここに陽一郎が。
今まで陽一郎に接近したことは一度もなかった。
それが目の前にいて、一気に間合いを詰めてくる。
晶は思わず後ずさりした。逃げなきゃ、と思ったが足がすくんで動けなかった。
「こんにちは」
舞がにこっと笑って、陽一郎に挨拶をした。すると、陽一郎は舞の方へ駆け寄った。
「お、俺、君を探していたんだ」
「え?」
「う、うぐいす姫だろ、君」
それを聞いた瞬間、晶は体が冷たくなった。舞も硬直している。
「え? あ、あの……」
なんてことだろう。
陽一郎は、舞をうぐいす姫だと勘違いしている。
舞が戸惑っているのが分かった。晶も自分が立っているのが信じられないくらい動揺していた。
信じられない。自分がずっと見守り続けていた相手が舞に言い寄っているなんて。
「あ、それ、俺の帽子なんだ。拾ってくれたんだね。ありがとう」
と、にやけた顔で手を差し出し、舞からキャップを受け取った。
晶さま、助けて、と舞が口ぱくで言ってきた。その瞬間、晶の体を怒りが突き抜けた。
――舞、そいつの前で我のことを晶さまと呼んではならぬぞ。お主がうぐいす姫で押し通せ。
思念伝達をすると、舞が、えっと言う顔をする。
「あ、晶さ……」
晶がキッと舞を睨んだ。
「晶ちゃん、助けて……」
「お主」
晶は、舞と陽一郎の間に割って入った。
「え? あ、ちょっと何だよ……」
陽一郎が口を尖らせて晶を睨んだ。
晶は、真正面から陽一郎と目があって、顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
「ま、舞に近づくでない」
「近づくでない? はあ? 変な言葉」
まるでバカにしたような目で晶を見ている。晶は悲しくなって唇を震わせた。すると、陽一郎があっと声を荒げた。
「あ、お前、侍女ってやつだな」
「え?」
「ほら、うぐいす姫の部下、召使いだろ。姫を守るためならなんでもするってやつだな」
チビなのにえらいな、と言われる。
晶はあんぐりと口を開けて陽一郎を眺めた。
「あ、あの、陽一郎さま」
「え?」
舞が話しかけると、陽一郎の顔が豹変した。目じりが下がり、でれでれと舞を見つめる。
「俺の名前知ってんの? うわ、感激」
舞が慌てて陽一郎から離れた。陽一郎は悲しげな顔をして肩をすくめた。
「でも、ちょっと間違っているよ。俺の名前、陽一郎じゃないよ、陽一だよ」
「陽一郎さまでは……ないのですか?」
「うん」
舞が困惑している。
無理もない。晶も混乱していた。名前が違うのは初めてだった。
「あの、失礼ですが……お名前は?」
「俺? 笹岡陽一、高校一年生。君は?」
陽一郎が意気ようようと答えた。
舞は、目を輝かせる陽一郎からさっと視線を外して晶を見た。
――舞と答えよ。
「ま、舞と申します」
「舞ちゃん、うわ、すっげ、最高にかわいい名前」
「あ、あの、陽一さま、こちらの方は……」
舞が晶を紹介しようとすると、陽一郎は興味なさそうにちらりと晶を見た。
ぶ、無礼な男だ。
晶はもう我慢がならず、唇をぐっと噛んだ。
「こちらは晶ちゃんです」
「あきら? 男みたいな名前だな」
その言葉に、舞が目を見開いて口に手を当てた。
晶は怒りで我を失いそうだったが、大きく息を吐いた。
「……お前、陽一と申したな」
「ん?」
「うぐいす姫の何を知っているのだ」
「え……」
陽一郎、いや、もとい陽一は頭をかいて、うーんと唸った。
「実を言うとちょこっとだけ。俺と舞ちゃんが運命の相手で結ばれるってことしか知らない」
舞は小さな口を開けた。
「は?」
晶は震える手で舞の洋服をつまむと、くいと引っ張った。
「行くぞ」
「えっ、ちょっと待ってよ、せっかく会えたのに。連絡先教えて、ね。お願い」
晶は大きな目を吊り上げて、陽一をにらみつけた。
「舞、行くぞ」
晶が強引に歩きだす。陽一はしつこくついて来た。
「また、会える? ねえ、待ってよ」
すがるような目で陽一が言う。
晶はもう少しで力を使って彼をどこかへ飛ばしてしまいたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢をした。
舞は申し訳なさそうに答えた。
「ま、また、ご連絡いたします……」
「待ってる」
陽一が寂しげに手を振った。
舞が手を振るのを見届けて、晶は顔を伏せると公園を出た。次の瞬間、晶は瞬間移動をした。
まわりも確認せず、衝動的な行動は初めてだった。
舞は、二人が住んでいる部屋の玄関に立っているのに気付いて、両手で顔を押さえた。
「なんてことでしょう……」
呟くと、隣で晶の細い肩が震えていた。
「アホの子だ……」
晶はそう言って靴を脱ぐとリビングに入った。舞は慌てて追いかけた。
「間違っていたのでしょうか。あの方は陽一郎さまではないのですか?」
尋ねると、晶は息を吐いて首を振ると、くるりと舞の方を向いた。
「間違えてはおらぬ。我の中の鬼があの者を求めておるからの」
晶が胸を押さえた。
鬼が、晶の中で出たい出せとわめいている。
今宵は満月だ。鬼を浄化できるのは月に一度、晶の力が最高潮に達する時だ。それまで、体の中に潜む鬼を閉じ込めておかねばならなかった。
そんな大切な日に。
陽一に見向きもされなかったことを思い出すと、胸がずきずきと痛かった。
「晶さま」
舞が心配そうに言った。晶はふらふらとソファに座り込んだ。
「あの者の名前、陽一と言ったな。奴の記憶があいまいなのも、おそらく名前のせいだ。あの半端な名前のせいで、記憶も中途半端なのだろう」
一文字違うだけで記憶が完全でない上に欠陥だらけの男に育っている。
思い出すと、腸が煮えくりかえりそうだ。
いくら、晶のことが眼中になかったとしても、最低限の礼儀はあってよいものである。ところが、礼儀どころか晶のことを鼻で笑っていた。
あんな無礼者を一六年間も見つめてきたのか。
晶はぐっと奥歯を噛みしめた。目元がじりじりしてきた。今にも涙が溢れそうになり、舞の前で泣くわけにもいかず口を噛んだ。
元気にはしゃぐ姿や怒ったりドジをしたりと喜怒哀楽のある少年だった。
アホだとは思っていたが、実際、目の当たりにすると、すこぶる不愉快だった。
できるなら、今すぐ自分たちが出会う前に戻りたかった。
しかし、なぜ、彼は晶たちを見つけることができたのだろう。
これまで一度もうぐいす姫と陽一郎は対面したことはなかった。
何か意味があるのだろか。
陽一郎が未熟だったため、彼の薄っぺらい気配を読み取ることができなかったのだろうか。
晶にとって陽一郎との出会いが史上最悪であったため、彼を誉める要因が一つもなかった。
「疲れた……」
「今夜はおいしいものをお作り致しますわ」
「何も食べたくない」
力なく答える晶に、舞は優しく肩を撫でた。
「今宵は月の者たちが参ります。元気をお出しになって」
「うむ……」
晶は上の空で答えた。




